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休暇初日、雪人はひとり暮らしのアパートで、緊張しながら来客を待っていた。
ヒート中の過ごし方は、人によってまちまちだ。軽度のオメガは、ひたすら部屋にこもってやり過ごすが、たいていは誰か相手を見繕って、性交に耽る。
つがいがいれば困らないが、独り身の雪人にとっては、相手を探すのも大変である。
とはいえ、先月まではこんな雪人にも、パートナーがいた。うなじを噛まれていないので、つがいではない。幼なじみで、初めての発情期にうなされていた雪人を、「辛いんなら、俺がしてやってもいいけど? 男のオメガに興味あるし」と、抱いてくれた。
誠実とか親切とはとても言えないが、当時は藁にも縋る思いだった。
十代後半から三十代にかけては、生殖本能が高まるために、薬では抑えきれない。セックスは、心身の健康のために必要不可欠だ。
だが、そんな幼なじみにもつがいとなるオメガが見つかった。
『いや~、出会っちゃったんだよねえ、運命ってやつ』
頭を搔きながら、軽い口調で報告するわりに、彼の表情は真剣そのものだった。雪人はおおいに驚き、「おめでとう」と、心から祝福した。
アルファやオメガは、軽々しく「運命」を口にしない。勘違いや気分が盛り上がったせいではなく、本当に存在することを知っているからだ。
運命のつがい。うなじを噛む/噛まれるで成立するつがいとは違い、お互いに本能レベルで惹かれ合い、見た瞬間に相手が「それ」だとわかる。全アルファ、全オメガが求めてやまないもの。
出会えた幼なじみは幸運で、すぐにつがいになったという。だから、雪人の発情期に付き合うことはできない。あれだけあちこちにセフレがいた彼が、たったひとりのオメガ対しては、誠実な夫になれるのだと思うと、感動すらあった。
そんなわけで、先月パートナー関係を清算した。もう幼なじみの助けは借りられない。
そこで雪人が頼ったのは、オメガを中心に商売をしている、リラクゼーションサロンだった。
もちろん、一般的なマッサージ店ではない。発情期のオメガのための性風俗店である。
独り身のオメガの中でも、マッチングアプリなどを使って積極的に相手を探すことのできる人間もいれば、雪人のように引っ込み思案で、なかなか自分から行動できない人間もいる。
そうしたオメガは、金を払って発情期をともに過ごす相手を呼ぶ。健康的な生活のためだから、国としても利用を推奨しており、発情期の際の利用は、補助金が出る。
セラピストとのセックスは、店の部屋を借りたり、ラブホテルに呼ぶこともできるのだが、なるべく外に出たくない雪人は、自宅マンションにセラピストを呼んでいた。
時計をチラチラ確認して、ベッドの上で落ち着かない。すでに心拍数が上がり、呼吸が乱れるという初期症状が現れているせいだけではなかった。
何せ、幼なじみ以外とセックスをするのは、初めてなのだ。
事前に風呂に入って、妊娠を防ぐための経口避妊薬を飲んで、準備万端で相手の到着を待つ。
セラピストの指名もできたが、ネットで写真を見ても、ピンと来なかった。脳裏に士狼のことがよぎったのもあるが、オメガの自分が、アルファやベータの男の中から、好きな相手を選ぶという行為自体に違和感を覚えた。
結局、「アルファ男性」とだけ指定して、予約メールを送信した。
ちなみに、店には挿入側のすべての性別、ベータ男性やアルファ女性も名を連ねていた。万一の妊娠を避けるには、ベータ男性が妥当だ。
しかし、学生時代から今に至るまで、雪人をからかうのはベータの男ばかりで、苦手だった。アルファ女性など、見たことがない。消去法でアルファ男性を選ぶしかなかった。
そうこうしているうちに、予約時刻の五分前になった。チャイムが鳴り、オートロックの解除に向かう。
「はい」
『リラクゼーションサロン「セレネ」から参りました』
なんだか聞き覚えのある声だな、と思いつつ、解錠した。ついでに、カメラが送ってくる来訪者の映像を確認して、雪人は固まった。
「……駒岡先輩?」
画像は荒く、彼はすぐに建物内に姿を消したため、映ったのは一瞬だった。ただ、他人の空似だと結論づけるにはあまりにも似ていた。
会社は副業可とはなっているものの、公序良俗に反しないという規定がある。風俗店のキャストは、明らかに闇副業だ。それに、今日は平日で、まだ勤務時間中のはず。
まさか、あの士狼が? いやいや、そんなわけない。
しかし、部屋の中に迎え入れることになったのは、正真正銘、駒岡士狼であった。
「な、ななな、なんで……っ!?」
うろたえるあまり、飛び退いた雪人はバランスを崩し、転びそうになる。
「おっと」
士狼は雪人の手を引いて、腕の中へと抱き入れた。
抱かれてみたい、触れてみたいと思っていた胸に実際受け止められると、もうだめだった。スーツの上からではわからない、無駄なく鍛えられた筋肉の熱さに、一気に理性が蕩けていく。
見上げる雪人の熱視線に、士狼は微笑んだ。よき先輩としてのものではない。自分が頂点であると疑わない、強い雄の顔だ。
ああ、アルファだ。夢みたいだ。
どちらでもいいと言いつつ、そりゃ、アルファの方が嬉しいに決まっている。つがいになれる可能性が、わずかながらでも存在するのだから。
士狼は靴を脱ぎ捨てて、雪人を支えて寝室へと向かう。きっちり整えたベッドに寝かされ、覆い被さられた。
「薬は?」
「の、飲みました……っ」
間髪入れない返答に、士狼は目を細める。
「のぼせ上がって、ゴムつけるの忘れるかもしれないからな……いい子だ」
言葉と同時に頭に伸ばされた手は大きく、撫でられると気持ちいい。性的な接触とはいえないのに、目の前は涙で見えにくいし、身体の奥から、じゅわりと滲み出る欲望のエキスが下着を濡らし始めた。
士狼は雪人の顎を捕らえる。焼き切れる寸前の理性で、彼は最後に尋ねた。
「キスはしても?」
セックスと違い、キスは必須ではない。
だから、オメガの中には身体は許しても唇は許さないという、昔の遊女のような人間も多い。実際、雪人も、元パートナーの幼なじみとは一切キスを交わさなかった。
士狼の唇を見つめる。適度な厚みがあり、大きな口。一口に飲み込まれてしまいたい。表面が少しかさついているのを見て取って、雪人はもう辛抱ならず、自分から彼の首に抱きついて、口づけた。
一瞬の接触に、士狼は驚き、目を瞠る。しかしすぐに細めると、「本当に、お前は……」とだけ零し、雪人の唇を己のそれで塞ぎ、舌を絡め取っていった。
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