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<(8)
「せいれいさま、あそぼー!」
「今日もお前たちは、朝早くから……」
ホムラは寝ぼけ眼だが、子どもたちは元気いっぱいだった。また母たちに怒られるぞ、と言ったところ、えっへんと胸を張る。
「だいじょうぶ! せいれいさまのとこにいくって、おてがみかいた!」
子どもの成長は早い。
「もう字が書けるのか」
「うんっ!」
のんびり屋で食いしん坊のラジが大きく頷くので、頭を撫でてやる。褒められて満面の笑みを浮かべる彼に対抗して、わんぱく坊主のサイが、「おれだって! よめるもん!」と言い張るので、笑って彼のことも撫でた。
「ピアナさまがね、おしえてくれたのよ」
シャビィに手を取られ、聞きたくない名前を聞いたホムラは、急に明るい声の調子になって、「さあ、どこへ遊びに行くんだ?」と、率先して外に出た。
ティリアの族長は、どうしても娘をナパールと縁づかせたいらしい。
ピアナは族長の屋敷に逗留し、村人たちと交流している。当然、レイニの父親は息子に粗相がないようにと言付け、もてなしを任せた。
ピアナがナパールの民も大事にしているのは確かなようで、女たちの作業を手伝い、子どもたちには教育を施している。そうやって取り入って、レイニとの婚姻に支障が出ないようにしているのだ。
彼にその気がなくても、外堀を埋められてはどうしようもない。
三人に引かれてやってきたのは、村はずれの水場であった。
「ほんとは、せいれいさまのおうちのちかくのおいけであそびたかったんだけど」
と言われ、それは駄目だなあ、と唸った。聖なる滝として人間たちからは大切にされている、精霊界と繋がる場所である。定期的にルルと交信していることもあり、あそこで水遊びをするのは、気が引けた。
「みずあそびは、おとなといっしょにしなきゃならないんだって」
「おれは、大人かな」
「せいれいさまはこどもなの? でも、みずのせいれいさまなんでしょ。だから、だいじょうぶ!」
純粋な言葉に、チクチクと胸が痛む。
幸い、水場に長い時間いたところでへたるような柔な身体はしていないから、子どもたちの監督に問題はない。全幅の信頼を寄せられる理由が「水の精霊だから」という点だけ、罪悪感が刺激される。
この年頃の子どもには、男も女もなかった。裸になって浅瀬で遊び始めた子どもたちを視界に収めつつ、ホムラは裸足になった足だけつけて、涼を取る。
「せいれいさま、およがないの?」
「およげないの?」
失礼なことを言うサイの顔に、手筒で水鉄砲を食らわせる。わぁ、と情けない悲鳴とともに、ケラケラと笑い始めた彼は、「それ、どうやんの! おしえて!」と、忙しない。
「少しコツがいるんだ」
寄ってきたラジにもやり方を教えていると、いつの間にかシャビィは水から上がり、ホムラの隣に来ていた。
「せいれいさま、あれ」
「うん?」
彼女が指した方向を見ると、若い男女がふたり。並んで足を水に浸している。涼みに来たのだろうが、その割には肉体をくっつけて、上半身は暑苦しそうだ。
「暑くないのかな……」
というホムラのつぶやきに、シャビィは「しんじられない!」と自分の頬を両手で押さえて、大げさに言った。
「せいれいさま、あれはデートよ。しらないの?」
うふふ、と彼女はキラキラした目を男女に向けていた。それを見て、そわそわと落ち着かないのが、先ほどまで水鉄砲の習得に夢中になっていた男児ふたりである。
「シャビィ、これはデート?」
「デートじゃないわねえ」
「じゃあこんど、デートしよ」
「どうしようかなあ」
この年にして、男ふたりを手玉に取っているシャビィの今後について若干頭が痛くなりつつも、ホムラもまた、カップルをちらちらと窺った。
子どもたちがきゃっきゃとはしゃいでいるのに、向こうも気がつかないわけがないのだが、二人の世界に入っているらしい。
彼らはベタベタと手を握ったり、男が女の腰に手をやったりと、羞恥を覚えている様子はない。どころか、女の薄い服の中に手を滑り込ませようとすらしている。
何をしているんだろう。レイニの人間知識では、よくわからなかった。
「レイニさまも、ピアナさまとデート、するのかなあ?」
少女らしく、見目麗しいふたりが並んで歩く姿を想像しているのだろう。
そうかもしれないね、と軽く受け流せばいいのに、ホムラはできなかった。シャビィの頭を優しく撫でて、小声で否定する。
「しないよ、レイニは」
「なんで?」
「だって」
レイニは、おれのものだから。
言いかけたところで、サイが大声を上げた。
「あーっ! レイニさまだ! にげろ!」
「またお前たちは、精霊様をこんなところに……」
見上げる男は、少しやつれたようだ。ホムラが立ち上がろうとするよりも前に、子どもたちが驚くような行動に出る。
「レイニさまも、みずあびしようよ。きもちいいよ!」
幼子とはいえ、三人に目一杯引っ張られれば、大人であっても太刀打ちするのは難しい。下手に抵抗をして、怪我をさせるわけにもいかないからだ。
結果、レイニはバランスを崩して、湖の中へ。
「レイニ!」
慌てて声をかけるが、子どもたちが泳いで遊べるほど、周縁部は浅い。溺れるよりも打ち身の心配をすべきかという音を立て、レイニは強かに打ったらしい腰を摩りつつ、立ち上がった。
「ラジ、サイ、シャビィ! レイニに謝りなさい!」
珍しく激怒した精霊にしょんぼりしつつ、子どもたちは素直に頭を下げた。普段は生意気で言うことを聞かない彼らに手を焼いているレイニは、毒気を抜かれたようで、「大事ない。お前たちも気をつけて遊びなさい」と声をかけた。
水から上がろうとするレイニの元に、ホムラは寄っていった。水遊びなら、精霊の衣装の方があまり重くならずに済んだだろうな、とちらとよぎった。人間の衣服は、水を吸うと膨れる。
「ほ、精霊様」
慌てた彼の頬に手を添え、見上げる。
銀糸の髪が水に濡れる。滴り落ちる雫は、人間が加工した水晶のようで、美しい。
「レイニは、きれいだなぁ」
真顔で伝えれば、レイニは一瞬だけ顔を歪めた。頬に添えたホムラの手を握り、擦り寄せる。子どもが贖罪をするような仕草だった。
「いいえ……いいえ、何も美しいことなど、ありません。私などよりも、精霊様の方が……」
彼の赤い目が、何かを訴えてきている。けれど、何を?
レイニはホムラの手をぎゅっと握ると、自分から引き離した。
「服が濡れたままだと、風邪を引きます」
「精霊は、人間とは違うぞ」
虚を突かれた表情をした彼は、目を伏せた。
「それでも、身体にはあまりよくないでしょうから。換えの服を取って参ります。……お前たちも! あまり長く水に入っているんじゃないぞ!」
「はぁい!」
子どもたちはいい返事をする。
いつしか、べったりとくっついていた男女はいなくなっていた。
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