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<(19)
「おおい、ホムラよ。これ、買っていかないか?」
市場を歩いていると、ホムラはよく声をかけられる。
「ええ? ぼったくりじゃないよねえ?」
精霊だったときと違って、ざっくばらん、素のホムラの態度を、ナパールの民は面白がった。基本的には気のいい人間ばかりで、歓迎してくれている。
「そんなわけないだろうが。どうだ。この実、レイニ様はお好きだぞ」
「……知ってるよ」
なんだかんだ、族長の息子であるレイニとの付き合いは、彼らの方がうんと長く、ホムラが知らない彼の情報が、おそらくまだ山ほど眠っているに違いない。
結局、八百屋の店主に載せられた形で果実を購入した。もちろん、おまけを交渉して。世間知らずの精霊ではなく、賢い人間を目指すのだ。
レイニとホムラは、完全に復興を遂げた段階で、皆の前で結婚を宣言した。男嫁と揶揄する者もいたが、周囲に鉄拳制裁を食らい、黙らされていた。
もともと妻帯しないと公言し、孤独を貫こうとしていたレイニである。
子どもは産めないし、人間→精霊→人間という得体の知れない経歴の男であっても、レイニを心配していた長老たちは、「心を許せる相手ができたんだねぇ」と、目頭を熱くしていた。
レイニは御巫としての活動をやめ、族長になるために日々励んでいる。
『私の精霊は、ホムラだけですよ。他の精霊への儀式など、もうできません』
と潔い彼の元には、素質があると判断されたラジがやってくるようになっていた。
まだ幼く、修行をつけるわけにはいかないが、ふたりが暮らす庵は、精霊の気が濃い聖地にある。
そこで遊べば霊力は増し、ホムラから精霊界についての話を聞くことで、理解を深めている。
当然、彼と仲良しのふたりがついてくるのだから、庵での新婚生活は、存外賑やかだった。
「おれ、大きくなったらラジをまもるごえいになるんだ!」
「なら、あたしはおせわするの」
立派な御巫となったラジの左右に控える、大人になったサイとシャビィの姿が見えるようで、ホムラは微笑んだ。
「ホムラ」
会合から戻ってきたレイニの声に反応し、駆け寄る子どもたちは彼の膝にべったりと寄りつく。わらわらと懐かれ、困っているレイニの元に、ホムラもゆっくりと近づいた。
「レイニ、お帰り」
「ただいま」
最近の彼は、よく笑う。精霊時代はどうやら、ホムラの気にあてられ、緊張していたらしい。
『下っ端だなんてとんでもない。あなたの力は漏れていましたよ』
と言うが、御巫としての彼の力量が優れていたから、感じ取れたのだろう。自分ですら、あの無茶な戦い方は、火事場の馬鹿力というやつだったと思う。
「ねぇ、ホムラ」
「ん?」
相変わらず早熟なシャビィは、両手を口元に持っていって、くねくねと身をよじった。
「レイニさまに、おかえりのチューはしないの?」
チューという言葉にすぐさま反応して、きゃあ、と笑ったのはサイだ。
レイニは「ちゅ、チュー……」と、絶句している。
「ちゅー、ちゅー!」
そう囃し立てる悪ガキどもの頭をぐしゃぐしゃにしてやって、ホムラは期待しているように見えるレイニの唇を、奪った。
――どうか、幸せに。いつまでも見守っているよ。
一瞬触れるだけのキスと同時に、風が吹いた。振り返るホムラの目には、滝壺が映る。
もう、向こう側にルルがいても、見えない。霊力は使い果たされ、人間の身体には残らなかった。
レイニの髪でできた組紐も、どこかへ消えてしまっていた。あれは、ホムラにとっての精霊石の代わりだったのかもしれない。
ホムラはただの人であり、精霊祭のときであっても、もうルルのことを感知できない。
でも、きっと見守ってくれているはずだ。
もしかしたら、イフリートも滝の向こうからこちらを覗くことがあるかもしれない。
何せあのお方は、人間だった焔のことを、いたく気に入っていたのだから……。
「ホムラ」
余所事を考えているホムラの肩を掴んで振り向かせ、顎を指で上げたレイニから、再びの口づけを受ける。
「きゃー!」
はしゃぐ子どもたちの声を、滝の落ちる音がかき消していく。
(了)
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