青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(5)

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(4)

『精霊様の庵のすぐ近くの崖下。そこにしか咲かない、美しい花があるのです』

 若い狩人は、地面に枝で図を描いて、それがどのような植物なのかを熱心に説明した。聖なる小百合と称されていて、採るのは困難だが、手に入れた者には幸福が訪れるのだという。

 青年は、自分で取りに行きたいが、聖域に入るのには許可がいる。待っていたら、花は枯れてしまうとホムラに説明した。

『それに俺、木登りとか苦手なんです。崖なんて、とてもとても……』

 彼が花を手に入れたい理由は、意中の娘に贈りたいというものであった。女たちの噂話で、人間の男女のあれこれについて聞くのに辟易していたホムラだったが、彼が「どうしても」と頼み込んでくるのを哀れに思い、受けてしまった。

 問題は、レイニの目を盗んで実行するのが難しいという点だった。

 精霊に忠実に仕えるのを信条としている彼は、何の予告もなく、レイニの庵にやってくる。

 掃除くらいなら自分でできるし、食べ物も人間と違って肉食をしないから、調理ができずとも困らない。

 やんわりと遠ざけようとするのだが、レイニは聞かない。

 青年にも顔を合わせる度に「まだですか?」と急かされてしまい、仕方なく、夜中にホムラは崖に向かった。

「火の精霊なのに、たいまつを使うなんて情けないなぁ……」

 下級の精霊であっても、手のひらから鬼火を出して灯りにすることくらいはできるのだが、ホムラはイフリートによって力を封じ込められているため、人間の使う道具を拝借するしかない。

 どのくらい歩いただろうか。昼のうちにだいたいの位置は確認していたけれど、暗闇の中だから、正確な自分の居場所を把握することすら難しい。

 人の気配がない森だ。闇夜にうごめく獣たちが、不気味な遠吠えで自分の存在を誇示していて、ホムラはぶるりと身を震わせた。

 襲われたとて、死にはしない。負けるつもりもない。だが、恐怖を感じないかどうかは別の話だ。

 どうにか辿り着いた崖だが、ホムラはここで、困ったことに気がついた。

 たいまつを持っていたら、崖を降りることはできない。

「おれが風の精霊だったなら……」

 空気の流れを操り、空を飛ぶことができたのに。

 何度も「たられば」を考えたところで、ホムラは何の力も持たない、できそこないの火の精霊以外のなにものでもない。

 たいまつを消し、用意してきた命綱を腰に巻く。ホムラは手探りで崖を降り始める。

 さすがの精霊であっても、地面に叩きつけられれば危険だ。縄はこっそりと一番強そうなのを借りてきた。ホムラの命を助けてくれる、唯一頼りになるものだ。

 せめて満月の夜ならば、月明かりを頼ることもできた。しかし今日は、細い月が夜空に浮かんでいる。星影は小さく、崖下照らすことはない。

 何度もひやりとした。あると思った場所にとっかかりになるものがなく、足を踏み外したり、手を置くことができなかったり。崖の岩肌に身体を叩きつけ、擦りむいたり打ち身をつくったりもした。

 ここまでして、なぜあの男の願いを叶えようと思ったのかといえば、ホムラ自身の力を欲してくれたのは、彼だけだったからだ。

 水の精霊としての役割を与えられ、民を騙し騙し暮らしている。その罪悪感を、自分の身体能力でひとつでも願いを叶えることができれば、雪ぐことができると思っていた。

「っ」

 息が上がる。苦しい。けれど、もう少しだ。

 ホムラの足が、地面についた。

「よかった……」

 安堵の息をつき、ホムラはずるずるとへたり込んだ。

 ここまで来れば、もう大丈夫だ。明るくなってから、花を摘んで崖を登ろう。

 疲弊した身体をだらりと弛緩させ、ホムラは一眠りした。

 太陽が昇ると同時に、崖を登った。降りるときよりもずっと楽だった。

 レイニが用意してくれた人間の衣服は、ボロボロに汚れてしまった。身体もあちこちズキズキと痛むが、それよりもホムラは、早く村に戻って、青年に花を渡すことに意識が向かっていた。

 一度、滝壺の水に根を浸す。精霊界の霊気を濃く含んだ水によって、元気をなくしかけていた花は、ぴんと生き返った。

 水で濡らしたハンカチでそのまま根を包み込み、握りつぶさぬように注意をしながら、ホムラは村へと向かう。

 きょろきょろと探していると、ちょうど目の前の道を、同世代の男と話ながら歩いている青年を見つけた。彼の方は、こちらに気づいていない。

「あ……」

 声をかけようとしたホムラだったが、彼の手に握られているものを見て、足を止めた。

 彼は、赤い花を持っていた。隣の男が、花束を指してからかっている。

「お前、結局それ買ったのかよ。精霊様に聖なる小百合を取りに行かせておいて」

 彼らの話によれば、その花は帝国が原産で、南の国の中では、帝国寄りの土地でかろうじて育てているそうだ。

「今年は高いから、保険で精霊様に頼んだけど、なかなか採ってきてくれねぇんだもん」

 森で会ったときとはまったく違う、粗野な物言いだった。これが彼の、人間の男の素の姿なのだろう。精霊の前では、男たちも品行方正に振る舞う。

「ってか、その花渡す相手もさぁ」

「そ。保険。俺は賢い男だからさ」

「二股野郎め。地獄に落ちろ!」

 押し合いへし合いしながら、男たちはどこかへ行ってしまった。

「……」

 大切に持っていた白い花を、ぐしゃりと握りつぶす。苦労をして採ってきたのに、もう必要がなかった。保険とは、基本的には使わないからこそ、保険なのだ。

 呆然と立ち尽くすホムラの手を、遠慮がちに引く手があった。手元を見れば、庵によく遊びにやってくるシャビィだ。花とホムラの顔を見比べている。

「おはな、かわいそうだよ」

 かわいそう?

「……いらなくなったから、お前にやろう」

 かわいそうなのは、人間に軽んじられ、利用されたおれの方だ。

 ホムラから手渡された花を、シャビィは大層喜んだ。大げさに、「きれい!」とはしゃぎ、「ばいばい」と手を振る。「ありがとう」は、まだ幼子の語彙にはないようだ。

 大人と違って、子どもの笑顔に嘘はない。喜んでくれているのは確かだから、礼を強要するのもおかしな話で、ホムラは苦笑いしながら、女児に手を振り返した。

 小さな後ろ姿はあっという間に見えなくなり、ホムラの周りを大人たちが取り囲む。人間と同じ格好をしていても、闇を帯びた青色の髪はよく目立つ。

「精霊様、おひとりですか?」

「……」

 返事をしなかった。彼らは窓口であるレイニがいないことを確認すると、口々に好き勝手な欲望を吐き出す。隣の部族の領地よりも、多くの実りをホムラに望む。

 水の力だけではどうしようもない願いも含まれているし、何よりも出来損ないの火の精霊には、到底無理な話だ。

 ホムラは無言のまま、目の前の男の胸を強く押しのけた。そのまま、足早に人並みから離れ、村を出て行く。

 勝手な連中だ。結局、自分の欲望が満たされればそれでいいのだ。

 ホムラがどれだけ彼らのことを大切に思い、心を砕いて行動をしたとしても、人間にとっての自分は、不意に現れた何でも言うことを聞く都合のいい存在に過ぎない。

(水鏡から覗いているだけの方が、よかった)

 人間に、夢を見ていたあの頃。精霊界で孤独を抱えていても、少なくともこれほどまでに憤りを抱き、惨めな思いをすることはなかった。

「誰か、精霊様を怒らせるようなことをしたか!?」

「そういやさっき、ダンの奴が……」

 あの狩人の青年は、ダンという名前だったらしい。だが、もはやホムラにとっては何の意味もない名前だ。

 村から追ってくる人間がいないことに気づくと、ホムラは歩調を緩め、とぼとぼと背を丸めた。涙は出ない。精霊は涙なんて流さないったら、流さないのだ。

 庵に戻ったホムラを、レイニは出迎えた。そわそわと落ち着かない様子で、入り口の前を行ったり来たりしていた彼は、ホムラの姿を認めると、目を丸くして、泣きそうな顔をした。

「ホムラ様」

 ホムラはレイニにすら、何も言えなかった。彼はホムラの頬を指でそっと拭う。

「痛い」

 初めての感覚だったが、それが「痛み」という現象であることはわかった。実体化した肉体は、ただの人よりは丈夫だが、疲弊もするし怪我もする。暗い夜の森を歩いたホムラの頬やいろいろな箇所に、擦り傷や切り傷ができている。

「痛いよ、レイニ」

 ホムラの吐き出す言葉を、レイニは正確に読み取る。

 庵を抜け出して、何をしていたのか。彼は尋ね、叱責したい気持ちでいっぱいだろうに、そうはしなかった。

 身体以上に、心が「痛い」と訴えているのだと、レイニにはわかっているのだ。

 御巫は自身の霊力によって、精霊たちの感情の揺れを悟る。彼らの機嫌を損ねないように。

 彼はホムラの身体を抱きしめた。逞しい熱、胸に顔を埋めて、ホムラは目を閉じた。

 レイニ。お前まで、おれのことを利用するなんて、そんなことはないよな?

 ホムラの心の中での疑いを、レイニは「信じてほしい」と、きつく抱くことによって晴らそうとした。

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