業火を刻めよ(11)

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火 ライト文芸

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10話

 しばらくその場でぼうっとハンカチを見つめたままでいたヒカルだったが、唐突に思い出した。

(そうだ、スポーツバッグ……!)

 確か、エリーはスキップが完了したらすぐに開けろと言っていたっけ。やばい。どのくらい時間が経過したのか、正確なところはわからないが、完全に怒っているだろうことはわかる。

 慌ててヒカルは、エリーに渡されたバッグを開けた。

「……なんじゃこりゃ」

 中身は、もこもこしていた。桃子のハンカチと同じ、ピンク色だ。丸くて白いのは、どう見ても尻尾だ。

 ヒカルはそっと、ピンクの物体を取り出した。

「どう見ても、ウサギのぬいぐるみ……だよな?」

 耳を掴んで、顔の高さまで上げる。黒いプラスチックの目が、つやつやと光っている。口も刺繍されており、しっかりと閉じられている。

 どうしてエリーは、このウサギの入ったバッグを託したのだろうか。まさかとは思うが、ホームシックにならないように、という餞別のつもりだったのだろうか。だとしたら、エリーは相当、頭がおかしい奴だ。

「何のためのウサギなんだ?」

 ひっくり返してみたり、手で探ってみたりするが、ただのぬいぐるみだ。じっと見つめる兎の目は、勿論何も語りかけては来ない。

「あ~……もう、訳わっかんねぇ!」

 なんとか言ったらどうだ、とヒカルはぬいぐるみの頭を軽く殴る。

 すると、聞き覚えのある低い声が、地の底から響いてくる。

「ずいぶんと遅かったな。待ちくたびれたぞ」

 驚きのあまりにヒカルは瞬間、息を止めた。持っていたウサギのぬいぐるみを落とす。

「おい、落とすな」

 キョロキョロと辺りを見回すが、スピーカーの類は見当たらない。

「え、ええ、エリー? どこで喋ってんだ? まさか俺の脳内に直接……?」

「馬鹿かお前は。下だ、下。今お前が落とした」

 下を向くが、いるのは物言わぬウサギだけだ。ヒカルはそれを拾い上げる。

「えええ、エリー? まさかお前、ウサギ……!」

 あまりにも想定外のことで、ヒカルの理解が追いつかない。エリーがウサギでウサギがエリーで? どうしてウサギがエリーなんだ。

 大混乱のさなかにあるヒカルに、いつもの呆れかえった溜息が落とされる。ぬいぐるみの顔は動かないので、無表情さのレベルが、生身のエリーよりも格段に上がっている。

「このぬいぐるみには、高性能のセンサーが搭載されている。お前のサポートをするためにな。スピーカーもついているから、俺はそこからお前に話しかけている。いくらお前が馬鹿でも、わかるだろう?」

 小馬鹿にされて、一度沸点に達した怒りは、しかしすぐに冷める。馬鹿にされることに慣れてしまって、強い感情が持続しないのだ。

 ちくしょう、と力強く呟いて、ヒカルは気を取り直した。とりあえず、エリーとこうして、顔を合わせているときと同じようにやり取りができるのは、心強い。

(それにしても)

 冷静になって、ウサギのぬいぐるみをまじまじと見つめて、ヒカルは噴き出した。ゲラゲラ笑う。

「なんでこんな、可愛いウサちゃんなんだよ!」

 仏頂面で、美形ではあるが可愛らしさや可憐さの欠片もないエリーが、可愛いふわふわの塊であるウサギを媒体として自分に話しかけてくるのが、よく考えたら面白いことこの上ない。

「性能がすべてだと言っているだろう。可愛らしい外見にも、きちんと意味がある」

 どの口で言うんだ。

 出会って初日の健康診断で受けたのは、あれは明らかにいじめだった。趣味だと言ってヒカルを痛めつけた男だ。彼の言うことは、信じてはいけない。

「あ、まさかこのウサギもエリーの趣味とか?」

 本人を目の前にすれば、怖いもの知らずな発言だが、エリーは今も、二十二世紀の世界にいる。だから、思う存分からかうことだって可能だ。

 今までの不平不満、全部ウサギに向かって話しかけることで、解消してやろう。

 そんな風に考えて、ヒカルが口を開きかけたときだった。

「おい。周りを見てみろ」

 エリーの言葉に、ヒカルは顔を上げ、現実を思い出す。

 そうだ。ここは、地下施設ではない。人がたくさん通りかかる、道の縁石に腰かけて休憩していたのだった。

 立ち止まって明らかに不審そうな目を向け、ひそひそ話している主婦たちに、スマートフォンをヒカルに向ける女子高生までいる。

(やっ、べえ)

 ヒカルは改めて、自分の姿を客観的に振り返った。

 いい年した男が、ぬいぐるみを両手に抱えて、一人で怒ったり笑ったりして、ぶつぶつ独り言を言っている。

 紛れもなく、不審人物だ。正義の味方のおまわりさんなのに、やっていることがどう考えても、頭のおかしい不審者にしか見えない。このままだと逆に、この時代の警察に職務質問されてしまうかもしれない。

「あ、あはは……は」

 引きつった愛想笑いを浮かべて、そそくさと逃げ出すことしかできなかった。これは別に、経験値が少ないからとか、そういう問題ではない。同じ状況に陥ったら、誰だってごまかしながら逃げることしかできないはずだ。

「ほんとになんでこんな、ウサギなんだよ!」

 人目を気にした小声で、先ほどと同じセリフを、違う気持ちで吐露する。

「ホログラムで3D映像を映し出すとか、もっとそれっぽいのだってあっただろ。てか、小型の端末とかでいいんじゃねぇの?」

「まぁ、二〇一八年であれば、前者はともかく、後者はアリだったかもしれないな」

「……んの野郎」

 思わず拳を握る。ウサギを殴ってやろうかと思ったが、ただのぬいぐるみではないことを思い出して、ぐっと我慢した。高性能ななんちゃらとエリーは言っていた。おそらく、馬鹿みたいにお高いのだろう。壊して、修理代を請求されたら生活できない。

「これからお前が跳ぶ現場は、ある程度科学技術の発展した時代だけとは、限らない」

 エリーはからかうでもなく、静かに説明を始めた。

 確かに、能力の安定のために訓練で跳んだ場所も、ほとんどが二十一世紀後半の年代だった。

 一度、どこまで跳べるのか試してみようとなったときに、一人で飛鳥時代にまで跳んだ。滞在時間は一瞬のことだったが、それでも奇異の目で見られた。

「電話すらなかった時代だったらどうする? お前が捕まって、最悪、悪魔や鬼とされて処刑される可能性だってある」

 想像して、ぞっとした。未来から来たのだと説明しても、絶対に信じてもらえない。

 正史課の任務は、基本的には「待ち」の多い仕事だ。歴史改変をもくろむ連中の怪しい動きを察知して、彼らの策略をかいくぐり、正しい歴史の道に誘導していく。

 ピース・ゼロとの駆け引きがメインとなっている現在、武器の携帯も最小限だ。相手は丸腰でやってくる、らしい。そんな相手に引き金を引くことはできない。

 だから、ヒカルたちスキップ能力を持つ人間は、現地の人間に溶け込むことが、まずは第一……そう、以前に教わったことを思い出した。

「いやでもさすがに、ウサギのぬいぐるみなのは、どうなんだよ」

「人形の類であれば、腹話術だと言い張って、ごまかすこともできる。現地の通貨を稼ぐのにも使えるしな」

 エリーの言葉に、げ、とヒカルは呻いた。

 今回の任務では、二〇一八年に流通している紙幣・硬貨を事前に渡されている。それすらない任務も、今後出てくるということか。人から金をもらえるような話術は、ヒカルにはない。

「ぬいぐるみとお喋りしているファンシー趣味の男だと思われたくないだろ? ちなみに俺の声は、ボリュームを絞ってあるし、目の前にいる人間、つまりお前にしか聞こえないような設定になっているから、その辺を歩いている連中からすれば、ただのぬいぐるみでしかない」

「っ!」

 そういえば、少しずつヒートアップして、声が大きくなっていた。エリーの声が聞こえないのはいいが、残念ながらそのせいで、ヒカルがぬいぐるみ相手にぶつぶつ独り言を言っているだけの、やばい奴になってしまっている。

 がばり、と顔を上げると、案の定カメラのレンズを向けてくる、複数人の若者たちがいた。

 今度は笑顔を浮かべる余裕もなく、ヒカルは脱兎のごとく、走り出した。

12話

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