不幸なフーコ(14)

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ライト文芸

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13話

 スマホを取り出して母に連絡してみるものの、既読にすらならなかった。今日もどこかで何かしているのだろう。専業主婦だというのに、ちっともじっとしていない。ボランティアか、老人ホームに入っている曾祖母の見舞いか。

 曇天を睨み上げる。しばらく待てば止むと信じて雨宿りをする人、とっとと帰宅したいのか、意を決して豪雨の中に飛び出す人。

 私はさすがに、まだ一年目の夏服セーラーを大切にしたいので、雨宿りを選択した。その間に、家族のグループチャットに気がついて、誰かが傘を持って迎えに来てくれるかもしれないし。

 ゲームもやらないし、SNSもやっていない。スマホは暇つぶしにはならなくて、ぼんやりと行き交う自動車を眺めている他に、することもない。

「野乃花?」

 十分くらいしたところで、背後から声をかけられた。振り向かずとも、声の主はわかりきっている。

「哲宏」

 たった今、到着した電車から降りてきた幼馴染みの手には、ちゃっかり長い傘が握られていた。

「珍しいね、電車なの」

 普段は自転車で高校に通っているから、登下校時に顔を合わせることは、ほとんどない。

 傘を見る視線が物欲しそうなものになってしまったのに気づいて、私は空に目を戻した。ゲリラ豪雨は一時的なものだというのに、全然降り止む気配がない。

 哲宏は、くるくるに巻いた自分の天然パーマに指を絡ませた。

「俺のこの髪が、今日は雨降るって言ってたからな」

 湿気を含んでいつもの一.五倍くらいに膨らんだ髪で天気予報をするのは、小学校の頃からの彼の特技だった。今日は雨降るぞ、と言われて傘を取りに玄関にすぐ引っ込んだことは、一度や二度じゃない。

 でも、高校に入ってからは、哲宏の方が早い時間に家を出て行ってしまう。さすがにメッセージアプリで警告してくれるほど、彼は親切じゃないし、そんなことされたら、気持ち悪い。

「便利だよね。その髪」

 とはいえ、彼のような天パになりたいかと言われれば、断固拒否する。

「まあな」

 別に私は褒めてないけど、なぜか得意そうに眼鏡の位置を直した哲宏は、「ん」と、私に傘を突きつけてくる。貸してくれるわけじゃないだろう。傘は一本しかない。

「なに?」

「いや。一緒に帰ろうぜ」

 驚いて固まる。小さい頃ならいざ知らず、高校生の男女がひとつの傘に入って帰るとなれば、それは明らかに、特別な関係の匂わせである。

少女マンガなら、キラキラの点描で表現されるシーン。

「や、え、哲宏はいいの?」

 私はまぁいい。こういうのは男子の方が嫌がると思ったので、確認する。哲宏は不思議そうにしている。

「だって、いつ止むかわからないだろ。帰る方向は一緒なんだから、二人で帰るのが合理的だ」

 淡々と、何の感情も浮かばない声を顔をじっと見て、ふぅ、と溜息をついた。

 そうだ。こいつはこういう男だ。

「じゃ、ありがたく入れてもらおうかな」

「おう。素直に入っとけ」

 少しだけ背が高い哲宏が、傘を持った。歩幅は揃えようとしなくても、勝手に同じテンポになる。中学までの九年間、なんだかんだ言いながらもお隣さんを理由に、一緒に行動することが多かったから、お互い慣れたものである。

 傘は特別に大きなものではない。私も彼も、普通の体格とはいえ、相当くっつかないと肩が濡れてしまう。哲宏の持ち物なんだから、彼が濡れるのはおかしい。

 私はちょっとだけ、傘の下からはみ出した。もちろん、哲宏にはバレないように。

 風子と一緒の傘に入って帰ったことも、そういえばあったな。

 ふらふら歩く彼女との相合い傘は、なかなかスリリングだった。速度も歩幅も一定じゃないし、傘を持つ私の存在を忘れ、自由気ままに振る舞う風子を追いかけて、あっちこっち。結局差さないで帰ったのと同じくらい濡れた。

 それを思えば、左肩だけ濡れるのはどうってことない。夏だし、雨は降っていても気温は高い。家に帰ればすぐに着替えるし。

 私の考えは、哲宏にはお見通しだった。

 彼はぐっと私と距離を詰めてくる。半袖のシャツから伸びる腕があたる。湿気でぺとっとしたのが気持ち悪くて距離を置こうとすると、すすす、とついてくる。

「なんなの」

「肩濡れてんじゃん。意味ないだろ」

 思わずまじまじと見つめてしまった。

「なんだよ」

「いや。ずいぶんイケメンなんだな~、と思って」

「アホか」

 ふてくされてそっぽを向く。横顔を眺めると、「イケメン」というのが内面や行動だけじゃなくて、見た目にもそこそこ当てはまるような気がしてくる。

 真正面から見ると、なんだか常にぬぼーっとしているような顔だ。眼鏡の縁も相まって、目が小さく見えがち。でも実際は、きりりとした涼しげな目元をしていて、鼻だって横から見るとすらっと高いのだ。

 あの金髪男なんかよりも、断然いいじゃない。

 染めた髪はパサパサしていそうだったし、何よりも目つきが悪い。悪すぎる。痴漢されたところを助けられたからといって、わざわざクッキーを渡したりして、交流したいと思える男じゃない。

 風子とあの男の関係について考えていると、「危ない!」という声と同時に、ぎゅっと手を握られ、身体を引き寄せられた。目の前をトラックが、勢いよく水を跳ね上げながら通過した。

「ぼーっとするなよ。危ないだろ」

 事故寸前、ぶつからなくても確実に制服は泥だらけになっていただろう。助けられて、見上げた横顔は、呆れた表情だけどさっきよりも男前に見える。

 そうだ。

 こんなイケメンムーブができるんだ。風子だって、哲宏のことをもっとよく知れば、あんな得体の知れない金髪男よりもいいと思うに違いない。夢中になって、あんな奴のことなんか、すぐに忘れる。

 まじまじと見つめる私の視線に、「なんだよ」と唇を尖らせる哲宏の耳の端が赤い。

 もしも風子が本当に哲宏のことを好きになったところで、彼は決して、付き合ったりなどしないだろうし。

「ううん。なんでも。ありがとね」

 強い確信と、我ながら妙案を思いついたことに笑みを浮かべながら、私は哲宏の手をやんわりとどけさせた。

15話

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