気弱なオメガの最初で最後、最高の選択(11)

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 士狼は次の日も休んだ。

「おはよう」

 自分以外の同僚たちにかけられる朗らかなあいさつに、雪人は反応を示さず、ただひたすら自分の前にあるパソコンに向き合った。

「休み、ありがとう。何か変わったこと、あった?」

 話し声が耳に入ってきて、キーボードを打つ手が止まる。

 何かあった、どころの騒ぎではなかった。

 コンプライアンス室に駆け込んだ雪人の告発によって、課長以下、オメガ差別のセクハラ、パワハラを行っていた連中は、謹慎中だ。目下調査中で、その後正式な処分が下る。

 課長たちは、上の人間にはいい顔をしていたため、雪人の告発なしには、発覚しなかっただろう。自分が黙って受け入れ続けていたら、遅かれ早かれ、彼らは社外にも迷惑をかけていた。もっと早く言えばかった。

 他の社員たちは、宣言どおり積極的に事情聴取に協力してくれている。何度も謝罪を受け、今は特にわだかまりはない。士狼以外は、という注釈がついてしまうのが、なんだかむなしかった。

 謹慎中の人員のカバーをするため、同僚たちは皆、忙しそうに立ち働いている。

 雪人はおそらくもう戻ってこないだろう連中の取引先のデータと、社内の人間の営業成績等をまとめていた。別の課から応援に来た上司に渡し、適性を見て営業先を振り分けるためだ。

 雪人は立ち上がり、昨日受け取っていたファイルを持って、士狼の元へ向かった。

「駒岡先輩」

 メールのチェックから始めた彼は、雪人の声に驚き、振り返った。表情は強ばり、しかし、周りに不審に思われない程度にすぐに和らげる。引きつった笑顔に、胸が痛む。

 恋心は、捨てられない。

 仲睦まじい姿に太刀打ちできるはずもないのに、諦めきれないのは、自分が何も言っていないからだ。

 パワハラとセクハラに悩んでいた自分が不満を口に出して、行動して、初めて救われた。

 それと同じで、士狼への恋心もまた、伝えることで初めて、終わらせることができる。

 終わらない限り、新しく始めることもできない。

 職場で愁嘆場を演じるつもりはない。雪人は感情を押し込めて、淡々と、

「これ、引き継ぎの資料です。よろしくお願いします」

 手渡して、彼の反応を待たずに背を向け、自分の席に戻る。背中に視線を感じるも、雪人は決して振り返らなかった。

 決着をつけるのは、ここではない。

 再びあの店に足を運んだのは、一週間後のことだった。

 本当は、もっと早くに来たかったが、仕事がとにかく忙しかった。業務の合間にコンプライアンス室に呼ばれたりして、残業が多くなった。

 金曜日、士狼がまた、有休を取った。どうしたんだろうね、と心配と好奇心の噂話が飛び交う中、雪人は確信を持っていた。

 つがいの具合が悪いのだろう。臨月というほどの腹ではなかったから、産まれるのはまだ先のはず。

 雪人は士狼の住んでいる家を知らない。スマホでの連絡は、一切応じてもらえない。どうにか店長に連絡を取ってもらって、話をしたい一心だった。

「春日井様、申し訳ありませんが、シロウというセラピストは当店には在籍していないのですよ」

 細い目をより一層細くしてつくる笑顔は、明らかに困り果てている。だが、雪人も今日こそは引き下がることはできない。

「そんなことはありません! 僕の家に来たのは、士狼というセラピストなんです!」

「どこか他の店とお間違いでは……」

「こちらしか利用したことありません!」

 やいのやいのと押し問答を続ける。雪人は内心で焦っていた。警察が呼ばれる事態は避けたい。迷惑行為で通報される前には、どうにか穏便に退散したい。

 大きな溜息をついた店長が、電話に手を伸ばした。限界か。

 そう思って目を閉じたが、どうやら様子がおかしい。

「ええ、ええ、はい。いらしていただければ……と。はい、では」

 店長が電話を切った気配に、恐る恐る目を開ける。彼は怒ってはいないようだった。少し呆れ、疲れてはいるが。

「あの……」

「二十分くらいお待ちいただけますか。今、オーナーが参りますので」

 言って、彼はコーヒーを淹れてくれた。恐縮しつつ、「オーナー?」と尋ねると、彼は蕩々と、この店のオーナーがどのように素晴らしい人物なのか、語ってくれた。

 最初はきちんと聞いていたが、話が二巡三巡、似たようなことを言っているのに気がついた雪人は、途中からどうでもよくなった。

 そのオーナーが来れば、士狼について何かわかるだろう。

「本当に、オーナーは素晴らしい方なんです。同じオメガの苦しみを理解しているからこそ、このような店をオープンさせ、そのためにどれほどの苦労を重ねたことか! 働いているアルファやベータを束ねるそのお姿! 私など到底、足元にも及びません」

 はいはい、と聞き流していたが、ある単語に、「ん?」と、コーヒーカップを置いた。

「え、オーナーさんって、オメガなんですか?」

「ええ。とても美しく可憐な、オメガの男性ですよ」

 自分以外にほとんど見たことがないくらい、希少なオメガ男性。

 それって。

「店長。お待たせ。それで、お客様は?」

 もしやそのオーナーは、妊娠しているのではないか……と、突っ込んだことを聞こうとしたタイミングで、事務所のドアが開いた。振り向けば、案の定である。

 周囲の目を引く美貌に、人懐こい笑顔を浮かべている。黙っていれば高嶺の花もいいところだが、表情豊かで人好きがするから、結婚前はモテていたに違いない。

 あの日、士狼と一緒にいたオメガだった。顔はよく見えていなかったけれど、髪の長さは同じだし、何よりも妊娠している。

 そして彼がここにいるということは。

「春日井……」

 ほら、やっぱりいるじゃないか。自分の子を宿した夫を気遣う、心配性のアルファ。店長の言葉は嘘で、雪人を厄介な客と認定し、従業員を守ろうとしていただけだ。

 雪人は士狼を見ず、オメガに向かって言った。

「あなたが、駒岡先輩……士狼さんのつがいですね」

 確信を込めて放った言葉に、なぜかオメガは――彼だけでなく、士狼や店長も、目を点にしている。思った反応と違ったため、「だって」とムキになって、彼の腹を見た。

「この間も、ここから一緒に出てきたじゃないですか。裏口で、いちゃいちゃして……」

「いちゃいちゃ? 気持ちわるっ」

 胎内の子が動いたのか、オメガは腹を撫でて笑った。どうしてこの場面で笑えるのか理解できずに、今度は士狼に向き直る。

「どうして、僕を抱いたんですかっ。こんなにきれいな方がいて、お腹には赤ちゃんまでいて。なのにどうして、僕のこと、あんな風に……つがいにしたい、みたいに……」

 言葉が詰まって出てこなくなる。彼に会えたら本当は、ずっと好きだった、素敵な家族とお幸せに、と言おうと思っていたのに、すべて飛んでしまった。代わりに滲み出してくるのは、恨み言と涙ばかりだ。

 ダメだ。ちゃんと言わないと。ここでお別れしなければ。

 顔を上げてまっすぐに士狼を見ようとした雪人はしかし、視界を塞がれていた。力強い腕で抱き寄せられた、逞しい胸板。初めてではない。覚えのある厚みと熱に、雪人の涙は引っ込んで、おずおずと見上げた。

「とりあえず……落ち着いて、話をしよう。店長、お茶淹れ直して」

「はいっ、ただいま!」

 訳のわからないまま士狼に抱き締められている雪人に、指示を出し終えたオーナーは、にっこりと微笑んだ。

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