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<82話
歓迎の意味を込めたごちそう、というわけにはいかなかった。サンソン家の財力を考えれば、当たり前だ。ブリジットは金を使えない分、心を込めて下ごしらえをして、丁寧に調理した。幼い子供が苦手とする香味野菜の類は細かく切り刻み、食べやすいように工夫してある。クリスティンには好き嫌いはなかったが、「孤児院の食事よりもおいしい!」と、喜んで食べていた。
オズヴァルトは、マナーもへったくれもない彼女の食べ方に少々思うところがあるのか、眉根を寄せていたが、クレマンが目で制した。クリスティンは、サンソン家ではなく、マイユ家で養育されることになっている。もろもろの準備が整えば、王都の屋敷に連れていかれ、そちらで淑女教育がなされるのだ。ここにいるうちは、せめて子供らしく快活に過ごしてほしい。
できることなら、クレマンが自分の手で世話をしてやりたかった。しかし、ブリジットとの間に子供もいないのに、いきなり十歳の子供を育てたいと言っても、許可が降りない。まずは実子を育てた実績が必要。話はそれからだと、書類を見てすらもらえない。
その点、マイユ家の女主人、すなわちオズヴァルトの母親は、なさぬ仲の兄二人を一人前の男に育て上げ、実子のオズヴァルトもまた、あとは妻さえいれば完璧、という非の打ち所もない青年に養育した実績の持ち主だ。
たった数日間とはいえ、ブリジットとクリスティンは、本当の母娘(年齢差からいえば、姉妹か)のように楽しく過ごしていた。マイユ家の支度がすっかり整っての別れの日、クリスティンはわんわんと泣きながら、ブリジットに抱きついて、離れようとしなかった。
「やだぁ! ずっとおじさんの家にいるぅ!」
子供らしいわがままを言うことも、孤児院ではできなかった。彼女は知恵が遅れていて、悪口を言われようが、こっそり腿を抓られようが、何も感じない人間でいなければならなかった。
最初は戸惑っていたクリスティンの情緒は、ブリジットと過ごし、クレマンの診療所を訪れる村人たちに可愛がられ、ずいぶんと成長した。ぬいぐるみよりも、ブリジットの方が大切らしい。オズヴァルトがぬいぐるみを使って気を引こうとするが、クリスティンはいやいやと首を横に振った。
可愛く思ってはいたが、クレマンはまだ、子供の扱いに慣れていなかった。あたふたしていると、ブリジットがクリスティンの両肩に手を置いて、諭し始める。
「大丈夫。オズおじさまは、クレマンおじさんの大事なお友達だから。クリスちゃんも一緒に遊びに来たらいいわ」
すんすんと鼻をすすり、クリスティンは「ほんと? ほんとに、あそびにきてもいい?」と、何度も確認している。ブリジットは優しく抱き締めて、「いつでもいらっしゃい」と言いながら、目配せしてくる。クレマンも慌てて駆け寄って抱き締めると、「そうだ。いつでもいい。オズと一緒においで」と慰めた。
オズヴァルトと一緒に馬車に向かうときも、涙目で振り返り振り返り、名残惜しんでいた。クレマンはブリジットと並び、馬車が小さくなって見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
「う……」
見届けてから、ブリジットは嗚咽した。本当は、ずっと一緒に暮らしたかったのだろう。心の底から可愛がっていたから。クレマンは妻の肩を抱き寄せた。
「子供……つくろう」
彼女はずっと、子供を欲しがっていた。夜の営みがないことを、気にしていた。クレマンからの愛を疑うようなことはなかったが、それでも不安だった。
「ごめん」
わっ、と声をあげ、クリスティンと同じように泣き喚いた。クレマンは、何度も彼女に謝罪して、泣き止むのを待った。
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