気弱なオメガの最初で最後、最高の選択(7)

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 それから二ヶ月が経過しても、ふたりの関係は変わらなかった。変えられなかったのは、雪人自身の性格の問題である。

 職場では雪人をフォローし、週末は食事に行く。発情期で店に予約を入れれば、必ず士狼が来てくれた。

 数度の逢瀬で、コルセットはすっかりダメになってしまったから、買い替えなければならない。

 ヒートに苦しむオメガを救うのが、サロンの理念だ。だが、傷ついたコルセットの残骸は、士狼の個人的な感情を表している気がしてならない。

 告白をすれば、受け入れてもらえるだろう。つがいは図々しいが、パートナーとしてなら。

 それでも、「好きです」の「す」の字すら言えないのは、やはりアルファとオメガにつきまとう、「運命」という言葉が引っかかるせいだった。

 物語の世界にしか存在しないと思っていた運命のつがいが、身近なところに存在するせいで、意識するようになってしまった。

 もっとも、自分がそうした存在に出会うかもしれない、という期待を込めたものではない。士狼に運命のオメガが現れたらどうしよう、というのが大方の悩みである。

 一目惚れから始まった恋だが、到底運命だとは言えない。

 もしも自分といるとき、彼が自身の唯一のつがいと出会ってしまったら……。

 そのとき、潔く身を引くことができるとは思えない。情けなくも縋りつき、泣き喚き、幻滅される未来しか見えない。

 そう考えると、もうダメだった。悲観的すぎると重々承知しているが、自分から一歩踏み出すことはできない。

 丈は「金でセックスするなんて卑しい」と言ったが、金で繋がった関係だからこそ、安心して一緒にいられることもある。

「春日井?」

 今日は職場の隣駅にオープンしたばかりのステーキハウスに行く予定で、腹を空かせるために歩いていた。手首をぐっと掴まれ、引き寄せられる。

「赤だぞ」

「あ……すいません」

 往来の激しい通りで、信号無視をするところだった。苦笑いで謝罪すると、士狼は眉根を寄せてこちらを見つめる。

「大丈夫か?

「いえ、なんでも……あ、青になりましたよ」

 率先して、横断歩道を渡る。予約時間ちょうどに店の前に到着したところで、声をかけられた。

「雪人じゃん。何、お前も飯食いに来たの?」

「丈……」

 パートナー関係を解消してから、直接顔を合わせるのは初めてだった。

 運命のつがいと結婚して所帯を持ったはずなのに、彼は相変わらず軽薄な様子で、ヘラヘラと近づいてきた。隣にいるのは、くだんのオメガであろう。

 雪人の視線は、自然と自分と同じオメガに向く。彼女もまた、じろじろと雪人を観察する仕草を隠さない。男のオメガはやはり珍しいのだろう。

「誰?」と耳打ちをされて、士狼が蚊帳の外になっていたことに気づき、慌てて紹介をする。

「こっちは僕の幼なじみで、倉木丈です。で、お隣が……」

 結婚相手の名前は、そういえば聞いていなかった。雪人の言葉の後を丈が継いだ。

「俺の奥さんの、蜜葉みつはでーす」

 初めましてを交わす。自分も人見知りだが、丈のつがいである蜜葉は、輪をかけて人との付き合いが苦手な様子だ。

 彼女は無言で会釈をして、すっと丈の陰に隠れた。彼の袖をちょこんと握っていて、丈はまんざらでもなさそうに、小鼻を膨らませて、「うちのつがい、可愛いだろ!」と自慢する。

 素直に、「いいなぁ」と思った。何人ものセフレがいた丈だが、彼女に出会い、一切合切手を切った。

 それほど大切な相手、唯一無二なのだ。うらやましいし、微笑ましい。

 雪人が同じオメガの蜜葉を気にするのと同様に、アルファはアルファ同士、意識するものらしい。特に丈の方は顕著で、じろじろと士狼を値踏みしている。

 好意的とは言いがたい視線にも、士狼は動じなかった。にこやかな態度を崩さずに、「はじめまして。駒岡です」と、年下の男相手にも礼儀正しい。

 さすが先輩、懐が深い。

 オメガにも、アルファほどではないが張り合う気持ちは多少ある。雪人は蜜葉に向かって、こっそりと目くばせした。つがいどころかセックスパートナーですらないが、彼女にはわからない。

「ふーん」

 それ以上話が膨らまないのに、店の前に立ち尽くしているのもどうか。蜜葉も気になっているようで、丈の服の裾を引いている。だが、彼は士狼に因縁をつけるのに忙しい。

 昔から、そうだ。丈は見かけたアルファに、片っ端から喧嘩を売る人間だった。いつも以上に嫌な感じなのは、いまだに雪人のことは、自分に所有権があると思っているせいだろう。

 士狼は場の空気を変えようと、雪人に話を振った。

「しかし、珍しいな。幼なじみと、この年になっても仲がいいなんて」

「ああ、そうかもしれませんね」

 多くは語らず、愛想笑いをした。

 思春期を迎えた頃からずっと、ヒートの時期に雪人とセックスをしていたのは丈だということは、士狼はもちろん、蜜葉にも明かしたくない。

 彼らも彼らなりに、多くの人間と関係を持ってきただろうが、こんな場所で話すことではない。

 穏便にごまかして、店に向かおうとした雪人の心境を、丈は長い付き合いなのに、理解しなかった。身体は何度も繋げたけれど、心はまるで通い合っていなかったことの証左だ。

 ぐい、と雪人の肩を引き寄せて、士狼から引き離したかと思うと、ニヤニヤする。

「まあ、元パートナーだからな。そりゃあ、フツーの幼なじみよりかは仲いいよ」

 な、雪人?

 同意を求められて、顔が引きつった。血の気が引いていくのも感じる。笑っていられなかった。

「ちょっと。やめろよ」

 冗談だと流そうと、丈の身体を押しのけた。蜜葉の表情も暗い。裾を引く力も強くなっている。早く店に入ろうと言うが、彼女の声は大変小さくて、丈には聞こえない。

「こいつがオメガなのは知ってますよね? 俺が蜜葉に会うまで、こいつ、俺としかセックスしたことなかったんすよ」

 ヘラヘラ笑いに、殺意が芽生えた。ぶん殴ってしまいたい気持ちに駆られたが、「丈! もう今日は帰る!」と、怒った蜜葉に免じて、拳を収めた。

「おい、おい、蜜葉!」

 おそらく妻のやきもちを見たかったのだろうが、丈は加減を誤った。

 彼らが立ち去ると、雪人は肩の力を抜き、恐る恐る横に立つ士狼を見上げた。彼の表情は強ばり、丈たちの背中をずっと睨みつけている。

「先輩?」

 心なしか青ざめていて、不安になって声をかける。一瞬反応が遅れた彼は、こちらに笑顔を見せて、「ああ……とりあえず、店に入ろうか。予約時間だし」と、雪人を促した。

 食事中も、どこか彼は上の空だった。普段は士狼の方からさまざまな話題を振ってくれるが、今日は雪人が奮闘して話しかけなければ、重い沈黙が続く。

「先輩、体調でも悪いんじゃ」

 結局彼は、ほとんど食事に手をつけなかった。雪人は帰り際に彼を気遣った。士狼は雪人に微笑んでみせる。唇は笑みをつくっていても、目の奥には、悲しみが宿っている気がする。

「大丈夫だから」

 そう言った彼とは、店の前で別れた。

 いつもなら、駅まで喋りながら帰るのに。士狼が酒を飲んだときは、自分の家に泊めることもあった。

 雪人は言い知れぬ不安を抱きながら、彼の背を見送った。

「また月曜日に……」

 そう小さく言うことしかできなかった。

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