青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(16)

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(15)

 誰かが咳き込む音に、ホムラは目を開けた。

 いつの間に夜になっていたのか、辺りは暗い。火の精霊のくせに、術を使って明るくすることすら思い浮かばず、ここはいったいどこだろう、と呆けていた。

 レイニを助けるために突っ込んでいったのは戦場で、敵の大本営の天幕の中で刺されたはず。

 それなのに、目が慣れて見えてきたのは、どう見ても壁と天井、床があるどこかの一室であった。

(いや待て、刺されたよな?)

 ホムラははっとして、腹を撫でた。傷口はなく、痛みもない。

 どうやらここは、生と死の狭間にある場所らしいと結論づけたはいいが、精霊にとっての死である場所には、どうやって向かえばいいのか、さっぱりわからなかった。

 ホムラが悩んでいる間も、咳はどんどんひどくなっていく。血を吐くのではないか。一層苦しそうに呻く声の後、淡い灯りがついた。

 部屋の中は面妖であった。壺と皿が飾られたスペースがあり、その上には縦長の絵が飾られているが、額装はされていない。黒一色、筆で描かれた木は花をつけている。ホムラの知らない木だ。床には何らかの草で作ったのか、独特な香りのするマットレスが敷かれている。

 それぞれ「床の間」「水墨画の掛け軸」「桜の木」「畳」という名前であることがはっきりと思い出せたのは、咳をする人間の姿を見たせいだった。

 おれ、か?

 今の自分よりも幼い、十代前半の年頃だ。髪も目も真っ黒で、不思議な寝間着――「浴衣」だ――を身につけている少年は、鏡で見ているかのように、ホムラにそっくりだ。

 横開きの襖を叩く音とともに、「ほむらぼっちゃん。具合はいかがですか?」と、女の声がした。同じ名前であることに、ますます驚いた。

 焔と呼ばれた少年は、「大丈夫。昨日よりはマシだよ」と返事をする。喉の奥に、ぜいぜいという音を隠して。

「さようですか」

 どうして帰るんだ。ちゃんと確認しろ。レイニだったら、絶対に自分の目で確かめるぞ。

 使用人の女を呼び止めてやろうと手を伸ばしかけたが、動かない。

 ホムラは焔少年の短い人生を見せられていた。ああ、これは夢。けれど実際にあったことでもある。

 極東の島国、石動いするぎ家の傍流に生まれた焔は、生まれながらにして身体が弱かった。しかし、貧相な肉体の分、彼には不思議な力があった。

 それは御巫の力。石動の祀る火の神と対話し、聖なる火を操る能力である。

 友人のいない焔は、寂しくなるとろうそくに火をつけた。その中に、火の神が見えるのだ。微笑み、何事かを話しかける彼の姿を通して、そういえば精霊として生まれたばかりの頃、こんな目をして話しかけてきた幼子がいたな、と思い出した。

『精霊様、精霊様』

 と、可愛らしい声と小さな手を伸ばしてきた男児に、ホムラはただ微笑んだ。

 女の子のように可愛らしかった子の髪の色は銀で、レイニと同じであることに、今更思い当たった。

 いや、もしかしたらあれは、本当にレイニだった?

 精霊祭のときに、精霊をずっと探していたと言っていたじゃないか。

(なんだ。最初からレイニは、おれのために御巫になったんだ)

 ひとりにしてしまって、悪いことをしたと思う。一生を捧げると決めた相手の死は、レイニをどれほど傷つけたことか。

 けれど、もはや運命は変えられない。死は不可逆だ。

 今は自分に似た少年の人生を、訳もわからず垣間見ているが、いずれは炎の中へと戻っていかなければならない。

 肺に持病を持っていた焔少年は、どうにか十八の歳まで生きた。病魔に負けなかったのは、火の神の加護ゆえであった。

 しかし、その神も、人間の果てない欲望、疑いの心までは取り去ることはできない。

 御巫の力を持つ焔を、本家の跡取り息子は警戒した。自分の父親が、焔のことを可愛がっていたのもある。

 俺じゃなく、焔に継がせるつもりでいるんじゃないだろうな。冗談じゃない。だいたいあいつ、いつまで生きさらばえているつもりなんだ。どうせすぐに死ぬから、跡目争いには関わらないと思って、見過ごしてきたのに。

 男は焔のことを敵と見なした。焔自身は、自分が石動家の当主になろうなど、つゆとも思っていなかった。

 焔の知らぬところで渦巻く、恨み、僻み、恐れ、そして。

 焔の暮らす家には、火が放たれた。

 親のいない夜だった。屋敷で働く下人たちもほとんどが買収されていた。具合の悪い焔を助けてくれる人間は誰もおらず、布団の上で、かひゅう、かひゅう、とかろうじて息をしているだけのところに、火の手が迫っていた。

 ホムラは見ていることしかできない自分が悔しかった。神を見る焔は、なぜか精霊であるホムラの姿は見えていない。

 誰か助けて、誰か早く。自分と同じ顔をした青年が、炎に焼かれて苦しむ姿など、見たいものか。

 いよいよ私室に火が回ってきた。部屋の畳を、襖を、箪笥を燃やし破壊していく炎を、寝転んだままの彼は冷静に見つめていた。

 燃えさかる炎は、次第に何らかの形をつくっていく。それが人の形だと気づいたとき、ホムラは「あっ」と声を上げた。

 メラメラと燃え逆立つ髪の毛。それは、まぎれもなく、イフリートであった。

「神様……見苦しいところ、申し訳ございません」

 もともと肺を病んでいるところに、煙は厳禁だ。熱い空気によって喉を焼かれ、焔は痛みに耐えながら、火の神への謝罪を口にする。

 火の神……イフリートは、首を横に振ったように見えた。気にするな、と言うように。

 イフリートの造形をした炎は、彼の布団を焼いた。端から焦げていく。彼の身体にも乗り移っていく。

「ああ、死ぬんですね、僕……」

 今までありがとうございました。

 彼の口が礼を紡ぐと、ホムラの目から涙が零れる。

 何を言っている。イフリートに願えば、助けてくれる。ほら、言え。言うんだ。助けてください、と。

 焔は粛々と、自分の死を受け入れる。彼の振りを見て我が身を顧みると、レイニになんという酷なことをしてしまったのかと気づき、震えた。

(焔!)

 ホムラの呼び声に応えたわけではないが、焔はカッと目を見開き、それから手を伸ばした。イフリートの手が、彼の手を掴む。

 そして、ホムラは理解した。

 ああ、彼はおれだ。おれの過去、前世だ。

 おれは、イフリート様によって、人間から精霊へと、その魂を転身させられていたんだ。

 だから、精霊石を持っていないし、周りから完全に浮いていた。

 前世の記憶はなくとも、精霊ではなく人間の在り方が、身に染みついていたから。力を上手く調整できなかったのも、それが原因だ。

 ……ならば、おれが還るべき、「あるべき場所」「あるべき姿」とは――……。

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