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<91話
「どうして・・・・・・!」
殺されたのは、クリスティンであった。クレマンが引き取りたいと申し出てから、わずか三日後。関係がないと言い切りたかったが、できなかった。
首斬鬼の犠牲者は、自殺志願者だ。クリスティンは、自分たちのところに来ることを嫌がって、絶望して、首斬鬼に救いを求めたのだろうか。
泣きそうな気持ちを押し殺した。ひとしきり嗚咽に耐えて、クレマンはどうにか立ち上がった。
クリスティンの死の真相を究明して、彼女の敵を討つ。
これまではオズヴァルトのために捜査を続けてきたが、この事件はクレマンにも深く関わってしまった。絶対に、犯人を捕まえて、この手で処刑してみせる。
シーツの血は、いまだ乾いていなかった。死体に触れると、ほんのりとわずかに温もりが残っていた。つまり、殺されてからあまり時間が経過していない。
療育院は精神の病を患い、人に危害を与えかねない患者も多いため、警備は厳重だ。個人の家や、慈善事業を行う資産家の視察が多い孤児院とは違い、夜中に忍び込むことが困難だったのだろう。朝になってから、出入りの業者と入れ替わって侵入したと考えるのが妥当だ。
「申し訳ないが、頼まれてくれないか?」
部屋の警備をしていた男は、好奇心を隠せない様子で、部屋の中をちらちらとうかがっていた。クレマンが声をかけると、「はいっ!」と、にわかに緊張し、背筋を伸ばして返事をする。やや粗暴な印象を受けるが、根の部分は素直なのだろう。
「療育院の外に、身ぐるみを剥がされて倒れている人がいるかもしれない。その人を探して、保護してきてくれないか」
自分の考えた侵入方法を簡単に説明すると、男は得心がいったと頷いて、すぐにドタバタと外へ出て行った。どの辺りに転がされているか、門外漢のクレマンよりも、ここに勤めている男の方が予測がつくに違いない。
入れ替わられた人物は、首斬鬼を目撃している可能性が高い。彼の証言が、鍵を握るのはもちろんだが、部屋の中にも物証が、いつもよりも多く残されている。
クレマンの興味を最も引いたのは、カップであった。孤児院と違い、食事は個室に提供されることが多いだろう。他人と顔を合わせると混乱してひきつけを起こすような患者もいるのだから。
なので、カップが部屋の中に存在することは、特におかしくはない。発見された場所が問題であった。机の上ではなく、ベッドの下に転がっていた。まるで、急いで隠蔽しようとしたように。
中には拭いきれなかった汚れが残っていた。クレマンは自分のハンカチを取り出すと、指に巻きつけてそっと掬う。水に溶けきらなかった薬であることは、クレマンの目には明らかである。
使われてからまだ時間が経っていないせいか、臭いが鮮明であった。酸っぱい柑橘類にも似た臭いは、東の孤児院での殺人事件の際に使われたものと一致する。
しかもこれは。
ある疑いをもって、クレマンは恐る恐る溶け残りの薬を舐めた。薬の調合を習うときには、致死性の毒のあるもの以外は、自分の口で確かめる。できあがった薬もだ。そうやって、味や臭い、効果を覚えていくのだ。
飲み込んで、クレマンは目を閉じた。胸に去来するのは、「やはり」という思いと、「なぜ」という疑問。これまで一度も、疑ったことなどなかったのに。
クレマンはカップを隠し持ち、部屋の外に出た。遣いに出した男はまだ帰っていない。
「クレマン!」
遅刻していたオズヴァルトが、混乱した療育院の人を掻き分け、近づいてくる。
「遅くなってすまない! ……何があった?」
演技でもなんでもない、青い顔をしたクレマンを、オズヴァルトは心配している。
何があった、だって?
顔が強ばった、本当の理由に彼が気がつかないことを、クレマンは祈った。
「クリスティンが……」
自然に、そう自然に振る舞うべきだ。クリスティンの死を悼み、犯人への怒りを滲ませれば、真実に思い当たってしまったことは、隠せるだろうか。
クレマンはオズヴァルトの肩口に額を載せた。涙を零すと、大きな手が頭を撫でて、慰めてくれる。一瞬の緊張は、突然触れられたことに対する反応だと勘違いしてくれているだろうか。
許さない。絶対に。
目を閉じると、溜まった涙がオズヴァルトの服を濡らしていった。
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