気弱なオメガの最初で最後、最高の選択(12)

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(11)

「改めて、鳥飼とりかいつばさです」

 名刺と交互に、彼の顔を見た。鳥飼。駒岡じゃなくて。籍を入れない事実婚の関係なのだろうか。

 雪人の疑問は、表情にありありと浮かんでいたようで、つばさは笑ってつけ足した。

「旧姓は、駒岡」

「旧姓……?」

 雪人の向かいにつばさ。そして彼の隣に、雪人から引き剥がされた士狼が、大きな身体を小さくして座っている。彼が何かを言おうと口をパクパクさせる度に、つばさが牽制し、太腿を強くつねる。

 ちなみに店長は席につかず、直立不動で展開を……いや、つばさのことを見守っている。

「そう。俺は、コレの弟です」

「弟さん……!?」

 つばさのつがいは、現在海外赴任中だという。

「向こうで子ども産むのも心配だったし、店のこともあるしね」

 士狼は妊娠した弟がひとりでいることを心配して、付き添っていただけ。

 そう言われて、どっと力が抜けた。ソファにもたれかかり、自分の醜態と周りにかけた迷惑に思い当たって、すぐに謝罪をした。羞恥に頬が熱くなり、穴があったら入りたい。

 醜態に、うぐぐと唸る雪人に、つばさはいたずらっぽく笑う。

「兄さんは過保護でね。妊娠してからはうちの店をずっと手伝ってくれて……あ、事務作業だけなんだけど」

「え?」

 次々飛び出す新事実に、雪人はそろそろついていけなくなりそうだ。

 士狼が担当していたのは、事務だけ? なのになぜ、セラピストとして自分の家にやってきたのか。

 驚き士狼を見つめて回答を待つ雪人に、隣でにやにやしているつばさ。ふたりの視線を受け止めて、彼はやがて長い溜息をつくと、ぐちゃぐちゃと前髪を掻き混ぜた。観念して、ぽつりと話し始める。

「……他の誰にも、お前を抱かせたくなかった」

 雪人が反応するより先に、パーン、と軽快な音がした。つばさが兄の腿を、思い切り叩いた音だった。ばかなの? というツッコミである。

 虚を突かれた雪人が気を取り直して、「あの、それって……」と、どぎまぎしながら尋ねると、士狼は目尻を赤くしながら、言う。

「春日井が入社してきてすぐ、俺の運命のつがいだって、わかっていたんだ」

「え……」

 好きよりも、愛しているよりも重い言葉を投げかけられ、雪人の思考は、今度こそ完全に停止する。

 夢物語でしかない、運命のつがい。しかしそれは、一方的なものでは成り立たない。

「でも、僕」

 自分には、わからなかった。

 戸惑う雪人に、つばさは優しく語りかける。

「ねぇ、知ってる? ひとりのオメガに対して、運命のアルファは複数いることもあるんだよ」

 と、衝撃の事実を。

 言葉を失う雪人に、つばさはあれこれと説明をしてくれる。どうも、彼の夫は第二性別、とりわけアルファとオメガのつがいシステムに関する研究をしているらしい。聞きかじっただけの知識は、しかし最新のもので、まだ一般人は知らないことばかりだった。

「結局のところ運命のつがいなんてものは、効率よく子孫を残すための言い訳なんだって」

 ベータ同士の夫婦の出生率低下を補うように、最近では運命だと主張するつがいが増えている。オメガに複数の運命の相手がいることもまた、同時期に判明した。

「子どもを生むのは俺たちオメガだからね。どっちの種で孕みたいか選ばせてくれるんだよ。それに、アルファよりオメガの方が少ないしね。まったく、よくできてるよねえ」

 からっと笑うつばさに、士狼は「お前はもうちょっと、言い方ってもんが……」と、小声で苦言を呈するが、兄のことは容赦なく無視をして、いまだに何も言えない雪人のフォローをする。

「もちろんそれでも、運命のつがいに出会う確率は、ものすごい低いんだけど」

 誰でも彼でも運命になるのではないとわかったが、雪人の一番の疑問は解消されていない。

「でも、運命のつがいって一目見ただけでわかるんじゃ……」

「ああ、それも嘘嘘。百パーじゃないよ。ベータが作ったドラマの影響なんだよね」

 確かに一目見た瞬間に、「この人こそ!」となる場合がほとんどだが、それはある程度経験を積んだ大人の場合。幼いうちに運命のつがいと出会っても、強烈な印象を残さずに終わってしまう。

 雪人はいい年をした大人だが、経験値は著しく低い。なにせ、身体の関係を結んだのは丈だけで、恋愛だってまともにしてこなかった。人見知りを言い訳にして、他人と新たな交流をするのを拒んできたせいで、小学生以下だ。

「だから、気づかなかったんだ……」

「そういうことだね」

 うんうん頷いて、次につばさは、士狼に矛先を向けた。

「で、兄さんはどうして春日井さんに何も言わなかったのかな? 最初から気づいてたのに」

 そうだ。告白されていたら、いちもにもなく受け入れていた。雪人の好意は伝わっていただろうに、士狼が何も言わなかったのは、どうしてだろう。

 たとえ運命でなくても、アルファは自分の気に入ったオメガをつがいにしたいのが本能だ。

 つばさの笑顔には、圧があった。直接向けられているわけじゃない雪人ですら、背中が寒いのだから、士狼の感じているプレッシャーは、いかばかりか。

 だが、そんな顔すら「お美しい!」と心酔している店長が傍にいるため、室内の雰囲気は、やや緊張感に欠ける。

 士狼は、答えあぐねているようだった。口を開き、そして固まる。それを数回繰り返す。彼の隣に座ったつばさの笑みはますます深くなるが、指の関節がバキバキと音を立てている。

 見るに見かねて、雪人は自分から話を始めた。

「あ、あの、僕はすぐ言ってくれなかったことはどうでもよくて……それよりも、どうして最近、きちんと話をしてくれなくなったのかが知りたいです。お店にもご迷惑おかけしましたし」

 雪人としては、助け船を出したつもりだったが、逆効果だった。

 つがいになりたい相手を無視して不安に陥れたことに、つばさは烈火のごとく怒りだした。自身もオメガであり、オメガが心身ともにリラックスできる風俗店を経営する彼は、迷惑客であっても、雪人の味方をしてくれるらしい。

「はぁ? 何それ? アルファごときが俺たちオメガを無視するとか、調子乗ってんじゃないの?」

 言葉の端々から、つばさが自分の性を誇らしく思っていることがわかる。雪人など、一度としてそんな風に思ったことはなかった。

オメガ性は煩わしく、日常生活を苛むばかり。アルファによって生かされるだけ、特に外見上は男だからこそ、自分が一段劣った人間のように感じられていた。

 今は、そんなことはないと知っている。性別と人間性に関連はないし、会社で辛く当たられていたのだって、結局のところ、雪人に落ち度などなかったのだから。それゆえに、士狼が心変わりして、話しかけてくれなくなったのが、悲しかった。

「先輩。僕の何がいけなかったんでしょうか?」

「ちがう! 春日井は、何も悪くないんだ」

 間髪入れずに返したあと、士狼は怒濤のように話を始めた。

 まず、雪人を運命の相手だと認識しながらも、何も言わなかったのは、「選ぶのは自分じゃなく、春日井だから」という理由であった。極端な思想の影響で、彼は自然とオメガを尊重するようになった。

「見るからに気が弱そうだったし、今のパートナーといずれつがいになるつもりかもしれない。そこに俺が割り込んだら、春日井が嫌だと思っても、受け入れてしまうだろ?」

 いつでも自信満々の彼が、少し小さく見えた。

 ああ、そうか。恋愛に対しては、誰だって臆病になるものなのだ。

 運命の相手とは言っても、もうすでに他人とつがいになっていたら、どうしようもない。一生の相手を定めると、オメガはフェロモンの分泌量が減るし、アルファは他のオメガのフェロモンが効きにくくなる。すなわち、運命に気づけなくなるのだ。

 雪人は性的に奔放な印象はないし、実際に奥手だった。セクハラ質問に対する雪人の反応を観察して、特定の相手がいることを悟った彼は、雪人の意志を尊重しつつ、これまで地道なアプローチを続けていた。

 そう、雪人が丈との関係を解消して、店に予約を入れるまで。

「メールを見た瞬間に、神に感謝したよ。大げさじゃなく」

「先輩……」

 雪人の心を大切にしようとしていた士狼が、初めて賭けに出た。発情期の雪人とセックスをすることで、これまでのパートナーよりも自分がつがいにふさわしいのだと、思い知らせようとしたのだ。

 オーナーと店長のいる前で、店の客をひとり横取りしたことを告白しているのだが、彼らは特に、口を挟み、文句を言うことはなかった。

 どころか、聞いていられないと、勝手にお茶のおかわりを入れ、菓子にも手を出して、ふたりの世界の蚊帳の外にいる。

「けど、あの日」

 士狼は丈のことを思い出した途端、不機嫌そうに眉根を寄せた。仕事中でもあまり見ない表情に、雪人は背筋を伸ばす。

「春日井は、あの男のことが、まだ気になるのか?」

「はい?」

 間抜けな声で返事をしてしまった。そのくらい、意表を突いた質問であった。どうしてそんな風に思ったのか尋ねてみれば、予想だにしていなかった回答が返ってくる。

「……あの男のことを、じっと見つめていたから……」

 慌てて雪人は弁明をする。あまりの熱弁に、途中から士狼の方がたじたじになるほどであった。

「ちがいますっ。僕が丈のことを見てたのは、うらやましかっただけなんです! 唯一無二の相手に出会って、一緒にいられるあいつのことが……ぼ、僕も、先輩のつがいになれたらいいと、ずっと思っていました!」

「春日井……」

 事の真相を理解した士狼は、脱力してソファにもたれかかった。

「よかった……てっきり、彼も春日井の運命の相手なのかと思っていた」

「まさか!」

 丈に真剣な告白をされる想像をしてしまい、鳥肌が立った雪人は、秒で否定した。

 幼なじみとして、数少ない友人として貴重な存在だが、つがいになりたいか、彼の子を産みたいかと言われれば、全力で「それはない」と言える。丈の方だって、似たようなことを言うにちがいない。たとえ蜜葉に出会っていなくたって、雪人をつがいに選ぶことは絶対にない。

 そう思って、腑に落ちた。

 そうだ、最初から自分は、選んでいたのだ。丈ではない誰か。いつか出会う、たったひとりの相手。それが、士狼だったのだ。

「あの、先輩……士狼、さん」

 呼び名を変えたことで、察してほしい。もじもじしている雪人に気づいたのは、つばさの方が先だった。肘で兄をつつき、「びしっと決めてよ?」と、促した。

 士狼は立ち上がり、さっと雪人の方にやってきて、その場で跪き、手を取る。

 貴公子に求婚される村娘って、こんな気分だろうか。自分のことをお姫様だと言い張ることができるようになったとき、オメガという性を誇ることができたと言えるのかもしれない。

「春日井。俺のつがいになってくれ」

「はいっ」

 即答し、ぎゅっと抱き締められる。幸福で満たされて、頭がぼーっとする。

「ん?」

 反応したのは、士狼だった。少し遅れて、雪人も自分の身に起きていることに気づく。

 そんな。まだ発情期までは時間があったはずなのに、どうして突然。

「まあ、両思いになったらそうなるよね」

 動悸がする中で、つばさがのんきにそう言った。

「店長、部屋空いてる?」

「すでに準備しております」

 懐から鍵を取り出した店長は、まったくもって抜かりない。

「春日井。行こう」

 脚に力が入らない雪人を抱き上げて、士狼は店長の後に、足早に続く。

「兄さん、ひとつ貸しだからね」

 ひらひらと手を振るつばさの声が聞こえた。

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