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<7話
「ねえ、エビくん」
「は、はい?」
ようやく調理補助にも慣れてきた海老沢だったが、現在の心配事は二つ。
「叔父さん、もう店に来ないのかな? 何か聞いてる?」
海老沢が三十八歳の会社員として来店したのは一度きりだったが、優は二十歳の喫茶店手伝いのエビくんとの関係性を見抜いていた。
翌日は残業もなく、店に手伝いにやってきた海老沢(二十歳)に対して、「エビくんって、そっくりなお父さんかおじさんか、お兄さんいる?」と、開口一番ツッコんできたのである。
同一人物です、と言えるはずもないので、「もしかして、叔父のことでしょうか……」とびくびくしながら認めた。万が一のときのために用意していた嘘だった。名前も、本名の海老沢隆ではなくて、弟・修の名を騙っている。用心しておいて、本当によかった。まさか、名前まで覚えられているとは思っていなかったのだ。
「えーと、仕事が忙しいみたいで」
妥当な理由を述べると、優はじゃがいもの皮を包丁で器用に剥きながら、「そうだよな。『ステラ』のママも、最近来てないって言ってたからな」と言う。
……「ステラ」に遊びに行く道も絶たれてしまった。
「また美味しい食事作って待ってるからって、伝えておいてもらえるかな?」
「はい、わかりました」
勘違いするな。優の誘いは営業努力なのだ。常連客になってくれそうな人間を逃すまいとしている。ただそれだけで、特別な意味はないのだ。
調理が粗方済んだところで、今日の賄いの話になる。海老沢を悩ませる問題、その二である。
今日は土曜日で、会社は休みだ。いつもより早く店に出てこられるから、賄いを優と一緒に食べることができる。
平日に来られない日が続いても、なんとしても土曜日だけは手伝いに行くのだと決めている。
だが、ここのところ気が重いのも事実。
「エビくんのために、家で作ってきたんだ」
賄いは基本的に、店で出す食事と一緒だ。だが、優は気遣いの男。二十歳の男の食欲というものを、身をもって知っている。
好きな食べ物を聞かれたときの、自分の答えもまずかった。肉じゃがはまだしも、筑前煮はあまりにもオッサン。オッサン通り越してじいさんかもしれない。
若者の好きそうなメニューを思い浮かべて、海老沢は無難な回答を出した。
『から揚げ、とかですかね』
結果、優は海老沢の賄いに、プラスアルファで揚げ物やこってりしたおかずを入れるようになってしまったのだった。
見た目は二十歳、胃腸はアラフォー。脂っこい料理はほんと無理。しかも多めに保存容器に入れて、「明日の分ね」と渡される。
残して捨てればいいのだろうが、わざわざ優が作ってくれたり、「これ、肉屋の美味しいメンチカツ」と買ってきた物を無下にするのは悪いし、勿体ない。
結果として、連日揚げ物になり、さらにその翌日は胃もたれで食事をまともに摂ることができなくなる。まさしく悪循環だ。
「今日は、あんまりお腹が空いてなくて」
今日の定食はロールキャベツだ。コンソメでじっくり煮込んでいる。調理中に、美味しそうだとこぼしていたため、優は海老沢の言葉を気兼ねしているだけだと受け取る。
「遠慮しないで。正当な報酬だろう?」
言いながらすでに、ロールキャベツをよそい、家から持参したエビフライをトースターで温めようとしている。レンジよりも、サクッと仕上がるのだ。
「エビくんはもっと食べた方がいいよ、本当に。あ、叔父さんにも言っておいてね。あの人もガリガリだから」
いいえ、最近は君のご飯の食べ過ぎで、若干太り気味です……。
テーブルに出されたご飯の量が多い。この半分、いや、三分の一でいい。どうしてエビフライを二本、こっちに寄越すのだ。優だってまだ若いんだし、自分で作ったんだから多く食べるべきだろう。海老沢の嘆きは、一切伝わらない。
「い、ただきます」
腹は減ったが、胃はしくしくと痛む。ここのところ、胃薬を手放せない。体によくないとは思っていても、飲まなければやっていられない。
「おかわりが欲しかったから、ご飯ならあるよ」
「大丈夫、です……」
そういえば、今日も朝から胃が重くて、コーヒーしか飲んでいなかった。
自然の味を生かしたロールキャベツは優しい味だ。素直に美味しいと思う。ゆっくりとなんとか食べ切って、残ったエビフライ二本が、いつもよりも大きく見える。
すでに食べ終えて、海老沢の食事を見守る態勢の優の前で、いらないと言えない。海老沢は震える手をどうにか押さえつけて、エビフライを箸でつまむ。
そして一口食べて、死んだ。衣が、油がダイレクトに胃を刺激する。ムカムカでは済まなくなってきた胸を押さえたかったが、咄嗟に口元を押さえた。
>9話
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