青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(1)

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青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ

 指先が触れた瞬間、世界は歪んだ。

 ホムラは濡れた爪をさっと引っ込めて、波紋が広がりきり、揺らぎが止まるのを待った。 

 落ち着いてくると、先ほどまで見えていた農夫が再び姿を現す。雑草を取り去り、作物を丹念に世話をする姿は眩しく、ホムラはじっと彼らの動向を窺っていた。

「まーた見てるの? 本当に好きねぇ」

 背後からかけられた声に、ホムラは振り向いた。

「ルル」

 水の精霊らしく、嫋やかで、ひらひらとひれを揺らめかせるような動きで、彼女はホムラの隣にやってきた。しゃがみこんで水鏡を覗き込み、顔を顰める。ホムラと同じものを見ているのに、ルルはまったく異なる感想を抱いている。

「やあねぇ。汗臭そう」

「そんなこと言うなよ」

 ホムラはムッとしたのを隠さず、唇を尖らせた。

 泥だらけなのも汗臭いのも、働き者だからだ。自分の糧を手に入れるため、懸命に日々を生きている人間たちのことを、ホムラは何よりも尊く思う。

「本当に、人間びいきよねえ」

 ルルは立ち上がり、やれやれと小さな溜息をついた。

 彼女の言うとおり、ホムラは人間が好きだった。

 肌の色も髪の色も様々だ。多様な色彩を、美しいと思う。

 精霊は、司る四元素――火、水、土、風――によって、濃淡の差はあれど、均一な色を持つ。ルルの長い髪は、美しい湖や清流を表す、薄い青だ。それに、光り輝く美貌の持ち主でもある。

 ホムラは水鏡に手をかざした。すると映像は消え、水面にはホムラ自身の顔が映り込む。 

 火の精霊は皆、赤や橙の髪と目を持ち、顔かたちはきりりと凜々しかった。

 しかしホムラは、黒に近い青を持ち、顔立ちもぼんやりと優しかった。

 動物に例えるなら、皆が森を駆ける虎や狼だとすれば、自分は彼らに捕食されることに怯える、兎か仔狸であった。

(それに)

 ホムラは自分の手首に嵌められた金の腕環をじっと見る。

 精霊の力を、ホムラは上手く制御することができない。世界の調和を保つのが精霊の役割だ。だが、すべてを燃やしてしまいかねないことを危惧した火の精霊王・イフリートによって、ホムラの力の大部分は封じ込められている。

 要するに、みそっかすなのだ。精霊としての仕事はほとんどできず、日々をだらだらと過ごしている。

 イフリート様は、「お前はここにいるだけでいいのだよ」と言ってくださるけれど――……。

 寛大な王に頼ってばかりではいけない。なんとかしようと試みるも、他の精霊からは爪弾きにされる。

 そんなとき、ホムラはこの水鏡を覗き込むのだ。

 人間は、精霊よりもできないことが多い。自然を操ることも、動物と話すこともできない。身体が大きくて強い者もいれば、その逆もいる。

 けれど、彼らは助け合って生きている。その在り方が、ホムラにはうらやましくて仕方がない。

 精霊は、共同で作業をすることはあれど、「助け合う」という感覚はない。淡々と自分の職分を果たしたあとは、知らん顔をする。

 人間は必ず、「ありがとう」と礼を言う。ホムラが細々した作業を担当しても、誰も何も言わないのとは、対照的だった。

「人間の世界に行けたらなあ……」

 精霊界と人間界は、まったく別の場所にあるわけではない。障壁を隔てて同じ場所に存在する。

 仕組みは不明だが、透明な壁にも関わらず、精霊界から人間を観察しようとしても、影しか見えないのだ。人間側に至っては、そもそも精霊を感知できない。

 水鏡を通して初めて、ホムラは人間の営みを垣間見ることができる。

「どうしておれ、火の精霊なんだろう」

 農耕に大きく関与する、地の精霊や水の精霊として生まれたかった。そうしたら、鍛錬にも身が入っただろうに。

 人間の世界には、喚ばれなければ行けない。火の精霊はある場合を除いて、召喚されることがほとんどない。

「私なんて、喚ばれてもよっぽど好みの人間じゃなきゃ、力も貸さないわよ」

「ルルは面食いだなぁ」

 美しいものが好きなのは、精霊全員に共通するから、もちろんホムラ自身も面食いの自覚はある。

 美人に喚ばれたらもちろんうれしいが、多少の美醜は気にしない。とにかく、誰でもいいから自分を人間界に召喚してほしかった。

 わいわいと喋っていると、不意に風が吹いた。風の精霊が空気を操っているのかと思ったが、どうやら違うようだ。

 天を仰ぎ、じっと耳を澄ますホムラに、ルルが首を傾げる。

「ホムラ?」

 彼女の声に重なって、誰かが喚んでいる。微かな、しかし心地よく耳に、心に響く低い声。

「……喚んでる」

「は? えっ、ホムラ?」

 他の誰かではなく、自分を喚ぶ人間の声に、ホムラは応じた。

 誰がどんな願いをもって喚んでいるのかを確かめることはなかった。火の精霊が喚ばれるのがどんなときなのかも、忘れていた。

 ただひたすら、あの憧れの世界へ飛んでいけること。

 壁を通り抜けるホムラの胸を満たすのは、喜びだった。

(2)

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