青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(15)

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(14)

「な、何奴!? てきしゅ、敵襲――ッ!?」

 騒がしい人間は、炎で焼いた。あっという間に阿鼻叫喚の地獄になる。

 精霊の火は、人間には消せない。水場に向かって転がり落ちるように水を浴びたって、火は皮膚を焼き続ける。

 ただし、死ぬこともない。ホムラの怒りが収まるまで、永遠に燃え続け、苦しみを受ける。そういう風に調節している。

 ホムラの青い炎は、普通の火よりも熱く、人間を傷つける。

 もともと火の精霊は、水・土・風の精霊たちと違って、人間界に呼ばれることが少なかった――平和な時代には、という条件において。

 戦時ともなれば、火の精霊たちはそれぞれの国の御巫から呼び出しを受け続ける。一万の人間の兵士よりも、ひとりの火の精霊の方が強力だからだ。

 どこの国の求めに応じるかは、精霊王の合議により、最終的にはイフリートが決める。誰がそこに向かうのかも、世界に与える影響を考えて緻密に決められる。

 ホムラが暴れているのは、イレギュラーだ。イフリートは咎めなかったが、他の精霊王からやいのやいのと文句を言われているに違いない。

 世話になった王に迷惑をかけるのも厭わなかった。それだけ、ホムラはレイニを助けたいのだ。

 敵の本陣の一般兵卒たちは、大方焼き尽くした。呻き声を上げ、生ける屍のようになっている。

 あとはレイニを探しだし、救うだけ。明らかにひとつだけ立派な天幕がある。あそこに敵の親玉がいる。おそらく、レイニも。

 突き進もうとしたホムラを制止したのは、女の声だった。

「ルル、おやりなさい!」

 その瞬間、ジュワ、という音がした。振り向けば、連中の身体の火が消えている。精霊の力には、精霊の力をぶつければ相殺できる。ルルが生み出した水は、ホムラの火を消した。

 ピアナに付き従うルルの姿は、異様だった。目はうつろで、生気が感じられない。

 操られている。一目でわかった。やはりあのペンダントは、精霊によくないものだ。

「帰ってきたの? 嘘つきさん」

 嘲笑するピアナの顔は、醜く歪んで見える。あれほど美しく、ナパールの民から、「レイニ様のお嫁さんにふさわしい」と持ち上げられていた女だが、中身は必ず、顔に出るのだ。今の彼女を見て、誰も以前のようには思わないだろう。

「ルルとレイニを解放しろ」

 ホムラの感情に連動し、周囲に火花が散るのを、ピアナは見えていないのだろうか。

 泥団子をぶつけられ、耐えていたときと同じく、侮りの対象としか捉えていないのが丸わかりの態度で、ピアナは吐き捨てる。

「なあに? ルルから聞いたけれど、あなた、落ちこぼれなんでしょう? そんなあなたにルルが負けるわけないわ。ねぇ?」

 同意を求められても、ルルは死んだ目のままで頷きすら返さない。そうしたのは自分だろうに、ピアナは大きく舌打ちをした。

「ほら、行きなさい、ルル! この戦いが終わったら、私は後宮に妃として迎えられるのだから……!」

 ティリアが帝国に協力をしたのは、ピアナの輿入れを条件に出されたからだということが、彼女の言葉からわかった。最初から、レイニに興味などなかったのだ。

 自分たちの領地を安定させることに腐心する南の自由民族国家の人間たちがほとんどの中、ティリア族は周辺地域への欲望を抱いていた。

 ピアナが後宮入りし、皇帝の手付きとなり、さらに子どもを産むようなことがあれば、帝国の政治にも介入できる。征服した南部の地域の統括を任されることもあろうという皮算用を働かせ、帝国へと恭順したのだ。

 すでに皇帝の妻となる自信がみなぎっているピアナはしかし、すぐに焦り始める。

「ちょっと……ルル! 本気でやりなさいよ! ザコ精霊相手なんでしょう!?」

 水は火に克つ。

 けれど、火が水よりもはるかに燃えさかっているとしたら、生半可な水では太刀打ちできない。

 力が弱ければ、封じるまでもない。ホムラの力が強大だったから、イフリートはわざわざ、金の環をもって封印していたのだ。ルルも知らなかっただろう。ホムラ自身、腕環を取り払って、初めて気がついたのだ。

 赤い炎より、青い炎の方が熱く、激しく燃え盛るということに。

 ルルの作り出す水の楯を、ホムラの炎の剣は容易く貫通する。勢いを削がれることなく、真っ直ぐに貫くのは、ルルの胸、黒い石だ。

「っ!」

 彼女を縛りつける呪具は破壊され、ふっと力の抜けた身体をホムラは支えた。

「ルル!」

「ん……私、は……」

 その目には、いつも通りの光が宿っていた。ひとまず彼女は大丈夫だろう。

「ごめんなさい、ホムラ……私」

「もういい。わかってる」

 悪いのはルルじゃない。ピアナ、それから彼女を操る帝国の人間だ。

「そんな……嘘よ。私が召喚した水の精霊が、火の精霊に負ける……?」

 自我を取り戻した精霊は、不義を働いた御巫に報復をする。ホムラに支えられながらも、ルルは怒りに打ち震え、ピアナに手をかざす。

 手袋を脱ぎ捨て、剥き出しとなった精霊石が、怪しい光を放っている。

「ひっ」

 よほど、ルルを使ってナパールの民を蹂躙していたらしい。そのときに使った術を自分に使われるのだと直感して、ピアナは逃げだそうとする。

「させるか」

 彼女の前に炎の壁を出現させ、ホムラはルルの報復行動を援助する。

「あなた、顔は私好みだったけれど、駄目ね。魂が美しくないわ」

 私も修行が足りないわねえ、と自嘲の笑みを浮かべたルルは、美しい。ギロリと女を睨みつけ、手のひらから水のつぶてを連打する。

「きゃああああああ!!」

 絶叫とともに、その美貌があざだらけに変わっていく。石をぶつけられた己のことを思い出したが、同情はしなかった。この女は、それを扇動した側だ。

 ルルは女の弱点をよく知っており、顔を中心に攻撃を与え続けている。

「も、もぅ……ゆる、ひて……」

 悲鳴を上げる体力すらなくなったピアナに、ようやくルルは満足したらしく、攻撃を止めた。ボコボコになった顔は、おそらく親が見てもピアナその人だとは気づくまい。

「ホムラ。私はどうしたらいい?」

 ルルには傷病者の看護を頼んだ。水の精霊は回復の術も心得ている。

 彼女は少しだけ、気まずそうな表情を見せた。当然だ。操られていたとはいえ、彼らの怪我の一部は、ルルによってもたらされたものなのだ。

 それでも彼女は、「わかった」と言って、ナパールの陣地に飛んでいった。

 ルルを見送ったホムラは、いよいよ本陣へと乗り込む。

 ここにいるのは、将軍とその護衛。それから。

「レイニ!」

 天幕をくぐると、果たしてそこには予想通りの人間たちがいた。

 帝国の将軍は、ホムラが焼いた男たちよりも立派な身なりをしているが、贅肉という名の鎧も分厚かった。おそらく戦力としては、周りを固める護衛たちの方が高いだろう。闖入者たるホムラに剣を向けてくる。

 だが、それどころではなかった。

 ホムラの目に映るのは。

 映るのは。

「レイニ……?」

 彼の上半身は剥かれ、手首を後ろ手に縛られていた。その背には、鞭打たれた痕がある。正座の状態から前につんのめり、頬を地につけていた彼は、ホムラの声に反応し、顔を上げた。

「ほ、ホムラ、様っ……ッ」

 彼は、数少ない力ある御巫だ。特に、精霊への信仰を失いつつある帝国には、ほとんどいない。

 だからレイニは、殺されない。殺すよりも、利用価値がある。戦争のために、火の精霊を呼び出す。

 なに、この間まで呼び出していたのが火の精霊だったんだろう? それを呼び出して、お前の命によって、南の地域に渾沌の火を広げるのだ――……。

 抵抗したのだろうことは、壮絶な傷跡が指名ていた。

 ホムラは悲惨な状態のレイニを直視して、ルルをナパール側に向かわせたことを、ひどく後悔した。

 火の精霊は、癒やしの力を持たない。レイニの怪我を回復させてから、向かわせるべきであった。

 早く片をつけよう。そして、ルルに看てもらおう。

 ホムラはそう決めて、視線をゆっくりと、帝国軍の連中に向けた。

 目には怒りと憎しみの炎をたぎらせて。

 常のホムラは童顔で、訓練を受けた武人に対して勝てるはずもない。

 だが、今は精霊の力をすべて解放し、さらには唯一無二の御巫を傷つけられたことに怒りを覚えている。その身は気を放ち、軍人だからこそ、彼らは後ずさる。

 これには勝てない、と。

「レイニを傷つけたのは、誰だ?」

 低い声に、護衛たちの目が自然と一点を向く。この中では一番弱いくせに、位だけは高い男だ。

「わ、わしでは……っ」

「そうか。お前か。おれのレイニに手を出したのは……」

 死んだ方がマシだと言うほどの永劫の苦しみを。

 一歩踏み出したホムラに、護衛たちが襲いかかる。しかし、一度腕を振れば、青く燃える火炎が、彼らの武器を溶かす。仕方なく素手で襲いかかってきた男の顔を掴み、燃やす。

「ぎいいあああああ!!」

 屈強な男であっても、火傷の痛みは耐えがたい。しかも、どうやっても火が消えないのだ。顔面を両手で押さえても、腕やその他には燃え広がらず、顔だけを狙って焼く。

 その様子を見た将軍は、腰を抜かしたようだ。ホムラがゆっくりと接近するのに合わせて、逃げだそうとするのだが、立つことすらままならない。

 顔を焼くだけでは足りない。護衛の連中はそこそこ容姿も整っていたが、将軍は肥満体で、顔つきも嫌らしい中年男だ。頭髪も薄い。顔を焼いても、痛み以上のダメージは与えられそうもない。

 そう考えたホムラは、ふと思いついた。

「そうだな、お前は顔よりも、こちらを焼いた方がよいか?」

 権力者は色を好む。女に好かれる要素が皆無の男だが、分不相応な地位目当てに、美女は傅き仕えるだろう。

「女を連れ込んだときに、自動で股間の粗末なものが発火するようにしてやろう。なに、その方が世のためだ……」

 こんな男の血筋など、ぷっつりと途絶えさせてしまった方がいい。

 怯え震える男に刑を執行しようとするのを、「ホムラ様」と、弱々しい声が制止した。

 振り向けば、起き上がろうとするレイニの姿。醜い男は、もはや抵抗する気もないだろう。放置して、彼の元に駆け寄る。

「レイニ。ああ、レイニ……!」

 縛めを解くと、少し痩せた身体が覆い被さってくる。

「ホムラ様、どうして……」

「お前を死なせたくないから」

 ぎゅっと抱き返すと、感極まったように強く抱かれる。少し筋力は衰えても、ホムラをただひとりの精霊と認めた実直さは変わらず、離そうとしない。

 だが、ホムラは自身の時間がそろそろないと気づいていた。

 強大な力は、その分消耗も早いものだ。体内の生命力は、今にも燃え尽きそうだ。

「お前が天寿をまっとうしたときに、迎えに来たかったけど……」

 ぼそりと呟く本音は、レイニには聞こえているかどうか。

 老いたレイニの命の灯が消える寸前まで修行を積めば、彼を唯一と定めたホムラならば、どうにか魂を精霊界に転生させることはできるようになっただろう。

 だが、時間が足りない。レイニではなく、ホムラ自身の。

 すう、と息を吸って、最期に一言言わなければならない。

「レイニ、おれ……」

 最初で最後の愛の告白は、しかし、邪魔者に阻まれる。

「このクソども……よくも私の顔を、顔を……ッ!」

 外に放置してきたピアナが、途轍もない精神力によってどうにか身体を動かしここまでやってきた。

 ホムラはさっと身体を離し、レイニの前に立ちはだかる。弱り切ったレイニでは、非力な女の攻撃にも太刀打ちできない。

「今度は焼かれたいのか?」

 手のひらから炎を出すも、火力は小さかった。青い色も淡く、オレンジが混じり始めている。

 きっと、この女に再度攻撃をしたところで、自分の命は尽きる。

 自分自身のことだから、よくわかる。

 最後にちゃんと、「愛してる」と言えずに終わってしまうのかな。

 逡巡が、命取りだった。

「殺してやる……ッ!」

 女はナイフを取り出した。そのまま突進していくのは、レイニの方だった。

 狡猾で、効果的な方法だ。今の彼女にとって、憎いのはホムラの方。そしてホムラは、自分の命などとっくに捨てる覚悟はできている。レイニを喪うことが、何よりも辛い。

「レイニッ!」

 身体が動いた。女とレイニの間に入り、彼女の頭を炎を纏った手で力一杯掴む。

「きゃああああッ!?」

 悲鳴を上げながらも、女の執念が彼女の身体を突き動かした。

「っ、ぐぅ!?」

 短剣は、ホムラの腹を刺した。柄を掴む。貫通して、背後のレイニに害が及んでしまわないように。

 この女は許されない。ホムラの憎しみの感情だけではない。ここで自分が手を下さずとも、ピアナは精霊王の裁きを受ける。

 ホムラひとりを馬鹿にしたくらいでは罰は下らないが、ルルを操り、戦争に荷担させた罪は大きい。

 何より、イフリートのお気に入りの精霊を、その手にかけたのだから。

 熱い痛いと泣きわめく女の声は、次第に遠くなっていく。

 仰向けに倒れ込んだホムラの頭を、レイニは自身の膝に載せた。

「ホムラ様っ、どうして私など……!」

 美しい紅玉石の瞳から、はらはらと落ちる涙は、水の精霊の癒やしの水以上に、ホムラの心を落ち着かせ、痛みを和らげてくれる気がする。

 血に塗れた手を、レイニの頬に寄せる。泣くな、と言いたかったけれど、もはや声も出ない。

 愛してるよ、レイニ。

 どうか幸せに――……おれがその幸福な未来を確かめる術は、もうないけれど。

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