外は晴天、夏の盛り。家から出るのも億劫になる気温だが、夏休みの空気感が、「どこかへ行かなければ」と、重圧をかけてくるような日だ。
エアコンから送り出される人工的な風に乗って、自分の部屋とは違う香りが拡散する。柔軟剤だとか香水だとか、あるいは今、机の上に乗っている手作りのクッキーの匂いだ。 風上に座っていても鼻をくすぐる甘さに、集中力を乱されながらも、私は問題集と向き合う。
数字の羅列は、別に苦痛じゃない。国語や英語なんかと違って、頭を使わなくても、経験だけで解くことができる数学をペースメーカーにしていたら、もうすぐ終わってしまいそうだった。
さらさらと揃いのシャープペンシルを走らせる私とは対照的に、向かい側に座った由奈の動きは鈍い。
一文字書いては休み、ちらりこちらを窺う。そしてクッキーを一口。もう一文字書いては、わざとらしく大きな溜息をつく。
「由奈」
ここで心を鬼にして、「自分でやれ」と突き放すことができるのなら、彼女は期末テストで、もう少しいい点が取れただろうに。
まだ中二、もう中二。
来年の夏は、お互いに塾通いを始めているだろうから、こうやってだらだらと宿題をするのも、最後かもしれない。
名前を呼ばれて、由奈は嬉しそうにして、宿題をこちらに向ける。まだ序盤の問題だった。最終日までに終わるのだろうかと思いつつ、私は一生懸命に、噛み砕いて説明をする。 結局、曖昧に笑って逃げることに決めた由奈に、私はノートを手渡した。
「ありがとう。やっぱり美緒、大好き!」
顔を下に向けて、猛然と筆を進め始めた由奈のつむじを観察しながら、麦茶を飲んだ。書き写すのに集中している彼女は、こちらを見ない。クッキーは美味しい。
高いお金を払って、キャバクラに通う男の人の気分って、こんな感じなのかな、とぼんやりする。
きれいな、可愛い女の子を見ながらお酒を飲みたい。ステキとか大好きとか、そういうリップサービスがあれば、なおよし。
しかし、「大好き」という言葉ほど、口にした人間と対象になった人間によって、重さがこんなにも変わる言葉はない。
由奈は何も意識していない。「大好き」なんて、彼女にとっては一切価値のない言葉で、大安売りしたって、何の損もないから言っているだけ。
ありがたく拾い集めては、寝る前に反芻している私の気も知らないで。
数十分かけて、由奈は私のノートを写し終わる。
「写したってバレても、私の名前は出さないでよ」
クールを装って言うと、由奈はけろりとした顔で、「大丈夫だよ。わざと計算間違ったフリしてるもん」と、したたかなことを言った。
「クッキー、あたしが焼いたんだよ。美味しい?」
すでに今日の宿題タイムは終わったとばかりに、由奈はノートを閉じた。クッキーを指先で摘まみ、私の口元に押しつけてくる。小さくかじりついて頷くと、満足そうに微笑んだ。
天然で、けれど意外と計算高い。自分が可愛いのだと疑っていない由奈は、私の大切な――。
「おい、由奈」
ノックもなしにドアが開く。由奈は一瞬、肩をびくんと跳ね上げた。唇をわざと尖らせた表情を作ってから振り返り、
「もう、明良兄ってば。ちゃんとノックしてよね! レディーの部屋なんだから!」
と、文句を言った。
由奈の兄の明良とは、私も顔見知りだ。二つ違い、三年生は一年生を可愛がるの法則で、彼は私のことも、それなりに敬意を払って扱ってくれる。今回も、私がいたことを知らなかったらしく、「浅野さん、いたんだ。ごめんね」と、頭を下げた。
プリプリと怒りながらも立ち上がり、「何の用なの?」と、わざわざご機嫌伺いに向かう由奈に、明良は用件を伝える。
「お前、なんか寝ぐせ直しみたいなの持ってない? これから出かけるんだけど、爆発してて」
明良は部屋に入ってきたときから、髪の毛を押さえていた。
「しょうがないなあ」
言って、机の上に置きっぱなしになっていたヘアミストを、由奈は楽しそうに兄に向かって吹きかけた。
「ちょ、由奈! 馬鹿、やめろっての!」
微笑ましい兄と妹を、私は観察する。学校では「上の兄姉がいかにウザいか」という話題に率先して乗る由奈だが、本心は違うのだと、家に何度も来たことのある私だけが知っている。隠しているけれど、彼女はブラコンなのだ。
やっぱり、中学二年生になってまで、「お兄ちゃんラブ!」を本人に伝えるのは恥ずかしいらしく、由奈の口調は自然、からかうようなものになる。
「いつも寝ぐせついてても気にしないくせに。ひょっとして、デートなんじゃないのぉ?」
そんなわけないよね、という念押しの含まれた彼女のセリフ。これまでなら、肯定されることはなかった。淡々と、「まさか」って、肩を竦められるだけ。そういう仕草が不思議と似合ってしまうのが、明良という人だった。 けれど今日は、いつもと違った。
明良は目を丸くして、視線を泳がせた。おや、と思ったのは、私だけじゃない。
「え、お兄ちゃん。まさか、本当に……?」
妹の詰問に、兄はおおいに弱かった。降参だと溜息をついて、彼は目を逸らし、どもりつつも宣言した。
「悪いかよ。俺がデートに行ったら」
悪い!
今にもそう言ってしまいそうな由奈を制して、私は明良に声をかける。
「明良さん。由奈とじゃれてていいんですか?」
壁の時計を指せば、あからさまに「やっべ」という顔をして、彼は妹の手から寝ぐせ直しを奪って、出て行った。
「……」
呆然とする由奈の後ろ姿を、黙って見守る。グラスを手に取ると、浮かべた氷が音を立て、それを合図に彼女は振り返った。
「美緒! あんた、どうしてそんなに冷静なの!?」
「どうしてって言われても」
憤慨して赤く染まった由奈の顔が、ずんずんと近づいてくる。少しでもこちらが顔を突き出せば、事故を装ってキスができそうな距離だ。
バチバチと由奈の目が瞬く。カラコン越しの瞳が、星みたいだった。
「だって美緒、四年生のときからずーっと、お兄ちゃんに片思いしてるのに!」
「――くんって、カッコいいって思わない?」
肝心の名前をうっかり失念したけれど、聞き返す暇はなかった。
「えー? あたしは別にぃ? 自分より背の低い男なんて、ねぇ?」
由奈に同意を求められて、勢いに負けて頷いた。小学校四年生。この間の保健の授業で、私たちの年齢だと、女子の方が成長が早いというのを習ったばかりだった。
「あたしはやっぱり、年上がいいなあ」
「由奈、大人じゃん」
女子が何人か集まれば、どんな雑談をしていても、誰かが確実に恋バナに持っていく。 昨日見たバラエティで、芸人のモノマネをしていたちょっとお笑い気質な女子であっても、「○○って優しくてよくない?」と、急にチラチラし始めるのだから、びっくりする。
「美緒は?」
由奈に話を振られた。昼休み、男子のほとんどは校庭や体育館に遊びに行ってしまっている。だから隅に固まって、ひそひそ恋バナなんてしていられるわけだが。
目に入る男子の姿はほとんどない。クラスメイトの顔かたち、性格を思い出しても、咄嗟に「あ~」「わかるわかる」と、一定の理解を得られる相手と判断できない。
仕方なく、「私は別に、興味ないから」と、苦笑した。あからさまにテンションが落ちる友人たち。
「ちょっとも気になる子いないの?」
逆になんで、そんなことが気になるの?
言えば協調性がないと思われるから、曖昧に微笑むにとどめておいた。
話に乗らない私を置いて、由奈を中心に盛り上がっていると、廊下から、「由奈ー」と、声をかけられた。
「明良兄」
明良に声をかけられて、由奈は話を切り上げて立ち上がり、近づいていく。
「地図帳持ってない? 昨日宿題のために持って帰ったら、忘れて……」
「あー、うん。あるよー」
なんてことのない兄と妹のやりとりを、正確に言えば、由奈の横顔を黙って見つめていた。
好きな男子はいないし興味もないと答えたけれど、好きな子はいた。
由奈だ。小学校に入ってからの親友として付き合いながら、私は彼女に密かに恋心を抱くようになっていた。他の女の子や男の子と仲良くしているのを見ると、もやもやする。
恋をすると相手をずっと見ていたくなるもので、由奈のことを無意識に目で追っていると、気づかれてしまいそうだった。
こうやって少し離れたときはチャンス。あんまり違和感なく、由奈のことを見つめていられる。
「地図帳の分、今日の晩ご飯のおかず、あたしに多くちょうだいよ」
「やだよ。俺、成長期だぞ」
彼女が兄に向ける顔は、遠目に見ても可愛い。
ぼんやりと眺めていたら、いつの間にかチャイムが鳴っていた。由奈も廊下の方から、私の隣に戻ってきた。
そして座る直前、彼女は耳にこっそりと吹き込んだ。
「好きな子いないって、嘘じゃん」
まさか、本人にバレた?
ヒヤヒヤしながら、「何言ってんの?」と言えば、由奈は首を横に振った。
「あたしが気づかないとでも思った? お兄ちゃんのこと、ずっと見てたじゃん」
頭が一瞬真っ白になったけれど、すぐにすっと冷めた。
まあ、あれだけ熱視線を送っていれば、そういう勘違いもされるか。
違うよ。別に好きじゃないよ。
そう言いかけたところで、担任が教室に入ってきた。日直の「きりーつ」の声に立ち上がる。
礼をしてから着席までの間に、由奈は再び囁いた。
「美緒ならいいよ。お兄ちゃんとのこと、応援する」
私は否定するのをやめた。小さく頷いてから、教科書を開く。
どうせ、叶わない恋だ。世の中には女子を好きになる女子もいる。母親と一緒に見たドラマでは、たまたま出会った相手に告白して、女同士のカップルが成立したけれど、あれは作り物。
同じ学校、同じ教室、しかも親友が女好きな女だなんて偶然、ありえない。
この初恋は、諦めなければならない。
だから私は、由奈の言葉を否定しなかった。彼女の兄が好きだと勘違いされていれば、ラクだった。みんなの恋愛トークにも、漫画のエピソードをつぎはぎして創作して、なんとかついていけるようになった。
何よりも、由奈が兄と話しているときの一番可愛い顔を、堂々と見つめていたって、仲間内からは許されるのがありがたい。
私は彼女の勘違いをそのままにした。
「宿題なんてやってる場合じゃない!」
バーン、と問題集をテーブルに叩きつけた由奈は、窓から外を見下ろした。兄にバレないように、彼が出かけた後を追いかける気満々である。
「馬に蹴られるよ」
ことわざや格言に疎い彼女は、きょとんとした顔になる。なんで馬? 口にしないのは、自分の無知をさらすことになると、なんとなくわかっているからだろう。
「デートの邪魔なんて、やめときなって」
直接説得するも、由奈は聞かない。キッと牙を剥いて、
「美緒ってば、そんなんでいいの? だって小四からだよ? しょうよん! ポッと出の女にお兄ちゃん取られていいのっ?」
拳を握りしめて叫ぶ。
明良に対する気持ちは、親友のお兄さんという認識以上のものはなく、彼女が出来たと言われても、「よかったですね」という感想しかない。
だが、それでは由奈は納得しないだろう。
悲しげに俯いたと見せかけて、「私なんかじゃ釣り合わないのは、最初からわかっていたし。いいの。見つめているだけで、幸せだから」と、これからも明良と一緒にいるところを凝視するぞ! と宣言した。
「私が嫌なの! お兄ちゃんには、美緒じゃなきゃ……」
一度言い出したら聞かない由奈は、ずっと玄関を見ていた。そして兄が外に出たのを確認して、
「行くわよ!」
と、私の手を取り、階段を駆け下りた。
好きな相手の体温が急に触れて、私は振りほどけない。繋いだ彼女の手は、真夏だというのにひんやりと冷たく、そして細かく震えていた。
素人の女子中学生ふたり、尾行など、うまくいくはずもない。
初めての彼女に浮かれている明良をつけて、待ち合わせ場所に到着するまでは問題なかった。
「あちらのふたりは、妹さん?」
移動先のカフェ、会話が聞こえるようにと近くの席に座ったのが敗因だった。明良は「由奈。浅野さんまで」と、絶句した。
どうして由奈を止めなかったんだ、と非難がましい目で見られたので、彼にならって、肩を竦めるだけで返しておいた。
見つかってしまったので、同席させてもらうことになった。兄の隣を陣取った由奈。仕方なく、私は彼の恋人の隣にお邪魔することになる。
「真田雪穂です。初めまして。お兄さんとお付き合いしています」
明良と同い年だという彼女は、たったふたつしか違わないのに、はっきりと大人だった。 堂々とふてくされてそっぽを向き、まともに挨拶すらしない由奈に対しても、誠実に頭を下げた。完全なる部外者の私にも、微笑みかけてくれる。
なんというか、清楚系美人だ。恋人の妹にツンツンされて、困り顔で微笑みを湛えている彼女を横目で見ながら、そう思う。
なるほど、明良はこういう子がタイプなのか。
由奈は中学に入ってから、髪の毛を少しだけ染めて、地毛だと言い張って通っている。校則違反にならない程度のメイクは、放課後には派手なラメ仕様に変わっている。
ギャルへの一途を辿っている妹が身近にいるから、正反対の雪穂に惹かれたのだろうか。
一度も染めたことのなさそうな黒髪は、うるさらストレートだ。コテで巻いたりとかもなさそうだし、私みたいに適当に結んだゴムの痕もついていない。
聞けば、同じ学校じゃないという。雪穂の通う高校は、市内でも有名なお嬢様学校だ。 思わず、「本当に、『ごきげんよう』って挨拶するんですか?」と尋ねてしまった。
嫌な顔をしたのは向かいの席の由奈で、雪穂は快く、「ええ。同級生相手には普通に『おはよう』って言うこともあるけれどね。先輩相手には常に、『ごきげんよう』なの」と、答えてくれた。
「なんでお兄ちゃんなんかと付き合ってるんですか」
明良が通っているのは、普通の公立高校である。制服もダサいし、校舎の改修も後回しにされていて、一部の教室は真冬には隙間風で死ねる、との噂がある、普通の学校。お嬢様との接点など、考えられないと由奈はぶつぶつ言う。
「塾のクラスが一緒なの。明良くんは数学が得意で……」
根掘り葉掘り、ふたりのなれそめから雪穂の個人情報まで聞き出そうと必死の由奈に、明良はうんざりした顔を見せる。
「おい。いい加減、その辺に……」
「お兄は黙ってて」
切り捨てられて唖然とする兄。丁寧にすべての問いかけに答える彼女。見ているだけの私に、ムキになっている親友。
傍から観察していても、由奈の負けである。雪穂は恥ずかしそうに、けれどしっかりと、明良への好意を隠さず語った。
「……」
すべての質問を打ち返されて、完全に弾切れの様相である。
由奈は完全に黙りこくって俯いている。このメンバーだと、自分からぽんぽん口火を切るのが彼女しかいないため、会話はまるで弾まなくなる。
こういうときこそ、男である明良に頑張ってもらいたいものだが、結局話をまとめたのは、雪穂だった。
「私は明良くんのことが好きだし、由奈さんとも仲良くしたいと思っているの。だから、よかったらこれから一緒に、遊びに行かない?」
明良は心底嫌そうな顔をしたし、巻き込まれただけの私には、もはや関係のない話になってきた。
由奈はどうするのかな、と窺えば、唇を尖らせて不機嫌丸出しの顔で、アイスティーを啜っている。
「私、実は妹が欲しかったのよね」
雪穂の言葉に、由奈は撃沈した。
真田雪穂という人は、とにかく性善説の人で、由奈がどんなに嫌味を言ったところで、気に病むことがなかった。
どこまでもポジティブに捉えるものだから、逆に由奈の方にダメージが蓄積していく。
「もういい加減にやめたら?」
花火大会の日、そわそわと出かけていった明良を追いかけるために呼び出された私は、何度目かわからないセリフを吐いた。
由奈はどうにか兄と彼女を別れさせようと奮闘した。明良がトイレに立った瞬間に、兄の駄目なところ、黒歴史的な過去を吹き込んだが、効果はいまひとつ。むしろ楽しそうに深堀りしようと質問してくるくらいだった。
ここまで来れば、彼らがお似合いの恋人同士ということを認めざるをえない。数メートル先で手を繋いで夜空を見上げているふたりは、周囲に溶け込んで、しっくり来る。いつもは下ろしている雪穂の髪も、浴衣に合わせてまとめられていた。
私の忠告は、喧噪にかき消されたフリで聞こえなかったことにしている。由奈は必死に、前にいるふたりを、いいや、兄を見つめている。
いよいよ花火が上がり始める。明良たちに興味のない私は、パッと開いた美しい光景に釘づけになるが、由奈はまっすぐ前を見ていたらしい。
「あっ」
何度目かの破裂音がしたとき、由奈が小さく悲鳴を上げた。隣にいる私にさえ、かすかにしか聞こえない、驚きの声。
私は由奈の視線の先にあるものを見て、目を丸くした。
連続して打ち上げられ、噴き上がる火花で照らされる中、恋人たちは口づけを交わしていた。
こうして見ると、明良はやはり男なのだと思う。雪穂をリードして、自分から唇を奪ったようだった。
知り合いのキスシーンなんて、見たくない気持ちもなくもない。けれどそれ以上に、花火の下でのキスはロマンティックで、まるで映画のクライマックスみたいで、見入ってしまう。
もしも私が好きな人――由奈にキスができるのなら、やっぱりこういう、思い出に残る初めてを捧げたいものだ。
ちらりと隣の由奈を見やる。彼女の唇にまず、目を奪われる。ラメの入った青みピンクの派手な色。荒れたりしないように、彼女はいつも丁寧にリップクリームを塗っていた。
その大切な唇が、震えている。血が滲みそうなくらい、強く、だけど小さく噛みしめていた。
彼女の目の奥にもまた、火花が見える。現実を映したものではない。着火したのは、雪穂への嫉妬だ。
花火が終わり、人の波が動き始めた。明良たちはこちらには気がつかずに、周囲と同じ余韻に浸ったリズムで帰途につく。
私は、由奈は動かなかった。邪魔だな、と嫌な顔をされても、ただただ立ち尽くしていた。
「由奈。もう、認めた方がいいよ。あのふたりの間には、どうやったって割り込めない……」
由奈の涙に気づき、語尾は消えた。メイクが落ちるのも厭わずに、彼女はハンカチでごしごしと目元を擦る。
「どうして? どうしてあの人なの? 私は美緒だから、お兄ちゃんのことを許したのに!」
ああ、そうか。激しい言葉に、ようやく腑に落ちた。
由奈が兄を見つめる目は、私が彼女を見つめる目と同じだった。そりゃあ、キラキラときれいに見えるに違いない。恋する乙女の瞳は、いつだって美しいものなのだから。
彼女は実の兄を愛している。家族としてではなく、異性として。
血が繋がらない、ということはないだろう。由奈は絶望の表情でさめざめと泣いて私に食ってかかる。彼女の鼻や口元は、明良とよく似通っていた。
「美緒、あの人からお兄ちゃんを取り返してよ!」
Tシャツの襟が伸びてしまうほど引っ張られた。間近で見る由奈の顔は、崩れたメイクでぐちゃぐちゃになっていたけれど、やっぱり可愛らしく、美しい。
喚く彼女の唇を塞いだ。
もう花火は終わってしまい、夜空の星の光は淡すぎて、私たちをスポットライトで照らさない。たなびく煙が、星影すら隠す。
由奈は私と兄をくっつけることで、私は由奈ではなく、その兄を好きだと偽ることで、自分自身の恋心を抑え込んだ。
付き合いたい、触れ合いたいという願望を捨てて、近くで見つめることだけ許されたい。 そんな風に、きれいに初恋を諦めようとしていた私たち。
でも、そんな方法なんて、最初からなかったのだ。明良には明良の意志があり、好きな人がいて、私たちの思い通りにはならない。
なら、もう捨ててしまおう。
「私、別に明良さんのことなんか、好きじゃない。私は由奈が好きなの」
驚きに満ちた彼女の目は、涙の膜に覆われて、やっぱりきれいだった。
「さよなら」
明かしてしまった以上、私たちの関係は終わる。
親友との別れのキスは、正真正銘初めてのキス。
けれど、何の味もしない。
私は自分の唇を舌でなぞってから、彼女に背を向けた。
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