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<30話
文化祭二日目は、途中で帰ってしまった。当番もまだ残っていたのに、すべて投げ出した。具合が悪いとか、適当な理由をつけることはできた。
けど、電車の中でスマートフォンを片手に、誰に連絡をすればいいのか、わからなかったのだ。
クラスのグループラインに投げるのも、憚られた。
『ごめん。突然具合が悪くなったから、早退します』
文章だけ作って、送信ボタンを押せずにそのまま消した。
クラス全員が見ているグループLINEにもかかわらず、心配する言葉ひとつ返ってこなかったら?
冷静でなかったからわからないが、あの現場にもしかしたら、クラスメイトがいたかもしれない。そうしたら、仮病ということはバレバレだ。
結局何も伝えられずに帰宅した。着替えるのも面倒で、布団をかぶった。
当番の交代時間に、スマホのアラームがけたたましく鳴った。切り忘れていた。心臓をバクバクさせつつ、爆音を止める。
途端に訪れる静寂。確認の電話は、鳴らない。数分待っても、数時間待っても、電話の呼び出し音は鳴らない。LINEのトーク着信音のひとつすら。
夕方になって、家族が帰ってきた。玄関に私のローファーがあるのを見た母が、階下から大声で私を呼んだ。
「野乃花ー? あんた、帰ってきたの?」
私は答えなかった。無言の反応で、体調が悪いのだと察してほしかったが、母は階段を上がってくる。足音が、苛立っているときのもので、私は耳を塞いだ。
「ちょっと、あんた具合悪いの? これから晩ごはん行く予定だったんだけど」
ノックひとつせず、勝手に開けた。布団を頭からかぶっているのを見て、一応は気遣う言葉をかけてくるが、私は完全に無視をした。
返事がないことに対して、母は心配より、イライラが勝ったらしい。
「野乃花!」
ヒステリックに怒鳴られた。その声が、風子のことを呼びつける自分のものと重なって、ああ、やっぱり私はこの母の子なのだと笑えてきた。
私の風子への態度や感情を、哲宏は友愛でも同情でもなく、「執着だ」と切り捨てた。彼女の世話をすることで、周りの大人たちに褒められること、同級生から「大変だね」と思われること。
それが、私の立ち位置を守るためのものだった。
風子のためなんかじゃない。
無視していると、ぶちぶち言いながら、母は出て行った。
その日一日、何も食べずに過ごした次の日。
「大丈夫なの?」
かけられた言葉にも、無反応を貫いた。母は、「勝手になさい」と溜息をつき、それから忙しく、家事をしていた。
私は黙って、久しぶりの食事を摂り、ひとりで登校した。今日は文化祭の後片付けがあるのだ。
電車の窓から差し込む朝日が眩しかった。いつもの癖で、隣に話しかけようとしてしまう。違う。今日はひとりだ。
学校の最寄り駅に着いて、電車を降りる。周りは同じ制服を着た生徒たち。そのうちの何人もの目がこちらを冷ややかに見ているような気がして、立ち尽くした。
いいや、気のせいじゃない。
私の方をちら見しながら、ひそひそと喋っているのは、風子と同じクラスの子だ。そして、すぐ横を通りすがって「おはよう」と言い合っているのは、私のクラスの子たち。挨拶の一言もなく、私はいない者として扱われている。
朝食べたものが、胃からせり上がってくる不快感に見舞われた。慌てて駅のトイレに籠もって、吐き戻す。胃液の一滴すら出ない状態になっても、吐き気は収まらなかった。
そのまま便座に座り込んで、スマホを取り出した。風子からの着信が何件かあったが、無視をして、学校に電話をかける。
「すいません。駅までは来たんですけど、具合が悪くなってしまって……はい」
欠席の連絡は、基本的には本人ではなく、保護者からのものしか受け付けてくれない。だが、さすがに嘔吐したばかりの、喉にまだ何かが詰まったような声での電話は、担任を心配させるに十分だった。
『そうか。気をつけて帰るんだぞ』
「はい……」
電話が終わっても、私はしばらく立ち上がれなかった。腿に肘をついて、頭を支える。目眩、動悸、悪寒。そのすべてが精神的なものから来ることを、はっきりと自覚している。
本当は、ここで休んじゃいけないことくらい、わかっている。無理にでも登校して、私は強いんだってことを見せなければならない。一度休んでしまったら、たぶん、私は。
立てこもったままの私を、誰かが気遣ってくれたのだろう。扉がノックされ、緊急事態だから男性の駅員が、女子トイレまで入ってきていた。
「大丈夫です。もう、帰るんで……」
無理矢理立ち上がり、私は下りの電車に乗り込んだ。もう登校時間は終わっているので、同じ学校の生徒とすれ違うことはない。
家に帰り着くと、母はいなかった。
「鍵……」
震える指で鍵を開け、私は自分の部屋に飛び込んだ。
ここしか、私の居場所はない。外に出れば、悪い噂をされる。妄想か現実かわからないが、怖い。
そして私は、この日を境に学校へ行けなくなった。
>32話
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