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<13話
スマホを取り出して母に連絡してみるものの、既読にすらならなかった。今日もどこかで何かしているのだろう。専業主婦だというのに、ちっともじっとしていない。ボランティアか、老人ホームに入っている曾祖母の見舞いか。
曇天を睨み上げる。しばらく待てば止むと信じて雨宿りをする人、とっとと帰宅したいのか、意を決して豪雨の中に飛び出す人。
私はさすがに、まだ一年目の夏服セーラーを大切にしたいので、雨宿りを選択した。その間に、家族のグループチャットに気がついて、誰かが傘を持って迎えに来てくれるかもしれないし。
ゲームもやらないし、SNSもやっていない。スマホは暇つぶしにはならなくて、ぼんやりと行き交う自動車を眺めている他に、することもない。
「野乃花?」
十分くらいしたところで、背後から声をかけられた。振り向かずとも、声の主はわかりきっている。
「哲宏」
たった今、到着した電車から降りてきた幼馴染みの手には、ちゃっかり長い傘が握られていた。
「珍しいね、電車なの」
普段は自転車で高校に通っているから、登下校時に顔を合わせることは、ほとんどない。
傘を見る視線が物欲しそうなものになってしまったのに気づいて、私は空に目を戻した。ゲリラ豪雨は一時的なものだというのに、全然降り止む気配がない。
哲宏は、くるくるに巻いた自分の天然パーマに指を絡ませた。
「俺のこの髪が、今日は雨降るって言ってたからな」
湿気を含んでいつもの一.五倍くらいに膨らんだ髪で天気予報をするのは、小学校の頃からの彼の特技だった。今日は雨降るぞ、と言われて傘を取りに玄関にすぐ引っ込んだことは、一度や二度じゃない。
でも、高校に入ってからは、哲宏の方が早い時間に家を出て行ってしまう。さすがにメッセージアプリで警告してくれるほど、彼は親切じゃないし、そんなことされたら、気持ち悪い。
「便利だよね。その髪」
とはいえ、彼のような天パになりたいかと言われれば、断固拒否する。
「まあな」
別に私は褒めてないけど、なぜか得意そうに眼鏡の位置を直した哲宏は、「ん」と、私に傘を突きつけてくる。貸してくれるわけじゃないだろう。傘は一本しかない。
「なに?」
「いや。一緒に帰ろうぜ」
驚いて固まる。小さい頃ならいざ知らず、高校生の男女がひとつの傘に入って帰るとなれば、それは明らかに、特別な関係の匂わせである。
少女マンガなら、キラキラの点描で表現されるシーン。
「や、え、哲宏はいいの?」
私はまぁいい。こういうのは男子の方が嫌がると思ったので、確認する。哲宏は不思議そうにしている。
「だって、いつ止むかわからないだろ。帰る方向は一緒なんだから、二人で帰るのが合理的だ」
淡々と、何の感情も浮かばない声を顔をじっと見て、ふぅ、と溜息をついた。
そうだ。こいつはこういう男だ。
「じゃ、ありがたく入れてもらおうかな」
「おう。素直に入っとけ」
少しだけ背が高い哲宏が、傘を持った。歩幅は揃えようとしなくても、勝手に同じテンポになる。中学までの九年間、なんだかんだ言いながらもお隣さんを理由に、一緒に行動することが多かったから、お互い慣れたものである。
傘は特別に大きなものではない。私も彼も、普通の体格とはいえ、相当くっつかないと肩が濡れてしまう。哲宏の持ち物なんだから、彼が濡れるのはおかしい。
私はちょっとだけ、傘の下からはみ出した。もちろん、哲宏にはバレないように。
風子と一緒の傘に入って帰ったことも、そういえばあったな。
ふらふら歩く彼女との相合い傘は、なかなかスリリングだった。速度も歩幅も一定じゃないし、傘を持つ私の存在を忘れ、自由気ままに振る舞う風子を追いかけて、あっちこっち。結局差さないで帰ったのと同じくらい濡れた。
それを思えば、左肩だけ濡れるのはどうってことない。夏だし、雨は降っていても気温は高い。家に帰ればすぐに着替えるし。
私の考えは、哲宏にはお見通しだった。
彼はぐっと私と距離を詰めてくる。半袖のシャツから伸びる腕があたる。湿気でぺとっとしたのが気持ち悪くて距離を置こうとすると、すすす、とついてくる。
「なんなの」
「肩濡れてんじゃん。意味ないだろ」
思わずまじまじと見つめてしまった。
「なんだよ」
「いや。ずいぶんイケメンなんだな~、と思って」
「アホか」
ふてくされてそっぽを向く。横顔を眺めると、「イケメン」というのが内面や行動だけじゃなくて、見た目にもそこそこ当てはまるような気がしてくる。
真正面から見ると、なんだか常にぬぼーっとしているような顔だ。眼鏡の縁も相まって、目が小さく見えがち。でも実際は、きりりとした涼しげな目元をしていて、鼻だって横から見るとすらっと高いのだ。
あの金髪男なんかよりも、断然いいじゃない。
染めた髪はパサパサしていそうだったし、何よりも目つきが悪い。悪すぎる。痴漢されたところを助けられたからといって、わざわざクッキーを渡したりして、交流したいと思える男じゃない。
風子とあの男の関係について考えていると、「危ない!」という声と同時に、ぎゅっと手を握られ、身体を引き寄せられた。目の前をトラックが、勢いよく水を跳ね上げながら通過した。
「ぼーっとするなよ。危ないだろ」
事故寸前、ぶつからなくても確実に制服は泥だらけになっていただろう。助けられて、見上げた横顔は、呆れた表情だけどさっきよりも男前に見える。
そうだ。
こんなイケメンムーブができるんだ。風子だって、哲宏のことをもっとよく知れば、あんな得体の知れない金髪男よりもいいと思うに違いない。夢中になって、あんな奴のことなんか、すぐに忘れる。
まじまじと見つめる私の視線に、「なんだよ」と唇を尖らせる哲宏の耳の端が赤い。
もしも風子が本当に哲宏のことを好きになったところで、彼は決して、付き合ったりなどしないだろうし。
「ううん。なんでも。ありがとね」
強い確信と、我ながら妙案を思いついたことに笑みを浮かべながら、私は哲宏の手をやんわりとどけさせた。
>15話
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