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<38話
「次郎、高岩さん……」
待っていたのは、飛天とゆかりの深い二人だった。
仏頂面の高岩は何を考えているのかわからない。怒っているのかもしれない。呆れて物が言えないのかもしれない。
飛天は高岩がアクションを起こす前に、頭を下げた。すいません、の気持ちと、今までありがとうございました、の気持ちと。両方が織り交ざって、飛天は言葉が出ない。
目を閉じると、この場所で高岩に徹底的にしごかれた記憶が鮮明に蘇る。怒鳴られて密かにムカッときたこともある。絞められて苦しんでいるのを笑われたときには、絶対にやり返してやると決めた。
でも、この場所は暖かくて。飛天にとっては、家と同じか、それ以上に大切な場所で。
やめたくない。
飛天は鼻を啜った。涙が溢れてきた。
まだ何も達成できていないのだ。最初は、映理のためでしかなかったヒーローになるという目標が、いつの間にか自分の夢に上書きされていた。
アイドルにもなれず、役者の道も半ば、自分で閉ざしてしまった。ヒーローを目指せなくなったら、次の目標は果たして見つけられるだろうか。
「顔上げろ」
高岩のぶっきらぼうな声は怖い。飛天は命令どおりにしようとしたが、身体が錆びついたようになかなか動かない。のろのろと緩慢な動作で、飛天は高岩を見上げた。
怒っていないと態度で示すように、彼は両腕を開き、アピールしている。
「お前があの品川飛天だってことは、こっちは最初から、百も承知なんだよ」
一瞬息が止まる。ずっと啜り上げていたが、重力に逆らえずに鼻水が垂れた。さっとティッシュを横から差し出したのは、次郎だった。彼は飛天が鼻をかみ、落ち着くのを待って口を開いた。
「飛天にピンチヒッターを頼むときに、僕から説明してたんだよ」
ある程度動けて、ヒーロースーツを身に着けても様になり、さらにすぐにでも駆けつけられるくらい暇な人間は、急には見つからない。
特に最後の条件が厳しい。人は土日にプライベートの用事を入れるし、平日の疲れを癒すわずかな休日でもある。時間はあっても、なかなか首を縦に振る人間はいない。
その点、当時の飛天はただのニートだった。暇なら持て余しているし、平日も休日も区別などない。
「慌てて電話して、来てくれるってなってから、はたと気づいたんだよね。飛天と特撮って、相性最悪だってこと」
次郎は社長を始め、上司に相談した。
日曜日に来てくれる人間は確保できたが、問題がある男である、と。
無論、商売をしているフィールドに関わる世界の話だったから、みんな「品川飛天」という男の存在は知っていた。そしてそいつが、何をして、いったいどんな末路を辿ったのかまで。
「最初は反対した奴もいたが、金村が必死に説得したからな。品川飛天は、そんな奴じゃない。僕の大切な友達で、信頼できる男ですって」
「次郎……」
そんな風に根回しをしていたとは知らなかった。飛天が驚きと感謝をもって次郎を見つめると、彼は照れ笑いした。
「ひーくんは、僕の親友だからね」
一方的かもしれないけど。
謙遜する次郎の肩を叩いて、お前だけじゃないと告げる。
仲のいい奴は、次郎の他にもたくさんいた。けれど、道を分かった後も付き合いがあるのは、この気のいい幼なじみだけだった。他はみんな、徐々に離れていってしまった。
次郎の熱心な説得に折れて、高岩たちは飛天を臨時の代役として迎え入れた。
「元アイドルだか役者だか知らねぇけど、それにしては陰気な奴だ。あんときついてた奴は、そう言ってたよ」
初対面のときに失礼な言動はなかったか、記憶を掘り起こしていた飛天は、高岩の思い出し笑いに、ほっと胸を撫でおろした。陰気、というのは誉め言葉ではないが、生意気だとか調子に乗っているだとか、そう言われるよりは断然マシだ。
正式にバイトとして勤務するようになってからも、飛天はあらゆる場面で値踏みされていた。
「適当なことをしたら、即追い出してやるつもりだった」
飛天は、過去の己の言動を呪う。特撮を馬鹿にした発言は、ずっと飛天を見る目に、色眼鏡をかけさせていたのだ。
「でもお前は、真面目に練習もするし、身体も鍛え始めたし、なんか、思ってたのと違っていい奴だなってのが、俺たちの一致した見解だったよ」
直接の知り合い以外は、炎上俳優という分厚い膜に覆われた姿でしか、飛天のことを知ることができない。
高岩は次郎という接点があったから、飛天の人となりに触れることができた。膜を一枚一枚剥がしていって、残った「品川飛天」のことを、彼は評価してくれている。
炎上に関わった人間全員と、一対一で話して理解し合うことは、不可能だ。
それでも、たった一握りの特撮に関わる人に認めてもらうことができて、飛天は少しだけ、許されたような気がした。
>40話
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