孤独な竜はとこしえの緑に守られる(36)

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35話

「兄は絶対に生きているはずです。ミッテランに連なる者が、そんなに弱いはずがない」

 真剣な表情で兄を追い求めるカミーユに、ベリルが抱いたのは同情ではなく、違和感であった。

「探して、どうするつもり?」

 生き別れどころか、見たこともない腹違いの兄を追い求める心情を、まったく理解できなかった。ただ会ってみたいという目的では弱い。 

 ベリルに励ましてもらえるとばかり思っていたのだろう。カミーユは驚きを深い緑の瞳にたたえ、無言でこちらを見つめる。しばしの沈黙の気まずさを振り払い、ベリルは強く問いただす。

「お兄さんはミッテラン侯爵家の人とは会いたくないと思う。それをわざわざ探し出して、どうするの?」

 当時は本家にいなかったカミーユは、直接関与していない。それでも、顔を合わせて弟だと名乗れば、大いに傷つけることになる。

 十五年。十五年だ。

 目を潰された子供が、もしも本当に生き延びていたとして、恨みを抱かないわけがない。風化していたとしても、実際弟と対面すれば、再び燃え上がる可能性が高い。

 片や愛され将来を期待され、竜王の側近になった男。片や誰からも相手にされない辛い人生を送ってきた男。感動の対面とはいかない。

「……私にも、本当のところはわかりません」

 カミーユは独り言か溜息のように吐き出した。

「ただ、兄の存在だけが、私の心の支えだったのです」

 庶子だが、冷遇されていたわけではなかった。母の実家では可愛がられ、時折やってくる父は、カミーユに甘かった。

 長男の存在を知らぬ侯爵は、妻との間に再び子を設けることを考えていたから、カミーユを跡取りにするつもりはまだなかった。嫡子と違い、庶子には自由が与えられていた。

 だが、重大な秘密を抱えた正妻との関係は、すぐにぎくしゃくし始めた。今となっては宰相夫妻は、竜王主催の夜会にすら、一緒に参列しないのは有名な話だった。

 父の態度は、跡取りとして本家に引き取られてから一変した。名門貴族の後継者にするには、それまでどおりの教育では通用しない。毎日厳しく躾けられて、幼いカミーユは毎日泣き暮らした。

 カミーユに兄の存在を教えたのは、義母だった。日に日に元気を失っていったなさぬ仲の子供を抱き、自身の子にできなかった分も、彼女はよくしてくれたという。

 そのときはまだ、蛇人族だったということは明かされなかった。父や教師の叱責で落ち込んだ夜には、必ず兄のことを夢に見るようになった。

「夢の中の兄は優しくて、いつも励ましてくれました。兄がいなければ、私は陛下の側近として立つこともできなかったでしょう」

 カミーユは、今も幻影を追い求めている。兄が存命で、辛い目に遭っているとしたら、自分が助け出さなければならないと思っている。

 本当に?

 ベリルの目には、彼自身が気づいていない感情が見えている。シルヴェステルの隣に立つときには、主人への敬愛に満ちているのに、兄への思慕を語る彼は、どうだ。

「違う」

 やがて来る真夏の木陰を思わせる緑の目は、薄暗い感情に支配されている。自分のために他人を利用することをなんとも思わない、ベリルの嫌いな貴族たちの欲望にほど近い、ドロドロした何か。

 カミーユの心に、暗い感情が隠されていたことに、ベリルは心底裏切られたような気持ちになる。

「助けたいなんて、建前に過ぎない」

「ベリル様?」

 怪訝な声をあげたカミーユに、ベリルは容赦なく告げる。

「跡取り教育が辛くても、それでもあなたには支えてくれる家族がいた。雨風をしのぐ立派な屋敷が、疲れた身体を横たえ休むためのベッドがあった」

 一方で兄は、ひとつも与えられずに放り出された。

「夢の中で励ましてくれたから助けたい? 違う。あなたは今も、お兄さんが惨めな暮らしをしているのを確認したいだけ」

「そんな」

「蛇人を見下して嫌悪して、自分の優位性を確かめて幸せを噛みしめる、人間族と何も変わらない」

 風も吹いていないのに、ぶわりとカミーユの前髪が揺れた。憤怒している。主人の大切な人だから、なんとか我慢しているが、そうでなければベリルは胸ぐらを掴まれ、殴られていただろう。

「お兄さんは、あなたに会いたいとは思っていない。そっとしておいてやった方がいい」

 ベリルの言葉を受け止めきれないのだろう。娼館を出てから、すぐに城に帰還することになった。馬車に向かう間も、乗ってからもカミーユは無言で、いつも以上に厳しい顔をしていた。

「カミーユ様、どうしたんだ?」

 ナーガへの土産をしこたま仕入れてきたジョゼフが耳打ちしてきたが、黙殺する。

 言いたいことは言い切ったベリルもまた、加えて何かを話す気にはなれなかった。

 結局城に戻ってからも、どころか次の日以降も、ベリルとカミーユはまともに言葉を交わすことはなかった。

37話

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