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<32話
「いや。好きな人に渡すプレゼントだから、自分で稼いだ金で買わなきゃ」
好きな人。
ジョゼフの言うそれは、当然ナーガのことである。初めて見た瞬間に、心奪われたと言っていた。確かにナーガは美しく、優しい。ジョゼフよりも背が高いが、そこは彼にとっては気にならないところらしい。
「あの赤い石の首飾りなんて、ナーガに似合いそうだよなあ」
定期的に商人がやってきては、この手の宝飾品を売り込んでいくため、ベリルの目もすっかり肥えていた。ジョゼフが指した首飾りは、赤い大きな貴石がメインの豪奢なものである。正直、清貧なところが魅力のひとつであるナーガには似合わないと思ったが、ジョゼフがそう思うのなら、そうなのだろう。人の趣味には口を出さないのが吉だ。
「すごく高そう」
首飾りの意匠や宝石の美しさについては触れずに感想を述べたベリルに、ジョゼフは深い溜息をついた。
「そうなんだよなあ。給料は増えても、使う機会が減ったから、けっこう貯まってたんだけど。手持ちの金全部持ってきても、全然足りない」
落ち込む素振りのジョゼフに、ベリルは助け船を出した。
「ナーガは今でも心は神官だから、宝石はあまり興味ないかもしれないよ」
「じゃあ、例えばどんなものを贈ればいい?」
少し悩んで、ベリルは「お茶っ葉とか? ナーガはお茶淹れるの得意だし、いい匂いのお茶をよく飲んでるから」と提案する。
茶葉であれば、ちょっとした贅沢品でも購入できそうだとジョゼフは拳を握った。その様子を見て、ベリルはふと、自分自身のことを考える。
自分もシルヴェステルに土産を買おうと思っていたが、金の出所はシルヴェステル自身だ。好きな人への贈り物は、自分の金で。確かにそちらの方が喜ばれそうだが、ベリルの自由になる金は、国家予算である。
「俺も陛下にお土産を買いたかったけど……陛下のお金だしなあ」
カフェも併設された茶の専門店へと意気揚々と入店し、あれでもないこれでもないと匂いを嗅ぎ、店員にあれこれ質問をしていたジョゼフは、ベリルの力ない独り言を聞きとがめ、振り向いた。
「何言ってんだ。お前はお妃様なんだから、いいんだよ。むしろその金で着飾って、にっこり笑ってやれば陛下は大喜びだろう」
「何それ」
失礼な物言いだが、このやりとりが愛おしく楽しい。膨れたふりをしたベリルは、「これとこれとこれ! たぶんナーガが好きそう!」と、勝手に茶葉を選び、ジョゼフに渡した。
「おお、ありがとう!」
意気揚々と会計を済ませるジョゼフを置いて店を出ると、そこにはカミーユがいた。だいぶ前に手渡した串焼きを持ったまま、一口も食べていない。口に合わなかったのなら、悪いことをした。
「カミーユ。串焼きが冷めてしまうよ」
声をかけると、「ああ、はい」と、返事はするものの、いまいち噛み合っていない。これはだいぶ疲れている。そう、溜息をついたときだった。
「旦那?」
茶葉店の横の路地裏から、女の声がした。雑踏の中、たまたま聞こえたわけではない。明確にこちらに向けて話しかけてきた声に、誰だろうと思いながら、ベリルは振り返る。
うっ、と、顔を顰めてしまいそうになった。咄嗟にカミーユの巨体に隠れたのは、女があまりにも破廉恥な格好をしていたからだ。豊満な胸が半分以上露わになった粗末なドレスは、貞淑な貴婦人の姿しか見たことがなかったベリルには、刺激が強い。同じように胸が大きく開いたドレスでも、全然違う。
タイミングよく店から出てきたジョゼフは、カミーユの陰に隠れたベリルを見て首を傾げ、それから女に釘づけになる。正確には、女の胸に。ナーガのことが好きだと言うくせに、ジョゼフは男としての性も隠せない。
娼婦だ。
立派で清潔な都にも、いや、そんな街だからこそ、貧富の差は歴然としている。生活に困れば、まずは身のまわりの品物を質に入れる。それから住んでいる家。そして最後に売ることができるものは、女も男も、自分の肉体のみ。
ただそれだけの話なのだが、ベリルは奔放そうな女を敬遠した。
彼女はへらへらと笑いながら近づいてくる。太陽の高い時間だというのに、すでに酔っているのか、足下が覚束ない。あっ、と思ったときにはすでに躓いており、カミーユが抱き留めてやるはめになった。安い香水と酒の臭いが混じり、ベリルはくらくらする。
「やっぱり旦那じゃあないか。久しぶりぃ。ちょうどいいや。新しい男が二人、入ってるよ」
驚くことに、女はカミーユと旧知であるらしい。高潔で生真面目な男だとばかり思っていたが、裏切られた気分だ。ベリルはじとりと非難がましい目で、カミーユを見上げた。
彼は慌てて、言い訳を始める。
「違います! これには理由が……」
それを遮って、「ほら早くぅ。男娼は娼婦よりも珍しいし、商売できる期間も限られているから、またどっかへ行っちゃうわよ?」と、女が彼の手を引っ張っていこうとした。
小柄な身体と色の濃い髪や目は人間族だろうが、押しが強い。竜人のカミーユにも物怖じせずに、ぐいぐいくる。
ついでにジョゼフは、たじたじになっているカミーユが大層面白いらしく、ただにやにやしている。
ベリルと女の板挟みになり、ジョゼフの助けも借りられないカミーユは、爆発した。
「ああ! きちんと説明しますから! マリアンヌ、今日は君のところには行かない。代わりにどこか、落ち着いて話ができるところに案内してくれ!」
叫び声に目をぱちくりさせた娼婦・マリアンヌは、「高くつくところでも、いいのかしら?」と言って、にんまり笑った。
>34話
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