業火を刻めよ(9)

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火 ライト文芸

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8話

 出勤すると、エリーはすでに医務室にいる。いつも通りの黒ずくめのファッションの上に、白衣を羽織った姿だ。ヒカルは彼が、モノトーン以外を纏っているところを想像できない。

「っす」

 小さく会釈したヒカルに、エリーは眉根を寄せた。

「なんだ。緊張してるのか」

「してねぇよ!」

 声を張り上げたが、指摘されて初めて、自分の身体が強張っていたことに気がついた。声も上擦り、ひっくり返っている。エリーはヒカルを追い詰めることはなかった。

 医務室でヘルスチェックを受けてから、いよいよ二〇一八年へ跳ぶことになる。この部屋で跳ぶのかと思ったが、エリーは別室へと誘導した。

 コンピュータを始めとした機材が置いてある。それはわかるのだが、ベッドやソファ、奥には簡易キッチンまで設置されているのはなぜだろう。

「俺がここから、お前のことをサポートする」

「あ……」

 忘れていた。ヒカルはこれから、一人で過去に行かなければならない。

 能力者ではない人間は、時間を超えることはできない。動物実験で、過去に跳んだマウスは、跡形もなく消滅した。そして、そのマウスの子供たちもまた、いなくなった。

 ただ死んだのではない。最初からなかったものとされたのだ。だから、マウスに連なる命も無になってしまったし、人々の記憶からも消失した。能力者自身の証言と、映像記録によって、本当にマウスが「いた」のだということが、証明された。

 人間であったならば、もっと恐ろしいことになる。

 例えば、恋人同士がデートの最中にカフェに入る。飲み物を注文して、歓談している。そのとき、過去の一点で、彼氏の祖先にあたる人物が、スキップに巻き込まれて消える。彼女が一瞬目を逸らした隙に、愛した男は消える。愛していたという、その記憶さえも。

『あれ? どうして私、二つも飲み物頼んだんだろう……』

 と。

 ここからは、一人きりだ。向こうで草と跳ばれる先輩はいるものの、初対面の彼と、うまくやっていけるものだろうか。

(俺に、一人でできるのか)

 ぶるり、と身震いした。なけなしのプライドをもって、ヒカルはエリーの顔を見ない。不安に泳いだ目を向ければ、助けを求めていると思われることに間違いない。そんなのは、格好悪い。

 肩に手を置かれ、ヒカルは身体を跳ねさせた。同時に、いかに自分の身が強張っていたかを理解する。

「お、俺……」

「大丈夫だ。お前は、一人じゃない」

 エリーはヒカルの手に、黒いスポーツバッグを渡した。すでに自分の荷物は持っているので、中身の見当がつかない。中を見ようと手をかけると、エリーに推しとどめられる。

「中は、向こうに行ってから見ろ」

 なんで。

 言いかけたヒカルの口は、「あ」の形で止まった。あんぐりと間抜けな顔を晒した訳は、エリーの笑顔せいだった。

 この一週間、ずっと一緒にいたが、彼の笑顔なんて見たことがない。口元にニヒルな微笑を湛えることはあっても、目は無表情なままだった。

 だが、今目の前にいるエリーは、満面の笑み、花が咲いたかのような美しさを誇っていた。その分、ヒカルの背筋に冷たいものが走る。

「あ、うん。わかった……うん、今は開けない。いや~、楽しみだな。何が入ってるのか」

 ははは、と作り笑いをする。お前の助けになるものだ、と、すでに笑いを引っ込めたエリーが言う。

「いい感じに身体がほぐれたんじゃないか?」

 指摘されて、初めて気がついた。ガチガチに硬かったのが、本心から楽しくて笑っていたわけがなくても、柔らかくなっていた。

「……っし!」

 頬をパンパン、と二回叩いて気合いを入れ直した。

 新人に行かせるということは、大きな事件かどうかは、まだわからないに違いない。もしも大事件に発展すると察知できたら、速やかに帰還命令が下り、経験豊富なベテラン捜査官のコンビに交代するだろう。

 覚悟を決め、よくよく考えたら、気が楽になった。自分ができることを、ひとつひとつこなしていけばいい。過去では草が、現在からはエリーがサポートしてくれる。大船に乗ったつもりで、どんとぶつかっていけばいい。

「じゃあ、行ってくる」

「ああ。着いたらそれ、すぐに開けろよ」

 行ってこい、とエリーは言わなかった。肉体は現在に残したままでも、心はともに過去へ跳んでくれるつもりでいるのだと、励まされた。

「……エリー」

「なんだ」

「お前って、いい奴だったんだな」

 エリーは、心外だと眉根を寄せた。俺は、いつも優しいだろう、とうそぶく。

 それはないぞ、と思いながら、ヒカルは目を閉じた。

10話

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