ろうそくを吹き消したら(8)

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7話

 期末テストの数学で、満点を取った。鼻高々に差し出された答案用紙を見て、勝弘は彼の頭を撫でて、思い切り褒めた。

 てっきりはにかみ笑いでも浮かべて照れるかと思いきや、直樹は勝弘の手を振り払った。

 驚いたが、その耳が赤くなっているのを見て、子供扱いが恥ずかしかったのだと察した。茶化すのもかわいそうだし、勝弘はそれ以上、何も言わなかった。

 期末テストが終われば、夏休みだ。

「大学生って、夏休み、二ヶ月あるんだぞ」

 勝弘が言えば、直樹は「ずるい!」と吠えて、突っ伏した。

 そろそろ休憩にしようと思っていたところだったから、勝弘は笑って、彼の手からシャープペンシルを取り上げた。

「悔しかったら、早く大学生になりたまえよ」

 気取った口調でからかうが、直樹は顔を上げなかった。小さな声で、何事かを呟いていた。

 最近の直樹は、こんな風に、突如として機嫌が悪くなったり、勉強が手につかないというポーズをする。

 思春期だ。そういうこともある。

 こんなときは、放っておくのが最良の手段だということをすでに勝弘は知っていて、自分の鞄から、レポートを書くのに必要な論文を取り出し、ページを捲った。

 エアコンが風を送り出す音がする。一定のリズムで勝弘はページを捲る。

 やがて、「ああもう!」という声とともに、直樹が顔を上げた。

 暑苦しくなったのだろう、麦茶のグラスを掴むやいなや、がぶがぶと飲み干した。

「お母さんに、おかわりもらってこようか」

「いい。いらない」

 素っ気なく答えた直樹に、「そうか」と勝弘は、レジュメから目を離さずに言った。

「ねぇ、勝弘先生」

「んー」

「先生は、夏休みの予定、なんかある?」

 勝弘としても、大学に入学して初めての休みだ。顔を上げ、やや浮かれ気味に、指折り数えながら夏休みの予定を話した。

「まずは免許取りに行く。あと、サークルの合宿があるだろ。帰省もしたいし、花火も見に行こうと思ってる」

 口をパクパクしている直樹が面白かった。顔を接近させて、「それから」と勝弘は笑う。

「直樹の家庭教師」

 妙な顔で固まっていた直樹の瞼が、まず動いた。近くで見ると、彼の睫毛が長く天を向いているのがよくわかった。

 男同士で見つめ合っているのが照れくさくて、勝弘は身体を起こし、わざとらしく伸びをした。

「夏休みも、ほんとに来る?」

「来る来る。合宿のときは休みもらうけど、振替するって」

 ころころと表情を変える直樹は、初対面のときの無表情な人形ではない。

 後で聞いた話だと、最初にいきなり着替え始めたのは、勝弘を試すためだった。

 新しい家庭教師もまた、自分を性的な目で見てくるのではないか。周囲の大人に対して疑心暗鬼になっていた彼が、こんなに自然な姿を見せてくれる。

 きっと、こんな姿を見せるのは自分の前でだけだ。親にさえ、直樹はむっつりとクールを装った顔を見せる。

 彼のことを一番よく知っているのは自分だ。そういう優越感で、むずむずした。

 勉強だけではなくて、勝弘は直樹の悩みをあれこれ、相談に乗っていた。

 喧嘩したことや、帰宅部で部活をしている同級生の輪に入りにくいといった、友人関係のことが中心だったが、きっとそのうち、恋愛にまつわる相談も、増えてくるのだろう。

「花火大会かぁ。俺も行きたい」

 中学生らしく、無意味にシャープペンシルを回す指に、勝弘の目は吸い寄せられる。

 この手に触れて、彼の隣を歩く女の子は、どんな少女だろう。直樹よりも背は、低いだろうか。

 なぜか、息苦しさを覚えた。そんな自分に戸惑いつつ、勝弘は大きく息を吐きだして、言った。

「行けばいいじゃん。好きな女の子とかと」

 想像の中の直樹の恋人は、清楚な紺色の浴衣姿に変貌する。アップにした髪の毛のうなじが、きっときれいだ。夏の夜、花火が照らす直樹の頬は、瑞々しく赤みが差す。

「……行かない」

「え?」

 さっきと言っていることが違う。あまりの変わり身の早さに、勝弘の頭は現実に引き戻される。

 勝弘の脳内、幻の恋人を見つめていたのと同じ表情で、目の前に直樹は実在していた。明るい昼の光の中で、白い頬は染まっている。

 覗き込む目には、花火よりもまばゆいきらめきがある。

 文房具を投げ出して、直樹は勝弘の手を握った。掌は温かく、指先になるにつれて冷えている。

 緊張しているのか。でも、どうして。

「俺は、勝弘先生と花火に行きたいです」

 深呼吸の後に、直樹は言った。ひっくり返った声は、大人になりきれない、少年としかいいようのない声だ。

「あ~……ま、夜のお出かけには保護者がいなきゃだめだもんな。中学一年生は」

 直樹は子供で、生徒で、弟だ。立場を確認する意味で、勝弘は必要以上にゆっくりと、言って含める。

「違うよ! 俺はっ」

 熱を帯びた目は潤んでいる。

 泣くなよ、と茶化すには、自分たちを取り巻く空気はあまりにも冴えて、真剣なものであった。

「俺は、勝弘先生のことが、好きなんだ!」

 言葉には力がある。飾らない言葉を真っ直ぐにぶつけられて、勝弘の脳はくらりと揺れた。

 勝弘の動揺に、直樹は気がつかない。恋愛経験のほとんどない直樹に、相手の反応に気を配る余裕などない。

「だって、夏休み中に免許取ったら先生、可愛い女の子とドライブ行くでしょう? 花火大会だって、二人で行ったりするでしょう?」

 この至近距離で、同じことを考えて、不安になっている。妙なところで通じ合っているのがおかしい。

 だが、笑って適当にあしらうなどということは、勝弘にはできなかった。

「そんなの嫌だ。先生と、もっと一緒にいたいよ……」

 勝弘の手首を握りしめる手は、小さくて白くて、柔らかい。黙っていれば大人びているけれども、彼はまだ、子供だ。

 そして、彼より六歳も年上の勝弘だって、大人というには若すぎた。

「直樹」

 声が震えていることを悟られないように、祈った。

 本当は、断るべきだとわかっている。直樹のこれからの人生に責任を持つことなど、勝弘にはできない。

 直樹は白坂家の一人息子だ。病院の跡を継ぐことを、親も本人も希望している。

 勝弘が彼に応えることで、彼の両親への罪悪感は募るだろうし、申し開きをする勇気もない。

「来週まで、返事は待ってほしいんだ」

 すぐにこの場で拒絶するのも、いたたまれない空気になって嫌だった。勝弘は、返事を先延ばしにすることを選んだ。

 何を考えるべきなのかは、まだよくわからない。

 彼を傷つけない言い方なのか、それとも。

 直樹は唇を尖らせて不満をアピールしていたが、勝弘は彼にシャープペンシルを持たせる。

「さ、休憩終わり。集中しようぜ。次もまた、百点取れるように」

 しかし、勝弘はその後、直樹に返事をすることはなかったし、百点の答案を目にすることもなかった。

9話

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