気弱なオメガの最初で最後、最高の選択(2)

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 ペーパーレスがどうのこうの、ビジネスニュースでは有識者が議論しているが、雪人ゆきとの務める会社には無縁の言葉であった。

 毎月の申請をオンライン上でできるようにして、人事が直接決済してくれたらいいのに。普通の有休だって、その方が便利でいいじゃないかと思う。

 下っ端事務員の雪人に、会社のシステムに意見する権限も勇気もないから、考えるだけだ。仕方なく申請書を印刷して提出するのだが、これが毎月、憂鬱な時間だった。

「課長。こちら、よろしくお願いします」

 ちらりと雪人を見る目は厳しく、どこか含みがある。休暇の申請理由を見て、これ見よがしに溜息をついた。普段から声の大きな中年男性だが、さらに声を張り上げて、雪人を貶める。

「また発情休暇? どうにかなんないの、それ」

 発情休暇というのは正しくない。月経と同じで、オメガの発情期は自分の意志で制御できないものだから、事由はすべて、「生理休暇」である。会社の制度で認められているものなのに、課長は利用する社員を嫌っている。

 勤続年数が長いオメガの女性社員などは、「どうにもなりませんね。早くハンコください。仕事したいんで」と、無表情で圧をかけて迫るけれど、雪人にはできない。

 へらり笑って、ぼそり、

「どうにか……なればいいんですけどね」

 などと言えば、捌け口を見つけたとばかりにセクハラとパワハラの餌食にされてしまう。そんなことが入社以来、毎月続いているのだ。たった三日間のことだし、うまく土日にかぶれば一日だけで済むのに、何が不満なのか。雪人には理解できない。

「そもそもオメガなんて、俺たちの若い頃にゃ、早くに結婚して家庭に入ってたんだ。大学どころか、高校さえ満足に通っていなかったんだぞ」

 一向に印鑑を押す気配がない。雪人の背中は徐々に丸くなり、ただ相づちを打つだけの人形になる。

 昔からそうだ。

 ただでさえ、人口ピラミッドの中で一番割合が少ないオメガ。中でも、第一性が男のオメガは希少だ。自分が子を産むことのないアルファやベータの男は、同じ男のくせに妊娠出産が可能なオメガを異物として捉え、コミュニティから排除にかかる。

 仲間はずれのやり方は、いつも同じだ。ことさらに性的なからかいをぶつけ、オメガが否定したり怒ったりする様子を見て、そのたどたどしさや過剰な反応を、さらに嘲笑う。

 課長の「ベータの男である俺様から見たオメガ論」という、まるでありがたくない説教を、雪人はいちいち真に受けてしまう。

 周りで知らん顔をしている同僚たちと同じように、右から左に聞き流せばいいのに、生返事ではいけないと思ってしまう。それが課長を調子づかせていることも、わかっている。

 最近は「こいつには何を言ってもいいのだ」と思われているようで、営業部の若手社員たち、後輩からすら、性的なからかいを受けている。

 やれ、「アルファの女とヤったことある? ベータの俺たちよりもデカいらしいじゃん」やら、「セックスするために休暇取れるんだから、いいご身分ですよねえ」やら。

 そんなにうらやましいのなら、代わってもらいたい。

「休暇が必要なほど、精力がありそうにも見えないけどなあ、春日井は。それとも発情期のときはそんなに乱れるのか? ん?」

 いよいよ昼間のオフィスでするのにふさわしくない話題になり、ぎゅっと目を瞑った瞬間、快活な声が遮った。

「お話中のところ、すいません。外回りの前に、春日井かすがいの資料を受け取りたいのですが?」

 セクハラ発言に淀んだ空気が、晴れ渡った。目を開けた雪人の前には、自分を隠すように立ちはだかる、広い背中。

夏期休暇明け、まだまだ暑い日が続いている。仕立てのいい上着を着こなした彼は、ちらりと雪人を見て、涼しげな様子で微笑んだ。

 駒岡こまおか士狼しろうは、営業一課のエースだ。毎月の新規契約数は断トツでトップ。既存の顧客からも新たなニーズを引き出すのが上手く、社内外から信頼されている。

 課長も彼には一目置いており、小さく眉根を寄せて咳払いをすると、雪人の休暇申請書に黙って了承印を押し、ぺらりと投げてよこした。キャッチし損なった用紙を士狼は拾い上げ、「はい」と雪人に渡してくれる。

「あ、ありがとうございます」

 もちろん、課長から救い出してくれたことに対しての礼だったが、士狼の返事は軽い。

「気にするなよ。それより資料、見せてもらっていいか?」

 こういうところが、そつがない。

 雪人の感謝の言葉を、あえて軽く見せることで、用紙を拾ったことに対してだと誤認させる。自分にも雪人にも、課長のヘイトがこれ以上向かないように。

 彼は雪人の背中を優しく一、二度叩き、デスクへと促した。

「……うん、見やすくてすごくいい。俺の営業成果を支えているのは、春日井だよなぁ」

 できあがっていた資料を渡すと、その場でチェックをする。満足そうに褒めてくれる彼に、いよいよ雪人の頬が赤くなる。

「い、いえ。そんなことは……」

「謙遜するなって。褒め言葉はまっすぐ受け取る」

 その後にぼそりと、「嫌な言葉は、受け入れる必要なんてないんだからな」と、励ましてくれた。

 子どもにするように、彼は雪人の頭をぽんぽんと優しく撫でる。

「おっと、これもセクハラか」

 笑う彼に、首を横に振った。

「それじゃ、これ使って新しい契約取ってくるからな。待ってろよ」

 いってらっしゃいませ、と言う暇もなく、士狼はオフィスを出て行った。彼の背中を目で追うのは、課の女性社員全員と、雪人である。

 なんてスマートで、かっこいいんだろう。

 ほう、と溜息が出る。

(先輩が、アルファだったらな……)

 人口の八割がベータ男女である社会で、オメガは発情期もあるし、男女ともに小柄で色素が薄いため、外見でジャッジされやすい。また、雪人自身もそうであるように、中性的でどこか頼りなく、儚げな容貌が特徴的だ。まるで、アルファに摘まれるのをじっと待つ花のように。

 だが、アルファとベータは見た目で判断するのは難しい。

 アルファのには、自身の第二性別をひけらかすのははしたないという風潮があり、口外する人間も少ない。

 まあ、その考えのせいで、一目瞭然でオメガとわかる自分たちが見下されている節もあるわけで……。

 士狼は仕事ができるだけではなく、容姿も際立っていた。

 一八〇センチを優に超えた恵まれた肉体に、小さな顔がバランスよく乗っている。真顔は凜々しく、けれど笑うとチャーミング。ディズニー映画の王子様のように、表情豊かである。

 そんな彼の第二性は、アルファだろうというのが、大多数の予想だ。けれど、優秀なアルファが、こんな小さな会社で甘んじているわけがないだろうと、ベータ説を推す人間も少なくない。

 いずれも憶測で、確認する術もないし、どちらでもよかった。憧れを超えた恋心は、士狼の第二性がどちらであっても変わらない。

 会社の中で唯一、自分のことを優秀な後輩だと言ってはばからない。法律でオメガを雇用しなければならないと決まっているから、特別枠で採用されただけ。発情期があって月に一度は寝込むから、「男のくせに」事務職に甘んじるしかない雪人を、見下したりしない。

 士狼は、誰にでも平等だ。かばい立てするのは、雪人に対してだけじゃない。

 些細なミスを必要以上に責め立てられる同僚や、女性だという理由で立派な営業成績にケチをつけられているのを見ると、同じようにスマートに、事を荒立てないように救済するのだ。

 そんな士狼のことを、慕わない人間なんていない。実際、女性社員を中心に彼はいつでも噂の的だったし、雪人はいつも、彼女たちの話に耳をそばだてては、「恋人はいなさそうだ」という情報に安堵していたのだ。

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