青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(7)

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(6)

 レイニの真摯な態度に癒やされつつも、ホムラの心は戻ってこなかった。人間を愛していたからこそ、その反動も激しかった。

 用もないのに村に降りることはやめた。彼らの願いに頷き、聞いてやることをやめた。

もともと、顕現した精霊とは御巫を通じてのみやりとりをするのが普通だということを、ナパールの民は今更思い出した。

 人間好きで、近い場所までやってくるホムラが特別だった。

 ホムラを利用しようとしたあの青年は、人々から激しく非難され、排斥されたという。庵の前までやってきて、大声で謝罪を叫んでいたが、ホムラは到底、許す気になれなかった。御巫であるレイニも庇わなかった。

 彼の行く末に、ホムラは興味がない。落ちぶれてしまえとすら、思わなかった。

「もう帰ろうかな……」

 寝台に寝転がり、ぼそりと呟いた。口に出すと、名案のような気がしてきて、ホムラは起き上がる。

 そうだ。もう、十分だろう。水の精霊のフリをするのもそろそろ限界だし、自分にしてはよくやった。精霊界に戻り、水鏡から覗くくらいの距離感が、ちょうどいい。

 前向きに帰還を検討するホムラだが、脳裏でちらつくのはやはり、レイニのことだった。御巫の呼ぶ声に気まぐれに応える精霊は、もちろん帰るのもある日突然だ。誰かに断ることなんて、ありえない。

 だが、ホムラはレイニにだけは、帰ると一言告げたいと思っていた。最後にもう一度だけ抱き合って、別れを惜しむことができれば……そんな風に考えて、彼と相対する。

 顔を見るまではさよならを言うと心に決めているのに、ホムラはレイニが「おはようございます、ホムラ様」と毎朝ご用聞きにやってくると、忘れてしまう。

 それもこれも、レイニが美しいせいだ。見惚れていると、帰るのが惜しくなり、明日でもいいか、と思ってしまうのだ。

 結局、帰る日を一日、二日、一週間と伸ばし続け、夏至の日。

「精霊祭?」

 またもや親やレイニの目をかいくぐってやってきた子どもたちの言葉を、そっくりそのまま返した。

「そうだよ、せいれいさま! たのしいんだよ! いっしょにいこうよ!」

 最近は人前に出ることもないからと、ホムラが透ける衣装を身につけていても、レイニは何も言わなくなった。めくってレイニに怒られたことを、やんちゃなサイは覚えていないようで、彼は服の下に潜り込み、声はくぐもって聞こえた。

 ホムラは彼を追い出すと、精霊祭について聞いた。しかし相手は子ども、さっぱり要領を得ない。

「きらきらで、ぴかぴかで、おいしいのいっぱい食べられるよ!」

 最後の要素が最も大きいのだろう。おっとりしたラジは、短い指を折りながら、うっとりしている。

「しかしおれは、食わずとも生きていけるからなぁ」

 呟けば、「えーっ」と、珍しくラジが大声を上げた。

「ラジ、サイ。お前たち、勝手にここに来てはいけないと……」

 案の定、連れ戻しに来たレイニだったが、子どもたちは負けていなかった。周りをちょろちょろした後、彼の手を握って見上げる。

「ねえねえ、レイニさま。ぼくたち、せいれいさまとせいれいさいにいきたいよ」

「精霊祭……」

 おれは行く気ないぞ、とホムラは肩を竦めてレイニを見た。彼は一度たりとも、ホムラの意向に逆らったことはなかったから、子どもたちを「わがままはやめなさい」と諭すと予想していた。

 しかし、レイニはホムラをじっと見つめると、想定外のことを言い出した。

「そうですね……私も、精霊様に精霊祭を見ていただきたいです」

「はぁ? 本気?」

 ふたりきりの場ではないのに、ホムラは精霊らしからぬ、素っ頓狂な声をあげた。驚きのあまり固まって、その隙にサイが、再び裾から潜り込もうとする。

 レイニはうろちょろする男児を取り押さえると、「どうか、私からもお願いします」と、重ねて懇願してきた。

 自分好みの美しい顔の持ち主からの願いに、精霊はとても弱い。

 なんだかんだ押し切られ、ホムラはその日の夜行われる精霊祭に、遊びに行くことになってしまった。

「精霊祭は、夏至の日に精霊様に感謝を捧げる祭りなのです」

 世界は、遙か昔から地水火風の精霊たちの働きによって、釣り合いを保っている。

 帝国あたりは独自の神を信奉しているそうだが、長く精霊をやっているホムラは、彼らの言う神様を見たことがないので、きっと精霊のひとりが勝手に「神」を名乗り、活動しているのだろう。

 人間たちが飢えることなく、様々な楽しみを享受しながら生きていけるのは、精霊たちのおかげである。彼らをもてなし、次の一年の平穏を祈願する催しを、南の人間たちは各地で行っている。

 その中心にいるのは、やはり御巫だ。

 レイニはホムラを召喚したときと同じ衣装を纏い、狩猟や採集してきたもの、育てた作物を捧げた火の前で、朗々と感謝の祈りを歌と舞によって表現する。見物している人間たちは、深く頭を垂れ、同じく祈りの言葉をぶつぶつと暗唱している。

 ホムラの衣服でかくれんぼをして遊んでいたサイですら、神妙な顔をしているのは、レイニの神聖さがなせる業であろう。

 この場でまっすぐ前を、レイニを真正面から見ているのは、自分だけだ。精霊であるホムラだけが、御巫の舞い踊りを直視することを許されている。

 力強く、それでいてしなやかな動きは、男とも女ともつかない。精霊と同化することを表しているのだという。もちろん、ホムラの目に映るレイニは男でしかありえないのだが、性別を超えた尊い何かがあることだけは、はっきりと感じる。

 レイニはこれを見せたかったのだろうか。

 厳かな儀式は、余韻を残して消えていくロングトーンにて終焉を迎える。レイニが目を閉じ、炎に向かって深く一礼をすると、神聖さは消えた。

「さあ、ナパールの民よ! 歌え、踊れ、そして楽しむがいい!」

 叫んだのは族長、レイニの父だった。その短い号令で、民はわっと沸き立ち、散り散りになっていく。

「わっ」

 人の波に飲まれかけたホムラを救い出したのは、やはりレイニだった。彼によって守られ、ホムラは村の大通りへと連れてこられる。

「わぁ……!」

 木々や家々には装飾がされ、ラジが言っていたとおり、美味しそうな匂いをぷんぷんさせる出店が並んでいる。

 あれだけ気乗りしないという顔をしていたのに、我ながら現金だが、ホムラはわくわくする気持ちを止められなかった。

「精霊様は、楽しそうな気配に寄ってくると言われています。だから祭りは、最初の感謝の儀式を除き、無礼講なのです」

「おれはまんまとハマったみたいだな」

 見透かされたようで、ホムラは頬を掻いた。

 何はともあれ、誘ってもらえてありがたい。人間たちにはレイニの方から事前に通達が言っているのか、余計なことは言われなかった。

「精霊様、レイニ様! うちの鹿肉の串はどうだ?」

「あら、うちの果実水もいかがです?」

 屋台主たちの勧誘合戦は激しく、けれどホムラが首を横に振ればしつこくは言ってこない。肉は食べられないので、果実水だけ受け取り、ホムラはレイニとともに、賑やかな祭りを楽しむ。

 男も女も、老いも若きも笑っていて、幸せそうだ。水鏡から見る人間たちの、こういう表情が好きだったのだということを、ホムラは久しぶりに思い出した。

 精霊様精霊様ともみくちゃにされるのも一段落したところで、ホムラは人混みの中に、人間ではないものの姿を認める。

「あれは……精霊?」

 守るように肩を抱くレイニが、「精霊祭のときは、こういうことがあるのです」と囁いた。顕現していない精霊が、彼の目にも見えているのだと知る。

 精霊祭の日、集まってきた精霊は、ある程度の霊力がある者には見える。向こうは気づいていないため、精霊に呼びかけるのは禁忌であり、見える人々は精霊たちが祭りを楽しんでいる姿を優しく見守っている。

「子どもの頃は、もっとはっきりと見えました」

 えてして、幼い子どもは人知を超えた力を持っているものだ。そのまま大人になることは稀で、今も強力な御巫であるレイニもまた、昔の方が霊力が強かったという。

「大抵の精霊は、楽しそうな雰囲気に釣られて近くにやってきても、あまり人間の方を気にしません。そういうものなのだと、母から聞きました」

 人の営みに興味を持つ、ホムラの方が珍しいのだ。

「お母さんも御巫だったんだっけ?」

「ええ。私を産んでからは、ほとんど霊力を失っていましたが、現役の頃は、それはそれは素晴らしい御巫だったそうです」

 霊力は母から子へ遺伝する。レイニに力を移しても、精霊祭の夜に姿を現す精霊の姿は、彼女の目にもぼんやりと見えていた。

 レイニの母は、誰もいない場所を指し、息子に声をかけた。

 ごらん。あの方々が、我ら御巫のお仕えすべき精霊様だよ、と。

 レイニは何かを思い出したように、ふっと笑った。

「どうした?」

「いえ……思い出しまして」

 幼心に、自分が将来仕えるべき精霊と心を通わせたいと思ったレイニ少年は、夏至の日を迎えると、毎年自分の呼びかけに応えてくれる精霊を探した。

 もちろん、そんな精霊はなかなか見つからず、諦めかけていたそのとき、ひとりだけ、微笑んでくれた精霊がいたのだという。

 ほんのわずかに、嫉妬した。自分以外の精霊のことを、楽しそうに語るレイニの顔をこちらに向けさせて、「おれ以外を見るな」と言いたい気持ちになった。

「笑って手を振り返してくださった精霊様を見て、私は決めたのです」

 レイニはホムラをじっと見つめる。赤い瞳は血の色だというが、ホムラにとっては炎の色。夏至のなかなか沈まぬ夕日の色でもあった。

「私は一生を、精霊様にお仕えするのだ、と。私の呼び声に応えてくださったホムラ様に、永遠の忠誠を誓わせていただきたいのです」

 つい今朝方までの不機嫌さは、どこかへ吹き飛んだ。ホムラは舞い上がり、レイニの手を取る。

「許す、とおっしゃってください」

 彼の手は震えていた。思わず顔を上げる。

 情熱を宿した目はそのままに、不安の色が見え隠れしている。

 ああ、そうか。選択は、こちらに委ねられているのだ。

 ホムラは力強く、レイニの手を握った。迷いはなかった。

「許す。レイニの一生は、おれのものだ」

 精霊らしい傲慢さで、彼を縛った。

 一生を捧ぐと彼は今、ホムラに誓った。自分の許可がなければ、彼は妻帯できない。女たちが期待していた、美しい妻がやってくる日は、来ない。

「ありがとうございます、ホムラ様」

「うん」

 いつの間にか、うっすらと見えていた精霊の姿はなかった。気まぐれな彼らは、またどこか別の地へと移っていったのだ。

 うっとりと陶酔するような瞳で見つめてくるレイニに照れつつも、ホムラもまた見つめ返す。ずっと視界に留めておきたいから。

 遠くないいつか――精霊から見れば、人間の一生など一瞬だ――、レイニが死を迎えたそのときには、ホムラは彼のことを迎えに来るだろう。自分だけの御巫の魂をそっと掬い上げ、精霊界へと連れて帰ろう。

 そのときには、自分が火の精霊なのだと言い出せるだろうか。

 腕につけた金の環が、きゅっと締まったような気がした。思わず確認するが、力を封じる腕環は、いつも通りそこにあるだけだった。

 彼を迎えに来るときには、外せるようになっていなければならない。

「さあ、ホムラ様。行きましょう。そろそろ、花火が上がる時間です」

「花火?」

 手を引かれて辿り着いたのは、小高い丘であった。屋台を引いていた店主たちも、店じまいをして集まっている。

「なあ、レイニ。花火って……」

 花も火も知っている。火花もわかる。だが、花火は知らない。

 ホムラの疑問の声は、ドーン、という腹に響く音にかき消された。パッと視界が華やかに明るくなり、ホムラは驚き、天を仰ぐ。

 そこには確かに、「花」があった。一瞬だけ開き、散っていく「花」だ。赤や緑、ピンクに、それから。

「青い花だ……」

「きれいでしょう? 特定の鉱物と火薬を反応させると、いろんな色の火になるのですよ。精霊様なら、よくご存じでしょうけれど」

 ホムラは首を横に振った。口を開けたまま、空で行われる光のショーに魅入られる。

 精霊は、何かを新しく作り出したりしない。あくまでも世界にあるものを操るだけだ。

 鉱物は土の精霊の管轄だ。忍耐強い彼らが、時間をかけて生み出す鉱物は、基本的に人々の生活を潤わせるためにある。鉄は農具や狩りの道具になり、希少な金銀は高貴な人間の身の周りを彩る。使い方に、精霊は口を出さない。すべて、人間が長きに渡り実験し、得られた成果を利用しているのだ。

「美しい。美しいな、レイニ……!」

 花火そのものも美しいが、何よりも、火と土というまったく違う性質のものを結びつけ、こんなに素晴らしいものを創り出す、人間の素晴らしさといったら!

 興奮したホムラの言葉を、レイニは黙って、優しい顔で聞いてくれていた。

「……今年は、鉱石の値段が三倍ほどに値上がりをして、正直、花火ができないかもしれないと思っていたんです。けれど、我が民は『精霊様にも花火を見せたい』と」

「そう、か……」

 花火の時間はごく短かった。終了の笛が鳴ると、精霊祭ももう終わりだ。帰路につく人々の群れの中から、「あ、せいれいさま!」と、可愛らしい声が届いた。

「シャビィ」

「よかった、あえたぁ」

 今日の彼女は、母親と一緒だった。精霊と族長の息子に向かってきゃっきゃとはしゃぐ娘に、「こら。お行儀よくなさい」と注意するが、ホムラは笑ってやった。

「今夜は無礼講だろう」

 どれどれ、とホムラはシャビィを抱き上げた。彼女は不満を隠すことなく、とむくれた。

「だっこはレイニさまがいい!」

 幼くとも、女の顔をしている。

「これ、シャビィ!」

 咳払いをしたレイニが、「それで、何か用があって精霊様を探していたんじゃないのか?」と促せば、シャビィは思い出した! と、母を呼びつけた。

「はいはい。まったく」

 母親が取り出したのは、花束だった。しかし、普通のものとは違う。カラカラに乾燥して、一見すると枯れている。

「ドライフラワー! せいれいさまにもらったおはなでつくったの!」

「貴重なお花をいただいてしまったので、何かお返しできれば、と」

 聖なる小百合は幸福を呼ぶ花。そこで、より長く保存ができるようにとシャビィたちはドライフラワーにした。他の花も合わせて、アレンジも利いている。

 かたちは変わってしまっても、ホムラの目には美しく映った。

「おうちにかざってね?」

 腕の中で笑う少女に、ホムラは「ああ」と頷き、「ありがとう」と言った。

 ありがとう。人間がやはり素晴らしいものだと思わせてくれて。

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