青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(12)

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(11)

 怪我をしたホムラを放っておけないと、レイニはその日、自分の屋敷に帰らなかった。

 ふたりきりの庵の中、深く息をつく。肩の力が抜けている様子を見ると、レイニがいかに普段、重責に苦しめられているか想像がついた。

 しかしそれも、もう終わる。終わらせる。

 月がきれいな晩だった。獣が時折、低い声で唸っているのが遠くで聞こえる。

 人間は皆、寝静まっている時間、ホムラは滝壺にやってきた。ルルも精霊界から顕現している以上、向こう側には誰もいないし、何も見えない。

 上から下に流れ落ちる水を、ホムラはぼんやりと眺めている。

 ごうごうと音を立てて溜まっていく。この水の行く果ては、どこなのだろう。小川が流れ出しているけれど、辿っていったことはなかった。

 きっと、最後まで自分を慕ってくれたあの子どもたちが、もう少し大きくなったら歩いていくことだろう。冒険心は、人間、それも若い人間に特有のものだ。自分の代わりに行き着く先を見届けてほしい。

「でも、そうなる頃にはおれのことなんて、忘れているかな」

 独りごちたところに、人の気配がした。振り返るまでもなく、レイニだ。

「ホムラ様。風邪を……」

 言って、持ってきたストールを羽織らせようとする彼の手を、ぴしゃりとはね除けた。驚き固まるレイニに、ホムラは微笑みかけた。

「レイニ。これまで、ありがとう」

 おれをこの世界に喚んでくれて。水の精霊と偽っていたのだと知っても、態度を変えないでいてくれて。

 実際に目にした人間は、醜く、滑稽で、けれど精霊とは全然違う発想で、逞しく生きる者たちだった。

 裏切られても人間を嫌いになれなかったのは、レイニの献身があったからだ。

 だからこそ、自分のせいでレイニが人間たちから排斥されることなんて、あってはならない。

 ホムラの様子が違うことに、レイニは戸惑っている。

「あの、ホムラ様? 私は平気ですから……」

「平気じゃないよ。おれが」

 殊更に、明るく笑ってみせる。精霊らしく、気まぐれで姿を消すのだと思わせたくて。

「お別れだ。レイニ」

 大きく見開かれた彼の瞳は、あの日見た花火のように美しい。ホムラはなるべく視線を合わせないようにして、彼にくるりと背を向けた。

 顔を見ていたら、きっと泣いてしまうから。涙など零れないはずなのに、紺青の目が水に濡れていく。

「お待ちください、ホムラ様! 私は……」

 手首を掴まれた。存外の強さに思わず息を詰めると、自分がホムラを傷つけたと思ったレイニが力を緩める。ただし、ホムラが振りほどけない程度だったが。

 振り向かされた勢いで、バランスを崩す。抱き寄せられる格好になって、ふと、召喚されたばかりのときのことを思い出した。

 あのときも、ふらついたおれのことを支えてくれたんだっけ。

 適度に鍛えられた胸板に、ホムラはそっと頬を擦り寄せた。

「ホムラ様……どうか、私の傍にいてください。私は一生をあなたに捧げると……」

 上向かされ、口づけを受ける。

 精霊と人間の恋愛譚はままあるが、まさか自分がその主人公になるとは思わなかった。

 それも、叶わない悲恋の方の。

 柔い唇が、より奥へと侵入しようとするのを、ホムラは両手で制して拒んだ。

 このキスは、最後の思い出だ。レイニを、人々を騙していた自分が、許されていいはずがない。

「レイニ。ピアナと結婚しろ。そうすればお前は、ナパールを率いる立派な族長になれる」

 あの女がホムラを糾弾し、レイニを貶めているのは、結局彼を手に入れるための策略なのだ。彼女自身が考えたのか、それとも親の事情が絡んでいるのかは、わからない。

 ピアナにレイニを渡すのは癪だったが、彼が理不尽に蔑まれている方が耐えられない。彼女と結婚すれば、レイニの権威は戻る。

 力ある御巫として、民の声を聞く立派な為政者として、その姿を自分は、精霊界から時折覗き見られれば、それでいい。

「ホムラ様っ、私は!」

 その後に続く言葉を、ホムラは聞かなかった。かぶりを振り、「じゃあ、元気で」と笑う。

 レイニはぐっと堪えた顔で、「最後に、ひとつだけ」と振り絞った。

 懐から取り出したのは、小刀。なんだ、と見守るホムラの目の前で、彼は自分の長く伸ばした髪の毛を一束、切り落とした。

「レイニ!?」

 突然のことに驚くホムラの目の前を、風に乗って短い銀糸が飛んでいく。

「どうして」

「すべてを捧げると、申し上げたでしょう。髪には最も霊力が貯まります。だから……」

 切り落とした髪の毛を、ホムラの手のひらに載せた。じっとそれを見つめた後、握りしめて頷く。

「しかと、受け取ったぞ……」

 お前の力だけじゃない。心のすべて。

 ホムラは目を閉じる。そして次に開けたときには、レイニの姿はなく。

 見慣れた精霊界の風景に、懐かしさよりも寂寥感が次から次へと溢れてきて、ホムラは泣いた。

 初めて流す涙は、いつまでも止まらなかった。

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