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<20話
男はクレマンの心の機微を解さない人間である。どこまでも打算的で、利己的で、神よりも金や名誉といった、現世での利益の信者であった。ゆえに、あの上司のもとでも反発せずに働くことができるのだろう。
「それで、何の用だ?」
急いでいるのだろうと結論して、男はクレマンにさっそく本題に入るように促した。持参した資料は二つ。ひとつは彼の担当したひと月前の事件のもので、もうひとつは最新のイヴォンヌ・バロー殺害事件についての資料であった。
「先日のバロー家のお嬢さんが殺された事件の資料です。これを見ながら、あなたの担当した事件との共通点や相違点など、思い出して話していただきたいのです」
暗に「お前の捜査じゃ全然足りない」とクレマンは言っているようなものだが、男は言外の意味には気づかなかった。年の割に薄くなっている頭を叩き、「ずいぶんと量が多いな」と言ったが、紙きれ一枚の報告書で許されているのは、あの男の担当した事件だけであると詰りたくなった。おかげで捜査をやり直さなければならないのだから。
パラパラと捲り、男はイヴォンヌの死体のスケッチを見て、「うへぇ」と嫌そうな声を上げた。気持ちは痛いほどわかるが、実際の死体を目にする機会も多いのだから、そこは目を逸らさず、直視してつぶさに観察してもらいたい。
「お前、こんなことまでするのか?」
むしろ、あんたはしないのか?
一応は先輩にあたるし、顧客でもあるわけで、クレマンは本音を腹の中に飲み込んだ。なんでも口にすればいいというものではない。オズヴァルトのような妙な愛嬌で混ぜっ返すだけの話術があればやってもいいのだが、クレマンでは本気の口論になり、最終的に自分が敗北するに決まっている。
「今回助手を務めてくれた人間が、特別に絵が上手かっただけですよ」
オズヴァルトがさらさらと描きつけたスケッチは、死体の所見を書き込むことができればいいというのに、詳細に描かれていた。クレマンはイヴォンヌの死体に残された痕跡をひとつひとつ口にしながら、手を動かす彼のことを驚嘆をもって眺めた。
普通、ここまで精巧な描出をしようとすれば、必ず迷いが出るものだ。それを、オズヴァルトは一度の線で決めうつ。天は彼に、いくつの才を与えたのだろうか。
>22話
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