業火を刻めよ(32)

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火 ライト文芸

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31話

 事件から数日が経過した。テレビや週刊誌での報道は、憶測が憶測を呼び、真実からは遠ざかっている。勿論それは、政府や警察による圧力によるものだった。ヒカルは黒田の家で、一人でそれを確認すると、息を吐きだした。

 思ったよりも、パニックには陥っていない。まだ、やるべきことがあるから冷静でいられる。

 ヒカルはテレビを消して、立ち上がった。そろそろ向かわなければ、事前にアポを取っている時間に、間に合わない。初めて行く場所だから、迷うに違いない。余裕をもって、家を出た。

 一時間半後、ヒカルはパーテーションで区切られただけの応接間に通され、ソファに座っていた。女性が圧倒的に多いオフィス内は賑やかで、なんだかいい匂いがする。でも、そのどれもが桃子の匂いとは違っていて、ヒカルは陰鬱な気持ちで俯いていた。

「お待たせしました。奥沢さん」

 立ち上がって、片桐に会釈する。もう一度座るように言われ、腰を下ろす。

「電話でもお伝えしましたが、この度はお悔やみ申し上げます」

 ヒカルは黙って一礼した。

 片桐には事前に電話で、桃子は実は不治の病を患っており、先日亡くなったのだと説明していた。

「本当は彼女も、モデルをやりたいって言っていました。片桐さんのおかげで、最後の思い出ができてよかった、と」

 それは事実だった。桃子には、自由になるチャンスがきちんと用意されていた。でも、彼女は選び取らなかった。こちらを選んでいれば、今日この編集部を訪れていたのは、桃子だったかもしれない。

「それで、片桐さん。写真なんですけど」

 桃子の死に心を痛め、目元を拭っていた片桐は、持参していたファイルの中から封筒を取り出して、ヒカルに差し出した。震える指先で受け取って、中を確認する。

 めいっぱいおしゃれをして笑っている桃子。その隣で、彼女のことを愛おしいと微笑んでいる、自分。当たり前のカップルにしか見えない。自分にこんな顔ができたのか、とヒカルは少しだけ、驚いた。

「彼女との思い出を、一生大切にしてあげてください。あなたの中で、桃子さんは生き続けるから」

「……はい」

 たとえ何があろうとも、桃子のことを忘れることなんてない。ヒカルはそう、頷いた。

※※※

 片桐に何度も礼を言って、出版社を後にした。ヒカルは胸ポケットの中に入れた封筒を、折については触れて確認した。ここに彼女はいる。

 黒田の写真も、一緒に撮っておけばよかったと思った。彼の遺体は、惨劇の最中に蹂躙されたせいか、身元不明として扱われた。血縁でなく、この時代の人間ですらないヒカルが名乗り出ることはできない。

(……帰ろう)

 悲しいことを考え続けると、頭が痛くなる。じわりと痺れるような感覚、それからズキズキと鈍痛がしてくる。少しだけ休んでから、未来に戻ろう。

 ふらふらと足を踏み出したヒカルの前に、黒ずくめの男が立ちはだかった。

「……カイ」

 カイは、龍神之業の顧問弁護士を名乗っていたが、あの現場には居合わせていなかった。儀式の阻止を期待はしていたものの、彼はヒカルを過信することはなかった。惨劇に巻き込まれるのは馬鹿らしいと、早々に退散したのだろう。

 彼はヒカルのことを、ゴミを見るような目で見下してくる。音もなく近づいてきて、ヒカルの耳元に、一言吹き込む。

「人殺し」

 と。

 反射的に、ヒカルはカイに殴りかかろうとした。実際に拳を握り、振りかぶったのだが、カイは易々と受け止める。不敵な笑みを浮かべると、「ムキになるってことは、自分でもわかってんだろ」と言った。

「お前みたいな犯罪者に、言われたくない!」 

「犯罪者? どっちがだよ」

 カイは一歩離れ、両手を広げて首を傾げる。一連の動作はすべて、芝居がかっている。一人だけの観客相手に演説でも始めようというのかというほど、抑揚をつけた張りのある声で、堂々と語りかける。

「あの日あの場所で、惨たらしい事件が起きることをお前も俺も知っていた。俺はそれを止めようとした。お前たちは、止めなかった」

「でもそれは、正しい歴史を守るためには必要なことであって……!」

 語尾になるにつれて、音量が落ちる。こういうときに、エリーがいてほしかった。ウサギのぬいぐるみは、事件現場に投げ捨ててしまった。おそらく警察が、証拠品として押収しているはずだ。ヒカルは言葉で煙に巻くという芸当ができない、己の頭の回転の鈍さを呪う。

「この時代の人間に聞いてみろよ。あの事件が起きるのを知っていて止めない奴を、正義と言えるのか、って」

「そんなの……」

「胸張って、自分たちだけが正義だって言えんのか!」

 正しい歴史を守るという大義名分だけが、壊れそうなヒカルの心を守っていた。桃子と歴史の流れを遵守することを両天秤にかけ、悩みに悩んで出した答えを、エリーは肯定した。黒田の死だって、彼はヒカルのせいだとは思っていないだろうし、時間警察の人間として、正しい判断をしたと認めてくれる。

 だが、カイはヒカルを追い詰める。

 大勢の人間の命を救うことと、ディストピア的な未来を守ることと、どちらが尊い行いなのか、自明ではないか、と。

 ピース・ゼロは自分たちを、時間犯罪者とは認識していない。何よりも人命を優先する。その結果として、歴史の流れが大きく変わり、未来が変わってしまう。ただそれだけのことだ。

 彼らは時間を跳躍し、戦争を起こさないように奮闘する。大量殺人鬼による殺戮を、どうにかして止めようとする。

 それが、彼らの正義だ。

「多くの人間の死体の上に、お前はいる。それが、果たして正常な人間だと言えるのか?」

 ヒカルは反論することができなかった。ぶるぶると震えるのは、怒りではなくて恐怖によるものだ。ヒカルが呆然自失としている間に、カイは立ち去る。何も言えなかったし、できなかった。

 雑踏の中で、ヒカルは立ち尽くす。何かに足を引っ張られた気がして、反射的に俯く。

「も……!」

 桃子がいた。恨めしいという表情で、ヒカルを睨み上げる。全身を切り刻まれ、臓物がはみ出ている。

『もっと生きたかったのにぃ……どうしてこうなるって、教えてくれなかったのぉ……』

 可愛らしかった桃子の声を上書きする、しわがれた、化け物じみた声で恨み言を呟く。振り切ろうとして、走り出す。だが、彼女の姿は自分の脚元から消えてなくならない。

『ヒカルくん……ヒカルくぅぅぅんんん』

 やめろ、やめてくれ。彼女の顔で、そんな声を出さないでくれ。

 逃げなければ。どこへ。彼女が絶対に、ついてこられない場所。

「あれ? 今そこに、誰かいなかった?」

 恐怖が最高潮に達した瞬間、ヒカルの姿は、二〇一八年の東京から消えていた。

エピローグ

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