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<3話
手足を潰したことによって、男は気を失った。歴代のムッシュウ・ド・パラーゾたちによって記された人体の構造は、クレマンの中にしっかりと定着している。どこをどう潰せば、適度な時間で刑死するのかわかっている。
車裂きの刑は、ただ命を絶てばいい斬首や絞首刑とは異なる。巨大な車輪に固定して、死ぬまで放置する。今回の男も、途中で意識を取り戻すだろう。気絶している間にこっそりと、首を絞めて殺すことが昨今は許可されることが多いのだが、彼は残念ながら温情をかけられなかったので、自分の死がひたひたと迫りくるのを感じながら、最期の時を迎えるのだ。
とはいえ、クレマンも無駄に苦痛を与える趣味はない。死ぬまでにさして時間がかからないように、執行人の裁量として調節している。
おそらく昼の鐘が鳴り響く頃には、男は死ぬだろう。刑死者は普通に埋葬されず、クレマンは即座に死体に火をつけて、灰になるまで燃やし尽くす。人間を焼く臭いは、鶏や豚を家の竈で焼くのとはまったく違う。実験をしたことはないが、おそらく髪の毛や爪が焼けると悪臭がするのだろう。
燃やした灰は、風にさらわれないうちに搔き集める。群衆は処刑の見物に集まるくせに、終わった後の死体を忌み嫌い、自分たちの街に灰が落ちることさえ厭う、自分勝手な生き物である。そのため、クレマンは革袋に入れて持ち帰り、家の畑に撒くことにしている。皮肉なことに、作物の育ちはよい。
掠れた声が「助けてくれ」と懇願する。手当てをされたところで、両手足には重い障害が残り、日常には戻ることができない。そのまま生きるくらいなら、いっそここで死んだ方がましであると、想像には難くない。
「ゆ、ゆるして……いう、いうから」
いまさら仲間の名前を口にしたところで、苦し紛れの告発は、信憑性に欠ける。意識も朦朧としているから、なおさらだ。相手の元に捜査の手は伸びるだろうが、クレマンが拷問にかけることはないだろう。それでも一応は、微かに漏らされた名前を聞き取り、胸の内に書き留めておく。
だらだらと手足から流れ落ちる血液は、すでに生きた血になっている。治療のときは赤黒く濁った悪い血を流し切ったところで止血する。真っ赤な血を流し続ける男は、もうそろそろ限界だ。いつしか呻き声すら出せなくなっており、ひゅうひゅうと風の音に混じる呼吸音だけを発している。瞬きをする力もなく、視界は閉ざされている。
ここまでくると、見物人たちは三々五々に解散する。この舞台の一番の見どころは、血が噴き出し、男が助命を懇願する場面だ。瀕死の状態の人間は、動かないし喚かない。主演俳優としては失格であるから、途端に興味をなくす。それに、彼らにも仕事がある。クレマンと同じように。
>5話
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