業火を刻めよ(3)

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火 ライト文芸

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2話

 部長室に入るときと、同じくらい緊張で心臓が痛いほどだった。

 医務室。この扉の奥に、悩殺ナイスバディのエリーがいる。マゾっ気はないはずだが、ヒカルはすでに、妄想の中のエリーに何度も罵倒されて遊ばれていた。

 しかし、どうして医務室なのだろう。エリーは病弱なのだろうか。それだと、警察業務に支障が出るのではないだろうか。

 気高く凛々しいエリーが、姿かたちを変えて、小さく愛らしい、人形めいた童顔の少女になる。それでも胸だけは、ぼぼーん、とアンバランスに巨大だった。

 ベッドの上で、「熱があるみたいなの……」と、ふわふわ微笑みながら、誘惑してくる合法ロリ。アダルティなお姉様と、どちらも捨てがたい。

(さあ、どっち!)

 意を決して、ヒカルは扉を控えめにノックした。

 一、二、三回。

 ……返事はない。

 先ほどよりも強く、再び三回。それでもやはり、返答はなかった。

 待っている時間はない。ヒカルは、深呼吸とも溜息ともつかない、息を吐きだしてから、恐る恐るドアを開けた。

「失礼しまーす……」

 小さな声で入った部屋は、医務室という名にふさわしく、消毒液のツンと鼻を刺激する、けれど、どこか懐かしい匂いがする。

 小学校の保健室。怪我が普通の悪ガキよりも多かったヒカルは、そこの常連客だった。赤く腫れた頬には冷たい湿布を貼り、背中の傷であっても容赦なくTシャツを脱がせ、薬を塗りたくって手当をしてくれた、養護教師のことを思い出す。

 厳しくも温かく接してくれた彼女は、ヒカルの淡い初恋の人だったのだと、成長した今だから、わかる。

 そうか。エリーは、医務室勤務なのかもしれない。新人のヒカルのことを考えて、研修期間中は、警察官ではない人間を、園田はパートナーに選んだということは、ありえなくはない。

 途端に、脳内のエリー(セクシーな方)が白衣を身に纏った。

 女医。とてもイイ。ナースでも可。

「あの、奥沢です。園田部長から、こちらへ窺うようにと言われました」

 言いながら、部屋へと足を踏み入れる。すると、壁際に置かれたデスクに向かって座る、長い黒髪の後ろ姿があった。

 白衣。白衣だ。妄想がついに現実になった。ハーフらしく、体格もいいようで、背中は一般的な女性よりも広く、肩幅もある。あとは胸だ。胸はどうなんだ。はやる気持ちを抑えながら、「エリーさん?」と、目の前の人物に声をかけた。

 瞬間、くるりと椅子ごと回転して、待ちわびたエリーとの対面を果たす。

「……え」

 ヒカルは固まった。想像とは違っていたが、瞬時に、先輩たちのにやにやした笑顔の意味を理解した。

 目も鼻も口も、はっきりと彫刻のように刻まれている。睫毛は繊細で長く、濃い陰影を落としている。紛れもなく、美人だ。でも、美女ではない。

 真一文字に引き結ばれていた赤い唇は、不機嫌そうに開かれ、低音を漏らした。

「初対面の人間に、その愛称で呼ばれる筋合いはない」

 言い放ったエリーは、億劫だというのを隠しもせずに、ゆっくりと立ち上がった。座っていたときには気がつかなかったが、気に入らないことに、ヒカルよりも十センチ近く背が高い。

 それでも一縷の望みをかけて、ヒカルは声を震わせ、尋ねた。

 身長170センチそこそこのヒカルよりも長身の女性は時折いるし、ハスキーボイスは風邪気味で喉の調子が悪いか、酒焼けの可能性も否定できなかったからだ。

「……女性ですか?」
「俺が女に見えるのなら、お前の目は節穴だな。職務をまっとうできないと診断してやろうか?」

 入ったばかりなのに残念だな。

 腕を組んで無表情にべらべらと喋っているのは、正真正銘本物のエリーだ。音を立てて美女の全身像が崩れ去る。

「お、お、お、男ーっ!?」

 ヒカルは思い切り、指を指した。パシン、とすぐに叩き落とされる。笑顔のひとつもなく、冗談にはしてもらえないのだと知る。

 ふと彼の着ている白衣の胸元を見ると、「襟川えりかわ」という名札がついていて、「エリー」という可愛いニックネームの出どころがわかった。

 おそらく、ここを教えてくれた先輩二人組は、新人をからかってやろうと瞬時に一致団結したのだろう。夫婦もバディも、長く付き合っていれば似てくるというのは、事実なのかもしれない。身長こそでこぼこコンビだったが、彼らはアイコンタクトひとつで、エリーの真実について隠そうと決めたくらいだ。

 自分もエリーと、似るほど信頼関係を築けるだろうか……無論、反語だ。ギロリと鋭い目で睨みつけられて、これでうまくやっていける自信なんてない。

「襟川壮一そういち

 彼は端的に、自分の名前だけを告げた。歓迎の挨拶など一言もなく、エリーはヒカルとよろしくやっていくつもりがないことがわかる。

 慣れていることとはいえ、エリーに上から見下ろされるのは、凄まじい威圧感だった。彼が、白と黒のみで構成されているせいかもしれない。Vネックシャツもデニムのパンツも黒の無地で、白衣だけが眩しい。

(ま、負けるもんか……!)

 白と黒というならば、パンダだって同じだ。そう、目の前にいるのはキュートなパンダだと思えばいい。

「お、奥沢光琉!」

 ヒカルもまた、よろしくお願いしますと言わなかったし、右手を差し出すこともなかった。無礼を糾弾されるかとひやひやした。エリーはヒカルの心配をよそに、咎めることなく、「まずは健康診断だな」と、デスクの上の小さなチェストから、注射器を取り出して、にやりと笑った。

 表情筋動かせるんだ、とか、ずいぶん楽しそうだなおい、とか、いろんな感情がないまぜになる中、ヒカルは妄想の中と現実のエリーとの、唯一の共通点を知る。

「あんた、医者かよ」

>4話

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