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「これは……」
レイニの声を頼りに、人間界へと渡ってきた。
おそらく、ここからそう離れていないところに彼はいるはずで、そうなると当然、ナパールの領地のどこかという話になる。
木々には矢が打ち込まれ、幹は煤け、枝は丸裸だ。
戦闘の痕が色濃く残る森を足早に抜け、人里へと向かう。戦火は確実に、人間の住む区域にまで迫っている。
畑が、人家が、燃える――……。
「レイニ!」
そうはさせまいと、ホムラは吠えた。
おれの、たったひとりの御巫。
「レイニ……!」
ホムラ様、と、彼の声が耳にはっきりと届いた瞬間、ホムラの身体は宙に浮き、パチン、と泡が弾けるように消えた。
そして瞬きの後には、ナパールの本陣へと姿を現した。
満身創痍の兵は、ホムラのことを直接知っている者も、知らない者もいた。知らなくとも、突如現れたホムラが、人外の存在であることはすぐに察せられる。
「精霊、様……?」
呆然と紡がれる言葉に目を落とせば、脚の骨が折れてしまったのか、立てずにいる若者がいた。ダンと呼ばれていた、女のために聖なる小百合を求めていた男であることに気づいたが、ホムラは何も言わず、彼の前を去ろうとする。
「ま、待ってください! 助けてください、精霊様……!」
精霊さえも利用する傲慢な性格は、怪我の痛み、恐怖によってなりを潜めていた。ガタガタと震え、立たない足腰を叱咤して這いつくばり、足下に縋りつく男を、ホムラは哀れだと思う。
だが、それだけだ。
ホムラが救いたいのは、究極的にはレイニだけだ。今はこの男を構うのではなく、彼のところへ行かなければ。
振り払おうとするホムラに、ダンは「待ってください! れ、レイニ様を、お助けください……っ!」と、涙ながらに語った。
その名に反応したホムラは、彼に目をやる。
「レイニはどこにいる? おれの御巫は、無事でいるのか?」
冷たい声に、彼は精霊を裏切ったことの罪深さを改めて思い知ったのだろう。青い顔をして、頷いた。
「い、命はあります!」
それを聞いて、ひとまず安堵する。これですでに死んでいたとなったら、ホムラは力を暴発させ、ナパールの民も帝国軍も関係なく、辺り一帯を焼き払っていたに違いない。
金の腕環で抑えられていた精霊の火は、腹の中でぐつぐつと煮えたぎり、解放を訴えているのだ。
「ま、まだ殺されてはおりません。ただ……」
「ただ?」
ダンは早口に語る。曰く、「あの女が悪いのです」と。
あの女、すなわちピアナのことである。端的に言うと、ティリア族は南部の自由連合国家を裏切っていた。ティリアを味方につけるということはすなわち、海を押さえることと等しい。ナパールは迎撃されることになってしまった。
「水の精霊様も、あの女にどうも操られているようで……」
「ルル……」
やはりそうか。
街で行き会ったルルの胸元には、不気味な黒い色をした石のネックレスが飾られていた。嫌な感じがしたから、あれが原因であろう。「それで、レイニは?」
レイニは帝国側と休戦協定を結ぼうとして敵陣へと向かい、そこで捕縛されているらしい。人質である。彼の命を助けてほしくば、降伏しろと言うのだ。
海沿いのティリア、中原のナパールを手に入れたら、帝国は他の南の諸国にも侵略を進めやすくなる。レイニの父親は、父としては冷たいが、為政者としては正しい決定を下す男だ。
レイニの命は、見捨てられる。おそらく、族長の息子として教育を受けた彼自身、覚悟していることだろう。
「……させない」
バチ、と耳元で破裂音がした。ダンが、「ひぃ」と悲鳴を上げる。
風も吹いていないのに、ホムラの髪が逆立ち、毛先からは青い火花が散る。人間界でのほほんと過ごしていたホムラからは想像できない苛烈な姿に、人間たちは怯えている。
「レイニ、呼べ! おれを!」
天に向かって絶叫する。呼ばれれば、飛べる。どこへだって。
「捕まって、ボロボロの姿を見られたくないとか思ってるのかもしれないけど、格好つけんな! おれは、そんなことじゃお前に呆れたりしないし、おれの見えないところで傷ついている方が嫌なんだよ!」
両手を広げて、ホムラの手のひらには青い炎が宿る。初めて行使する力だが、本能でわかる。制御できなかったのは、方向が定まっていないせいだ。
「レイニ! おれはお前の火の精霊だ! ここで傷ついているお前の民を助け、敵を挫く、そのための力を持って帰ってきたんだよ!」
つまりそれは、精霊としての意志が中途半端であったということ。そして今は、ひとつの方向性を得ているから、力をしっかりと使えている。
愛しい御巫を助ける。ただその一心で。
「おれを、呼べ!」
『ホムラ、様……こちらへ!』
はっきりと聞こえた呼び声に応え、ホムラは敵陣へと空間移動した。
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