不幸なフーコ(4)

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ライト文芸

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3話

 ひらり手を振って教室を後にする。茅島さんは結局戻ってこなかった。たぶん、教室が無人になってから、こそこそと鞄を取りに戻ってくるに違いない。合わせる顔もないだろうから。

 三階の教室を出て、早足で階段を降りる。一階の一番手前の教室に顔を出した。

「フーコ、お待たせ」

 普通クラスの教室は、なんだかいつも、独特な匂いがする。花の匂いやシトラスの匂い、せっけんも混ざっている。

 最初は、体育の授業後なのかと思った。制汗スプレーの種類まで決める校則はない。みんなが好きな香りのものを、好きなように使うので、なかなかカオスなことになって、窓を開け放たなければならない。

 でも、それとは違う。甘くて、それでいて鼻につく、どこかで嗅いだ覚えがある匂いだった。

 しばらく通ううちに、わかった。デパートの一階、化粧品売り場の匂いだ。子どもの頃は、そこを通るときには息を止めて早歩きをしていたくらい、苦手な空気だ。全身にまとわりついてくるような重さを伴う匂いだった。

 風子はクラスメイトに囲まれていた。和気藹々とした雰囲気で、転校生だった当時の、ちょっと引かれていた風子からは、想像がつかない。

 あの頃の風子は、一言で言うなら、痛い子だった。

 小学校には登下校のための縦割り班があり、毎日じゃないけど、定期的に集団下校をしていた。

 私と風子は同じ班。他にも友達が一緒だったし、隣の家に住む同い年の幼馴染みとも喋って歩いていたら、班長が「あれ? 天木さんは?」と、慌てて叫んだことがあった。

 一緒に歩いていたはずの風子がいなくなっていて、低学年の子たちを無事に家に帰したあとで、四年生以上で探し回った。班長とはいえ、彼もまだ小学六年生。後輩が行方不明という事態に、半泣きになりながら探していた。

 幸い、風子はすぐに見つかった。通学路から少し離れたところにある公園。事故防止のために撤去された、大きなブランコの跡地にしゃがみ込んでいた。

 班長が声をかけても、彼女はずっと茂みを弄り回していた。その目はらんらんと輝いていて、真剣そのもの。そしてようやく目当てのものを「あった!」と、掲げた。

 四つ葉のクローバーが握りしめられていた。それを見て、心配して探し回っていた全員が呆れ、脱力した。班長は、私がクラスで風子の面倒を見ていると知ると、全部を押しつけていった。

 その後、風子の家に彼女を送り届けると、一緒に住んでいる祖父母は嬉しそうだった。ひとしきり感謝の言葉を述べたのち、「これからも風子のことをよろしくね」と頼まれた。

 ほとんどの子どもが同じ学校に進学したため、中学でも風子は、遠巻きにされていた。彼女の祖父母に信頼され、学校生活のサポートをお願いされた私以外は、積極的に関わらない。

 一歩間違えば、いじめ。そんな空気にも、風子はびくともしなかった。

 ののちゃんがいてくれるから、学校は楽しい。

 高校をここに決めたのは、風子の学力を考えた結果だった。普通科の偏差値は、特進とは十以上の差がある。

「ののちゃん!」

 それぞれ色合いが微妙に異なる茶髪の子たちの間から、風子が顔を上げる。その有様を見て、私はぎょっとした。

「フーコ、それ……」

「えへへ。可愛い?」

 にやにやしている風子は、いつもと違う。

 唇はつやつやしたピンクだし、目元はラメでキラリと輝いて、まつげがいつもより長い。そんなわかりやすい変化だけじゃなくて、丸みを帯びた輪郭は、ややシャープになっている気がした。

 どんな技術を使ったらこうなるのか。

 私が絶句しているのを、プラスに解釈したのだろう。風子は何度も、私の口から「可愛い」と言わせようとするし、彼女のクラスメイトたちも、楽しそうにしている。

「フーコって、化粧映えしそうだなーって思ってたんだよね」

 一仕事終えた、すっきりした様子の彼女たちに対し、私は風子をおもちゃにされたように感じて、気分が悪い。

「メイクは校則違反よ。あなたたちがルールから逸脱するのはどうでもいいけど、フーコを巻き込まないで」

 凍りついた三人を放置して、私は風子を立たせた。鞄を代わりに持ってあげて、さっさと教室を出る。

「なにあれ!」

「感じ悪~」

 背後でわぁわぁ言われても、痛くもかゆくもない。

 ふん、と鼻息を荒くしつつも、平常心で立ち去る。

 フーコが見上げてくる。いつもよりも大きな目が、しぱしぱ瞬く。黒く濃く縁取られている。

 こんな顔の風子見たら、おばあちゃんは驚いて泣いちゃうし、おじいちゃんは怒るに違いない。

 風子は自然な姿のままでいるのが、風子らしいんだから。

「コンビニ行ってメイク落とし買うよ」

「うん……ののちゃん、お化粧嫌い?」

 潤んだ目に、ぷるぷるの唇が光る。転校してきたとき、美少女じゃないなんてそっぽを向いた連中が、今の風子を見たら、手のひらを返すだろうと思った。

 私は明言を避けた。

「校則は、ちゃんと守らなきゃ。おばあちゃんが学校に呼び出しとかになったら、困るでしょ。最近、足も悪いんだし」

「……うん」

 初めて買ったメイク落としシート。駅のベンチに座って、ゴシゴシと擦り落としていく。素顔の風子に戻っていくのを見て、安心した。

 そう。風子はこうじゃなきゃ。

 ちょっとぽっちゃりで、ほっぺたが丸くてふわふわ。美少女になれるポテンシャルはあるけど、地味で、ちょっと変わった女の子だからこそ、風子のことが好きなのだ。

 帰りの電車に乗り込むときには、いつもの風子だった。顔がヒリヒリペタペタする、と言いながら触れて、笑う。

「化粧したことは、おばあちゃんたちには内緒にしておこうね」

 風子はちょっと唇を尖らせたけれど、私がしばらく無言で見つめていると、微かに頷いた。

 今日も一日平和でした。

 おばあちゃんたちに、そう報告ができることに、肩の力を抜いた。

5話

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