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<36話
『馬鹿にしたくせに、ライダーに出んのかよ』
『そういう人に、かかわってもらいたくありません』
『アイドルやめて落ちぶれたから、嫌がってた特撮に出るハメになったんだろ』
様々な中傷が、飛天のアカウントに直接寄せられた。元のアカウントはすでに消えているのに、スクリーンショットが出回る。拡散し、「最低」「俳優なんてやってんじゃねぇよ」「だっせぇ」吐き捨てられる言葉。
風化するまで黙っていろ。そのうち絶対に鎮火する。
マネージャーは、炎上が収まるまで沈黙を保つように言った。だが当時の飛天には、この騒ぎが収まるとは思えなかった。
夜ベッドに入ってから、ずっとスマートフォン片手にSNSを見つめている。通知設定はとうにオフにしていた。飛天を擁護してくれるファンのアカウントもあったが、それが火に油を注ぐ。
眠れない日々が続いた。今から思えば、完全にノイローゼだった。寝不足の頭を抱えて撮影現場に向かっても、スタッフや共演者が自分の方を見て、哂っているような気がした。
事情を知っていて、「大丈夫ですよ!」と励ましてくれた共演の女優に対して、飛天はおそらく失礼な態度を取った記憶がある。
あの頃は、完全に目の前が真っ暗だった。明日になれば終わる。明日になれば、終わる。毎日そう唱えて、なんとか正気を保っていた。
しかし、ある日ぷつりとキレた。
何か特別なきっかけがあったわけではない。すでに誹謗中傷のコメントには慣れてしまっていた。「品川飛天降板」というハッシュタグが作られたり、代わりに仮面ライダーを演じてほしい役者を並べ立てたり、大喜利扱いされたりもした。
突然飛天は、何かに憑りつかれたように返信を始めた。黙っていても炎上は収まらなかった。それなら自分で反論して、燃やすだけ燃やせばいい。
後に残るのは、更地だ。かえってすっきりする。
『このときのことは覚えていないけれど、どんな男も、必ず特撮から離れる時期があるだろ』
『みんな一生懸命なのはわかってるよ。馬鹿にしてるわけないじゃん』
『一回も特撮から離れたことがないとかいう奴の方が、変だろ』
たった三つの呟きだった。それだけで、飛天の役者人生は終了した。
スマートフォンが鳴った。マネージャーからの連絡だとすぐにわかったが、飛天は無視を貫いた。
ただ見ていた。自分の発言がきっかけで、攻撃的な呟きがどんどん広がっていく。特撮ファンもアイドルファンも関係なく、燃やし尽くしていく。
大きく溜息をついた。それでも足りずに、「あぁ!」と大きな声を上げた。
これ以上の炎上は、事務所も制作会社も責任は取れないと、飛天は番組を降板、事務所も退社した。違約金は、アイドル時代の貯金から捻出し、足りない分は親が出したり、事務所が負担した。
飛天は完全に引きこもった。肉体的にも、精神的にも。SNSはすべてアカウントを削除して、こちらから誰とも連絡ができないように、電話帳もすべてクリアした。
何もかもがどうでもいい。無気力にベッドに横になり、家の中をのそのそと移動する度に、親は過敏になり、刺激をしないように沈黙する。
当時の飛天に話しかけてきたのは、妹の水魚と次郎だけだった。勉強やバイトの合間を縫って、彼らは飛天の部屋のドアを叩いた。
特に次郎には、きつく当たったと思う。飛天の将来を潰した特撮オタクのひとり。八つ当たりの対象になるには、十分すぎた。
次郎はにこにこと受け流した。特撮の話も演技の話も一切せずに、幼い頃の思い出話をした。根気よく、彼は飛天を癒していった。
水魚は、親を焚きつけて飛天を病院に連れていった。強い抑うつ状態と診断されても、実感が湧かなかった。継続して通院するようにと言われたが、従う気も起きない。
ある夜、喉が渇いて階下に降りた。ついでに顔を洗おうと、洗面所に向かった。鏡を見て、飛天はぞっとした。
幽霊がいる。死人がいる。
イケメンで売っていた顔は見る影もなく、目は落ちくぼみ、空虚なのにぎらついている。髪も髭も伸び放題で、肌を触ってみれば、脂っぽい。
急いで顔を洗ってみても、別人のような姿には変わりがない。飛天はこのとき、初めて己の危うさに気がついた。次の日からきちんと病院に行き、徐々に改善して、外にも短時間ではあるが、出られるようになった。
それでも他人の視線が恐ろしい。品川飛天であるとばれれば、何を言われるかわからない。
品川飛天を捨てられたら、どんなにいいか。
非現実的なことを考えて、日々を無為に過ごしていた。
そのときだった。
ヒーローの姿で、映理と出会った。
彼女はただ美しいだけではない。真っ直ぐで、誠実で、気遣いができる。何よりも、過去の行いをまったく知らず、飛天を尊敬の目で見てくれる。
飛天の自尊心は、映理の目によって回復した。今現在の自分を見てジャッジしてくれる彼女の存在がありがたく、そして愛おしいと思った。
映理のことを大切にしたい。だからいろいろなことに挑戦できた。飛天が何かをするたびに、彼女は尊敬を深めた。嬉しかった。またさらに、頑張ろうと思えた。
今頃、映理はすべてを知ってしまっただろう。特技研の連中が、彼女の疑問に答えてくれる。現在でもインターネット上には、飛天の炎上のまとめが残っている。一生物の傷だ。逃げて逃げて、走り切ってもう大丈夫だろうと振り返っても、すぐ背後に迫ってくる闇だ。
合わせる顔がない。
いつの間にか飛天は眠りに落ちていて、目覚めるともう、日が高かった。時間は昼近い。こんなに長く眠っていたのは、久しぶりだった。
「お兄ちゃん、起きてる?」
遠慮がちなノックの音と同時に、水魚が声をかけてくる。
「……起きてるよ」
しっかり寝たからか、飛天の精神状況は夜中よりは落ち着いていた。妹を無視するほどの荒れ方はしていない。
「お客さんなんだけど、出てこられそう? 駄目なら外から話してもらうんだけど……」
誰だろう。次郎だろうか。でも次郎だったら、水魚は「次郎ちゃん」と言うだろう。
のっそりと起き出して、ドアを開ける。妹は飛天の顔を見て、ほっとした様子だった。一番ひどかった時期を知っているから、彼女は今の兄の状態を、正確に推し量ったのだろう。
「どこ?」
「リビングで待ってもらってる」
飛天はスウェット姿で、髪もぼさぼさのまま、階下へと向かった。母も父もすでにいないリビングに、一人いたのは。
「映理、さん……?」
飛天の声に振り向いた映理は変わらず美しく、飛天は自分の格好に突如として羞恥が湧き、思わず髪の毛を撫でつけた。
>38話
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