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<21話
オズヴァルトの描いたイヴォンヌは、紙の上に死体が蘇ったようだった。クレマンの知る一番上手い絵描きでさえ、映し出された死体には主観が入る。
こんなに屈強な男が殺されるはずがないという先入観があれば、やや細めに男の身体を描いてしまうというように。あるいは、死体が美しい女であったとすれば、生きていたときのことを考えてしまい、死の直前に焼きついた表情に、微妙な差異が生じるといったように。
まして、オズヴァルトにとっては婚約者である。嘆きは深く、描写は実物よりも凄惨なものになるか、甘いものになるか、どちらかだと思っていた。
オズヴァルトの正確な描写は、男を恐れ戦かせるだけではなく、死体を目の前にしていたとき以上に、クレマンに気づきを与えた。
死体の絵を直視しない男に小さく溜息をつき、クレマンは気になっている所見について指さし確認をすることにした。
「死体に化粧は?」
「化粧? 被害者は男だぞ?」
猟奇殺人鬼に常識が通用するとでも思っているのか。まぁ、この反応からすると、死体におしろいや紅は塗られていなかったようだ。今後、他の死体についても担当者に尋ねなければわからないが、犯人が常に被害者の首を飾り立てるという線は薄い。
「首の切り口はどうでしたか? ギザギザしていましたか? それともすっぱりと切り落とされていましたか?」
「……確か、あんまりきれいな切り口ではないと思った記憶があるな」
手元の粗末な死体検分書に目をやる。被害者は男だ。小柄で細身のイヴォンヌよりは、首も絶対的に太いに違いない。他の外傷について尋ねると、「なかった……と思う」と曖昧な言葉が返ってきた。毒物の使用云々は、そもそもそこまで気が回っていないだろうから、割愛した。
男相手でも、首を斬り落として殺すことに固執するのか。絶命するまでに、激しい抵抗に遭うのではないか。なのに、死体の状況はどこまでもきれいだったという。
きれいすぎる死体、か。イヴォンヌの死体とまったく同じ状況である。ひっかき傷のひとつや二つ作っていてくれれば、顔や手に傷のある男を重要参考人として挙げることもできるだろうに。
クレマンは、最後にイヴォンヌの遺体スケッチの腹部の部分を指した。オズヴァルトの正確な描写によって、「そういえばこんなものもあった」と思い出すに至った所見である。
「この被害者の腹にも、こんなものはありましたか?」
イヴォンヌの腹には、縦に走る肉割れが何本も存在した。日にあたらない部分で、他は皺ひとつ見当たらないのに、やけにはっきりと目立つ皹。
同僚はスケッチに目を凝らし、視線を中空にさまよわせては、記憶の海を泳ぐ。
「いや、なかったな」
「犯人につけられたという線はなしですか……」
直接犯人に繋がる手がかりは得られなかったが、紙きれ一枚に収まっていたことを思えば、情報はじゅうぶんに拡充できたと言っていいだろう。
クレマンは席を立ち、また思い出したことがあれば、些細なことであっても何でも言ってほしいと頼んだ。快諾した同僚は、接近してきて耳元に囁いた。
「事件とはまったく関係のない話だが、また新しい愛人ができてな……もしものときは、また頼む」
堕胎させた女とは切れたという話を聞いていたが、まさかこんなにも早く、新しい女をつくるとは。この男、まったく懲りていないのだな。
信じられない思いでまじまじと顔を見つめてしまったクレマンに、何を思ったのか、男は照れ笑いして、頬を掻いた。
>23話
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