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<29話
時折、カミーユを通じて手紙でベリルの様子を報告してくるので、それだけは役に立っているといえるか。
むしゃむしゃと一心不乱に菓子を食べ続けるシルヴェステルの肩に、隣に座ったベリルはもたれかかった。擦り寄って甘えてくる様子に、途端に破顔する。
同じ部屋にいるカミーユは、主人のにやけた顔を見て見ぬ振りをする。ひたすら影を薄くするくらいなら、気を利かせて席を外してくれてもいいだろうに。いや、むしろ普段なら、何か理由をつけて、そっと退出することがほとんどであった。
苦笑いすらせず、仏頂面をしているカミーユは、どうもぼんやりしている。顔色が悪いような気がして、そういえば彼に休みをやったのはいつだったか、と思い至る。
記憶を辿ってみても、カミーユは常に自分の傍らにいた。シルヴェステルが休日、後宮でずっとベリルとともに過ごしているときだって、翌日の仕事がやりやすいように執務室を整えておくほど、仕事熱心である。
ということは、つまり。
「カミーユ」
細く息を吐き出したシルヴェステルは、信頼を寄せる部下の名を呼んだ。
「はっ」
と、一瞬たりとも遅れることなく返事がある。疲れているのに、ずっと気を張り詰めていたら、休まる暇はまったくないに違いない。
「お前、明日は休め」
「は?」
先程と同じ音なのに、意味合いが違う一音が返ってくる。眉間の皺が深いのは、困惑しているせいだろう。
「お前の献身的な働きには感謝しているが、それで倒れられても困る。前回丸一日休んだのはいつだ」
シルヴェステルの問いかけに、カミーユは自分自身のことにもかかわらず、答えられなかった。隣にいるのが当たり前になりすぎて、つい頼ってしまう。
「街にでも下りて、気分転換してこい。一日程度、お前がいなくともなんとかなる」
ですが、と言いたそうな顔をしている。しかし、竜王の命令は絶対で、何よりも優先される。
渋々頷くカミーユを、興味津々の目で見つめているのは、腕の中にいるベリルであった。
「ベリル?」
力を強めると、ベリルは他事に気を取られていたことを恥じ、紅潮した頬で、シルヴェステルに言い訳をする。
「その、街には美味しいものや楽しいものがいっぱいあるって聞いて」
見上げてくる瞳は何よりも雄弁で、キラキラと輝いている。緑柱石に惹かれた手前、シルヴェステルは何よりも、彼の目に弱い。
行ってみたい。でも許してもらえないよな……。
ベリルの目が一瞬曇ったのを見逃さず、シルヴェステルは唸り声を上げた。
拾ってから、彼に外を見せたことはなかった。都に連れてくるまでの馬車の中から見たものが、王城以外の風景のすべてだ。王都産まれの王都育ちであるシルヴェステルは、今でこそ街に下りることは滅多にないが、子供の頃はよく、お忍びで遊びに行っていた。
賑やかな市場には、屋台が並ぶ。肉を串に刺して塩を振って焼いただけの名もない料理が、やけに美味かったのを覚えている。揚げたてのドーナツに砂糖をまぶしたものを、カミーユと取り合いしたこともあった。
ベリルは王都の楽しみを知らずに、後宮に入ってしまった。彼の傍に仕えるジョゼフは、王都の下町のことをいろいろ知っていて、おそらく入れ知恵しているのだろう。
自分も……いや、しかし。
シルヴェステルは大いに悩み、結論を出した。
「カミーユ。悪いが、ベリルも連れていってやってくれないか」
「陛下?」
驚きに丸々とした目が見上げてくるのは、悪くない気分だ。本音を隠し、大人の振る舞いをした甲斐がある。
「遊びに行ってみたいのだろう? 城に来てから、一度も外に出たことはなかったものな」
「でも、俺は陛下をお守りしなきゃならないから、お傍を離れるわけには……」
ぎゅっとシルヴェステルの袖を握り、視線はこちらとカミーユを行き来する。素直に行きたいと言えばいいのに、ベリルは律儀で真面目だった。シルヴェステルの警護の任は、自分で自分に課した仕事である。別にまっとうせずとも誰も何も言わないが、彼自身が怠慢を許さない。
そういうときは、言い方を変えればいいのだ。シルヴェステルは、ベリルの頭を撫でる。
「私はずっと城で仕事をしているから、大丈夫だ。お前は一緒に行って、私の大切な部下であるカミーユを守ってほしい」
彼の恵まれた肉体は見かけ倒しだ。黙っていれば武官だが、剣を持たせてみれば、へっぴり腰。最低限の護身術を習っただけのベリルにも劣る。シルヴェステルの与えた口実を、ベリルは胸を拳で叩いて請け負った。
「お任せください。カミーユのことは、俺がしっかり守ります」
ね?
にっこり笑顔で確認されたカミーユは、複雑な表情だった。小さく細く、まして主人の妻にあたるベリルに守ると宣言されるのは、恥ずかしいのだろう。
お土産いっぱい買って帰ってきますね、と言うベリルに相槌を打ち、「楽しみにしている」と、シルヴェステルは笑んだ。
>31話
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