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<11話
「またずいぶんと、ご無沙汰だったな」
氷抜きのウーロン茶を出したのは、バイトの青年ではなくて、ママ本人だった。今日はひとりらしい。
「新しい行きつけでもできたのかと思ったんだけどなあ」
優の店を贔屓にしているのだろう、と暗に投げかけられている。海老沢は頷くのも否定するのも違う気がして、首を傾げてわからないフリをする。
店によく行くのは本当だが、客としてではない。その状態を「行きつけ」とは言わない。
ウーロン茶を一口飲んで、口の中を潤した海老沢は、今日「ステラ」にやってきた目的を果たすべく、口を開いた。
「ねえ、ママ」
「ん?」
「キャンディーって、まだある?」
今日は他の客もいた。いい感じに酔っていて、そろそろ退店する空気を出していたが、聞かれて突っ込まれるのは面倒なので、自然と声は小さくなる。
「キャンディー?」
「そう。……魔法の」
つけたした声など、ほとんど囁きだった。
ママからもらった魔法のキャンディーは、あと三つ。泣いても笑っても、あと三回、九時間。
キャンディーがなくなるまでの間だけ、と思っていた。だが、優と触れ合えば触れ合うだけ、幸せを自分から放り出すのが嫌になる。もっと、せめてもう一瓶あれば……藁をも掴む思いで、ママのもとを訪れたのだった。
ママはやや思案した表情になる。「ママ?」と声をかけると、「ああ、なんでもない」と微笑む。それから、申し訳なさそうに切り出した。
「悪いんけど、エビさんにこないだ渡したやつしかないんだ」
「そう、ですか……」
ダメでもともととはいえ、期待していた。裏切られて肩を落とした海老沢に、ママは重ねて、「ごめんね」と謝罪する。
「いいえ」
残りのウーロン茶を飲み干してから、海老沢は注文に悩んだ。気持ちの落ち込みを酒が高揚させるかどうか。前回は自分への怒りのままに飲んだが、キャンディー以外の記憶はあまり残っていない。
「酒にするかい? それとも」
「……コーヒー、ください」
ここで頼んでも、優の店ほどのクオリティは望めない。ママも、「インスタントだけど、いいの?」と尋ねてくる。それでもいい。コーヒーがいい。
カクテルやワインと違い、ほとんどの客が注文しないコーヒーだ。優に、「お酒、弱いんですか。普段は何を飲んでいるんですか?」と尋ねられ、素直に「コーヒー」と答えたら、彼は次の来店時から、コーヒーを用意していた。
『勉強して、いつかもっと美味しいコーヒーをお出ししますね』
そう微笑んだ彼に対して、恋心はますます深まったものだった。
初めて「ステラ」でコーヒーを飲んだときから変わらぬ、白いシンプルなカップとソーサーのセットで、提供される。
「エビさん。このカップさ、優くんが選んで買ってきたんだよ、わざわざ」
「え?」
何の変哲もないカップにしか見えない。変わった意匠でもあるのかと、カップを持ち上げて底までまじまじと確認してみるが、あったのは量販店のブランドマークだけ。それもはげかけて、かろうじて読めるかどうか、というところだった。
海老沢の動作が面白かったのだろう。ママは声を上げて笑う。
「学生だった彼が、そんな高いものを買えるわけないだろ? 週五で働いてたくらいだぞ」
「確かに」
いつ店に寄ってもいるものだから、ママのところに住み込みで働いているのかと思っていた。ママに嫉妬していたのも、懐かしい。
「でも、なんで彼が?」
店の物なら、ママに一言言えば、もっといい物を買ってくれただろう。彼は「金ならある」と、グラスや皿は高級品で揃えている。
ママは海老沢をじっと見つめてから、「わかんないか……そうだよな、わかんないよな」と呟き、最後に小さく舌打ちをした。
「あ、ご、ごめんなさい?」
何か機嫌を損なうようなことを言っただろうか。自覚がなかったので、語尾を上げて謝罪をした海老沢に、ママは慌てて、「ああ、違う違う。エビさんに対してじゃなくってね」と、取り繕った。
じゃあ誰に対する舌打ちだったのだろう。さっぱりわからない海老沢を見て、ママはいろいろ諦めた様子だった。自分の分のグラスを出してきて、手酌で酒を注ぐ。それから、海老沢のカップにグラスを合わせた。
「俺はエビさんの味方だから」
「はい?」
なんだかよくわからないが、頼もしいことだけはわかった。
>13話
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