業火を刻めよ(26)

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火 ライト文芸

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25話

 三度、四度と読み返して、ようやくヒカルは書かれている事実を飲み込んだ。

「なんで……」

 声が震える。ぐっと喉の奥が詰まって、嗚咽へと変わる。

『宗教法人・龍神之業による集団自殺および無差別殺人事件』

 政治家が怪しげな儀式に参加していたなんて、真っ赤な嘘だった。あまりにも社会に与える衝撃と影響が大きいために、緘口令が敷かれた。無差別殺人の犠牲者遺族にも、それが龍神之業の信者たちによるものだとは、知らされていない。

 二〇二〇年・東京五輪まであと二年という時期に発生した事件ということも、災いした。政府は諸外国に対して、この事件を開示することを、よしとしなかったのである。小さな島国で、こんなに凶悪な事件はまれであり、再三安全性をアピールしてきた日本にとっては、その後の観光事業に大きな影響があると考えられた。

『教祖の娘・辰巳桃子は、龍神に捧げられる生贄として自害。それをきっかけに、信者たちは暴走し、周辺地域の住民を巻き込み、無差別に殺人を繰り返した。犯人は全員自殺。被害者の数は、死者二十名、怪我人はその倍以上……』

 よくもまぁ、これだけの被害者を隠しおおせたものだ。呆れてしまうほどだ。政府もマスコミも、警察も、皆がぐるになっての隠ぺい工作に、反吐が出る。

「本当は、黒田さんの家で最初に伝えるつもりだったんだ。でも、その前にお前が、彼女と出会ってしまった。彼女と親密になってしまった」

 普段と同じ、クールなエリーの声だ。だが、今日は感情のさざなみに震えている。聞いていると、逆にヒカルの心は落ち着いていくような気がした。

「それで、お前はどうするつもりだ?」

 もはや、わからないは通用しなかった。考えなければならない。自分の進む道を。

 桃子を救うのか。

 それとも彼女を見殺しにして、正しい歴史を紡ぐのを見届けるのか。

 無論、選ばなければならないのは、後者だ。正史課の人間として、職務をまっとうしなければならない。理性では、わかっている。

(ダメだ)

 彼女が死んでしまうことを知っていながら、行動することを許されていないなんて、耐えられない。

 ヒカルは今、薄氷の上に乗っている。任務と彼女への想いの板挟みになって、足を踏み外してしまいそうだ。真っ逆さまに転落した後に、自分が自分のままでいられるかどうか、わからない。時間警察の人間としていられるかどうかもわからないし、人格までそっくり変わってしまいそうな、そんな危うさを覚えている。

「どうしたら、いい」

 助けを求める相手は、目の前の男一人だった。思ったよりも、泣きそうな声が漏れる。

「どうしたらいいんだよ……! 俺は、あの子をみすみす死なせたくない! でも、歴史を勝手に変えちゃいけないのも、わかってんだよ!」

 エリーの着る白衣の襟を、震える指で掴む。勢いこんだくせに、ヒカルはそれ以上、エリーを追及することができない。

(自分で考えろ。エリーならきっと、そう言う)

 だが、予想に反し、エリーはそっと、ヒカルの肩に手を置いた。顔を上げると、真剣なまなざしとかち合う。真っ黒な切れ長の目の奥には、思いやりが潜んでいる。突き放すのではなく、ある程度理解を示した味方として、エリーは言う。

「お前が選ぶべき道は、一つしかない」

 ヒカルが反発する前に、エリーは「けれど」と続けた。ヒカルはおとなしく、エリーの話を最後まで聞く。

「俺たちは、過去の事実を変えることはできない。けれど、記録されていない感情を変えることはできる。お前にも、変えたいことがあったんじゃないか?」

(俺が、変えたかったもの)

 桃子の顔を、ありありと思い出す。出会ったばかりの頃の、笑うけれど憂いを帯びた顔。大人びているのではない。諦念を抱え込んでいるだけだった。

 接するうちに、次第に桃子の中の影は、薄れていった。ヒカルの勘違いではない。原宿で過ごした、あの日のことを思い出す。

 何をしても無駄だという囚われから、桃子が一歩踏み出した。きれいな服を着て、普段はしないメイクをして、街を歩いた。

 そのときの顔が、きっと本当の桃子の笑顔だ。

(あの顔を、もっと見たかった……いや、見るんだ)

 歴史は変えられない。起きてしまった出来事を、なかったことにはできない。彼女が死んでしまうのは、もう決まっている。

(でも、感情は変えられる)

 ヒカルと出会わないままに死んでいった桃子は、どんな気持ちだったのかを想像する。暗い表情の桃子が、父に言われるがままに、命を絶つイメージが湧く。

 おぞましい光景。だが、彼女はヒカルと出会い、思いを育んできた。死に臨む桃子は、いったい今、何を思っているのだろうか。

「彼女が『助けて』って言ったら、俺は、助けるかもしんないんだぞ」

「そうなったら俺が、全力で止めてやる」

 ヒカルは思わず笑った。今は人間の姿をしているエリーだが、過去へ行くとなれば、ウサギのぬいぐるみになってしまう。それで、「全力」を出してどうやって止めるというのだろう。

「……ああ。頼んだ」

 エリーの背を叩き、ヒカルは深呼吸をした。戻ろう。二〇一八年。彼女が迎える最期を見届けに。

27話

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