断頭台の友よ(39)

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38話

「先生のおかげで、ずいぶん眠れるようになったの。ありがとう」

 彼女は貴婦人の手本のように一礼する。クレマンは慌てて、「いえ。お力になれたのなら、よかったです」と言う。同じ貴族であって、同じではない。カルノー子爵の地位が、子爵という名目以上に高いうえに、サンソン家は名ばかり男爵である。今も昔も平民と変わらない暮らしをしているため、貴族然とした夫人に礼を取られるなど、心臓に悪い。

 マノンは口元に手を当て笑い、使用人ではなく自ら紅茶を淹れ、クレマンに差し出した。恐縮して受け取り飲んだそれは、緊張で味がよくわからなかった。

 クレマンの眠り薬兼精神安定剤によって、マノンは幾分元気を取り戻した。薬は使用期限が短く、またカルノー家のお抱え医師にレシピを丸投げすることは憚られた。秘伝というほどのものではないので、クレマンとしてはそうしてもいいのだが、正当な医師であるあちら側が、自らの矜持を守るために拒むに違いない。

 そのため、定期的にカルノー邸を訪れては、薬を渡している。そのときどきの症状に合わせて、配合のバランスも調節しなければならず、話をするために滞在時間は長くなる。そのため、オズヴァルトは「カルノー夫人への聞き込みは、君の方が適任だな」とクレマンの肩を叩き、他の対象に近づくべく、社交界に積極的に顔を出している状況だ。

 一任されたクレマンだが、症状についての質疑応答は円滑にこなせるくせに、肝心の彼女の元婚約者について話をしようとすると、途端に口が錆びついてしまうのだった。そうしているうちに、カルノー夫妻との付き合いも一ヶ月以上が経過している。

「今度はぜひ、奥様ともご一緒したいわ」

 クレマンは、体調不良と聞けばすぐに瀉血を行う医師ではない。対話を重視し、身体の凝りを揉み解しやわらげたり、薬を調合して渡す。相手が庶民でも貴族でも、治療法を変えない。結果、クレマンとマノンは、単なる医師と患者の関係に収まらない。よって彼女のお誘いは社交辞令でもなんでもなく、本心であるとわかる。クレマンと同じく地味な庶民の暮らしが板についている妻は、こんな立派な邸宅に呼ばれたら、卒倒してしまうかもしれない。

「ええと、その……」

 うまく断る文句が思い浮かばない。言い淀むクレマンに、マノンは微笑みを浮かべ、「いいのよ。こちらが勝手にお誘いしているだけですから」と言った。

 豊満な肉体も相まってか、クレマンが彼女に抱くのは、母への憧憬である。姉という程度にしか年は離れていないのだが、医者のくせに青白い顔をしたクレマンを気遣い、さらには顔も知らぬブリジットの心情まで慮るその姿は、母性に溢れている。

 本当の母とは、似ても似つかない。母親は痩身という言葉では足りないほどに痩せていた。ブリジットとは異なり、健康的な要素のかけらもない。抱き締めてもらった記憶もあまりなかった。あったところで、硬い骨の感触ばかりで、母という言葉の持つ柔らかさとは対極であっただろうけれど。

 もしも。

 もしも、母がマノンのような人であったのならば、彼女は今も生きていただろうか。ブリジットと台所に並んで、鼻歌を歌いながら鍋を混ぜたり、クレマンが職務で落ち込むことがあったときには、叱咤してくれただろうか。

40話

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