青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(13)

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(12)

 精霊界は常春だが、人間界はそろそろ秋になっただろうか。

 確信をもって秋だと言えないのは、ホムラが水鏡を覗くことをやめているせいだった。

 漫然と眺めているだけでは、任意の光景を見せるだけの鏡は、見る者が強く望めば、特定の場所を映し出す。

 レイニへの未練たらたらの状況である今、鏡を覗き込めば、確実に彼が映る。レイニは自分の言うことはよく聞く男だから、別れた後、ピアナと一緒になったに違いない。

 あの高飛車な女と結婚生活を送っているレイニのことを見たくなくて、ホムラは人間界とは距離を置いていた。

「まぁ、やることはいろいろあるしな……」

 たいしたことができないとはいえ、雑用をこなす者もいなければ、精霊の仕事も上手く回らない。ひいては、世界の均衡が崩れることに繋がるのだと、ホムラは最近、ようやくわかってきた。

 心境の変化には、人間界で暮らしてみたことが関わっていた。

垣間見ているだけではなく、実際に自分も経験して、大きな力を行使することはなくとも、役立たずではないのだと胸を張って生きることができている。

 多少なりとも世界の調律に携わっているという自覚が出てきた自分を、レイニにも見せてやりたい。

 ホムラは金の環と二重に巻いた、銀の組紐を見つめる。

 レイニの髪の毛を、精霊界に戻ってから編んで加工したものだ。寂しくて恋しくて、腐りそうになる夜、レイニの霊力が込められた紐飾りを見ると、心が落ち着いた。

 もう二度と会うことがなくても、彼の力はこうして手元に感じられる。

 この日も、イフリートの命によって水の精霊王・ウンディーネの元に遣いに出されたホムラは、心ない精霊たちによってからかわれた。

 ホムラは彼らを無視して、立派に遣いを果たした。

 レイニに恥じない者でいよう。

 その決意が、ホムラの顔を上げさせる。

『ありがとう、火の。ところでうちの子は、人間界で立派にやっているのかしら?』

 ルルは水の精霊だから、当然、ウンディーネの統率下にある。ホムラは「便りがないのがよい便りだと言いますから……それに、彼女は自分と違って器用です。水の御巫とともに、人間たちと協力して世界の均衡を保つことに寄与しているのではないでしょうか」と、無難な報告をした。

 ただ、最後に会った日の彼女は……。

 記憶に引っかかっているルルは、様子がおかしかった。目がうつろで、こちらを見ていなかった。

 もっとも、自分も平静ではなかったから、きっと気のせいだろう。ホムラはウンディーネに何も言わなかった。

 ウンディーネは「ふむ」という顔をして、思案し始めた。ホムラはその場を辞するタイミングを失い、彼女の言葉を待つ。

『けれど、こんなに長く帰ってこないなんて、おかしいわ。よほど御巫のことが気に入ったのかしら……』

「確かに、顔が好みだから応じたとは言っていましたが」

 けれどそれだけなら、こうまで長く滞在する必要はない。初夏から夏の盛りまで人間界にいた自分と、同じくらい長く人間界にいる計算になることに、ホムラは初めて気がついた。

 ルルは、自分ほど人間にいい感情を抱いていなかった。なのに、ピアナの元を離れないのは変だ。

「あの、ウンディーネ様。おれ、ルルのことを調べてみます」

 精霊王は忙しく、末端の精霊を気にはかけても、自分で動くことは叶わない。

 ウンディーネに「頼みましたよ」と微笑まれたホムラは、急いでイフリートの元に戻り、仕事の完了を報告した。

 イフリートは、火の精霊王の名にふさわしく、威厳のある姿をしている。髪は火そのものでできており、彼の感情によって、その勢いが変化する。

 ホムラが彼と顔を合わせるときは大抵凪いだ状態で、ろうそくの火が揺らめくようなものだが、話によれば激怒したときには、天井に炎が移るほど、まさしく怒髪天を衝く事態になるのだとか。

 報告を満足げに聞いた王に一礼し、ホムラは一刻も早く、あの水鏡でルルの様子を確認しなければならないと気が急いていた。

 だが、こういうときに限って、王の興が乗り、会話を差し向けられることになる。

『ときにホムラよ。人間界にはずいぶん長く留まっていたようだが、もうよいのか?』

 ウンディーネといい、イフリートといい、どうして彼らは自分に、人間界のこと――レイニのことを思い出させるようなことを言うのだろうか。

「ええ、はい……もう、満足しましたので」

『そうか。ならよいが……ホムラよ』

「はい」

 なかなか帰してもらえないので、少し焦りが出てきた。イラッとした気持ちが伝わらないかと冷や汗もかいたが、精霊というのは高位になればなるほど、いい意味で鈍感になるものらしい。

 イフリートは自らの髪から飛んだ火の粉を、ふうっとホムラの方に吹き飛ばした。反射的に払ってしまって、不敬であったかと跪き、謝罪する。

「も、申し訳ありません!」

 ホムラとて、火の精霊である。イフリートの身から生じた火の粉など、むしろ褒美である。取り入れることによって、力も増す。

 人間界に下りる前は、ホムラも与えられる火を従順に受け入れ、喜んでいた。何せお気に入りと揶揄されるほどなので、機嫌のいいときには大盤振る舞い、青い髪が赤く燃え上がるほどだった。

 自分の属性であり、力の源でもある火を怖いと思って振り払ったのは、初めてのことだった。

 狼狽えるホムラに、イフリートは寛容だった。

『よい、よい。ずいぶんと人間に感化されたようだな。それだけ楽しかったと見える』

 うんうんと頷きながら、それでもイフリートは王としての泰然とした態度から厳しさを垣間見せた。

『ただな、ホムラよ。彼らに肩入れをしすぎるのは、やめておくのだ』

 ホムラのように、人間に格別な思い入れがある精霊は、これまでにもたくさんいた。

 人間も世界の一部だ。あまりにも数が多くなったり少なくなったりしたときには、精霊王の権限において、調整を行う。

人口爆発期には戦争を起こし、人口を間引く。もちろん、すべての戦争が精霊によるものではないが。

 人間に肩入れをする精霊たちは、戦争にも荷担する。そこで力を使い果たし、「あるべき場所」「始原の場所」へと還っていった精霊は多い。イフリートは、精霊としてはまだ若く、非力なホムラが天寿を全うできるように忠告しているのだ。

 ホムラは小さく首肯した。

 ええ、存じておりますよ。

 長き生を持て余した年配の者ならば、早く還りたいと願うだろうが、ホムラはまだ、生きていたい。

少なくとも、レイニの死を見届けるまでは。

「それにイフリート様。今はどこの国も戦争をしておりませんから」

 だから杞憂ですと言いかけたホムラを遮って、カンカンカン、と鐘が鳴る。守るべき世界に異常が起きたときに、風の精霊王・シルフが鳴らすものだ。

「た、大変です! 北の帝国が、南の自由国家への侵略を開始しました!」

 風の精霊から一報を受けた伝令が、礼儀も何もなく駆け込んでくる。今は戦争の時期ではない。作物を増産し、人が増えても問題がないようにしている最中だった。

 秋の戦争は特に最悪だ。せっかくの実りが蹂躙されてしまうため、短期間で和平に至っても、その後数年は打撃を受ける。

 イフリートは立ち上がり、行動を開始する。四大精霊王の会議を迅速に開き、人間が勝手に始めた戦争をどのように終わらせるのかを決めるためだ。

「イフリート様……」

 南の自由国家、すなわちそこには、ナパールも含まれる。

 ホムラはそこで出会った人間たちのことを思い出す。嫌なこともたくさんあった。けれど、最初は温かく出迎えてくれた、気のいい人々。ずっと自分を信じてくれた子どもたち。

 そして、レイニ。

 族長の息子として、自分の民の未来を守るため、彼は戦争に積極的に関わらなければならない。戦地で自ら武器を手に戦う可能性もある。

 ホムラの心臓が、嫌な風に音を立てる。動悸が激しくなり、息ができなくなる。

 彼の死を見届けるのは、数十年先のことだと思っていた。それだって、精霊にとっては一瞬の時間だ。だが、現在命の危機に瀕しているかもしれないと聞いて、平気でいられるはずがない。

「イフリート様、おれ……おれ……っ」

 助けに行かなければ。

 たったひとり、自分を信じて、すべてを捧げると約束してくれた。自分を愛してくれた男を、見殺しにしたくない。

 悲壮な目をしたホムラの胸に宿るのは、決意の炎だった。

 つい先ほど、まだ自分自身としての意識を保っていたい、始原の炎には還りたくないと思っていたはずなのに、レイニのためならば、この力を使い果たし、身が朽ちても構わないと、心から思う。

 右手の腕環をぎゅっと握りしめた。この戒めがある限り、レイニを助けに行ったところで、役に立たない。精霊の力なしでは、ホムラは女子どもに等しい。

 イフリートは真剣な目で、ホムラを見返す。一見、怒っているようにも見える。だが、ホムラにはわかる。彼は自分に、覚悟を問うているのだ。

 人間に命を懸ける価値があるのか。

 どんな結果になっても、ホムラの力が失われることは、ほぼ確定している。

 それでもいいのか、と。

 ホムラはイフリートを真っ直ぐに見返した。

 迷わない。

たとえナパールの民を、レイニを救うことができなくとも、無関係な精霊界で、まんじりとせず過ごす方が耐えられない。

 ホムラが言葉にしなくとも、イフリートにはすべて伝わった。さっと跪いたホムラが手を掲げると、彼はその手首に触れた。何の前触れもなく、金環が落ちる。

 残ったのは、レイニの髪の毛で作った銀の環だけ。

 ホムラはぐっと拳を握った。

 今なら、上手く使える気がする。この身に宿る火の精霊の力は、きっとレイニを助けられる。

 早く人間界に行かなければ。

 ホムラは走り出しそうになって、はたと気づく。

 通常、精霊が人間界に顕現するためには、御巫に喚ばれなければならない。ホムラを呼び出す物好きなんて、レイニしかいないのだが、その彼は今、儀式どころの騒ぎではない。

 どうやって人間界へ行けばいい?

 何も考えていなかったホムラを、イフリートは喉の奥で笑った。

 彼はホムラの背中側に回った。その大きな手のひらで、ホムラの目を覆う。自然と瞼を閉じたホムラの神経が、研ぎ澄まされていく。

『聞こえるだろう?』

「はい……」

 視力を閉ざしたことによって、聴覚が鋭敏になる。すると、微かに自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 ホムラ様、ホムラ様、と。

「レイニ……」

 彼の声に、涙が出そうになる。泣きながら出て行ったところで役には立たない。ぐっと堪えて、ホムラはその声のする方向へと、一歩踏み出す。

 彼はずっと、自分を呼んでいたのだ。精霊界に戻ったホムラともう一度会いたい一心で、儀式を執り行うことはできなくとも、ずっと心の中でホムラを呼んでいる。叫んでいる。

(今行くから……レイニ!)

 精霊界と人間界を隔てる膜を、ホムラは突破した。

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