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<第二話①
「おしゃべり女って、やっぱり男の人にとってはウザいんですかねぇ」
カフェの営業は終わり、後片づけや明日の準備もある程度終わった。茉優たちには「気晴らしに遊びに行こうよ」と言われたが、気分が乗らないからと断り、「月虹」の開店準備を手伝っている。
グラスを磨きながらの私の言葉に、カウンター席に座っているマスター・鉄平《てっぺい》さんは手を止めて、こちらを見た。
「どうしたんですか? 変なものは入れてませんよ?」
昼間の男性客の態度に、茉優たちは怒ってくれた。だが、私はどうしても賛同できずに聞き流していた。その後もお客さんは何組も来店したが、上の空だったおかげで、パスタを茹ですぎてしまったのである。なので、マスターに賄いとして提供している。
茹でる分量を間違えたパスタは、そのままにしておくと美味しくなくなってしまうから、余ったトマトソースで和えておく。それを卵でとじてやると、あっという間にパスタオムレツができあがるのだ。イタリアンの有名シェフのお悩み解決法として、テレビで紹介されていたアレンジレシピである。
「月虹」を間借りする契機になった、彼のおばあちゃんのクリームシチューとは違って、こちらは本当に、「硬く美味しくなくなってしまわないように、いかに残り物のパスタを美味しく食べられるようにするか」に特化している。そんなものを食べさせるのも気が引けたが、残念ながら今の私の喉には、大量のパスタは通らない。
繁明と小雪の裏切りを知った直後もそうだった。趣味は料理を作ること、美味しいものを食べること、普段は人の倍くらい食べる私は、精神的なショックによって極端に食が細くなる。ダイエットになってちょうどいいとやせ我慢して強がって笑ったけれど、体調は常に悪かった。
賄いを食べるのを途中で止めて、彼は私のことをまっすぐに見つめる。
「いや、どうして俺にそんな話をするのかと……」
それはあなたが寡黙で無表情で、昼間のお客さんにちょっとだけ似ている気がしたから。
……なんてことは、もちろん言えない。見ず知らずの、名前も知らない人の愚痴から悪口に発展するなんてこと、客商売をする人間が、しちゃいけない。マスターとは同じく、飲食業に身を置く者、私の大先輩だ。お説教を食らうに決まっている。
自分が悪いのは、一番よくわかっているから、聞きたくない。
首を横に振って、笑ってみせた。
「マスターが無口な方だからですよ。そういう男の人って、私みたいなおしゃべりのこと、いったいどう思ってるのかな、って」
努めて軽く言ったつもりだが、マスターの眉間には深く皺が寄る。何かがあったのでは、ということには勘づいている様子だ。けれど悲しいかな、相手の本音を引き出すための言葉を、彼は知らない。
普段は無駄口を叩いてばかりの私でも、話したくないことはある。勝手に口を割ることはないぞ、と、無言で準備を続けた。陽太から提案されていた、バーで出すおつまみや軽食に関しては、マスターからまだ許可が出ておらず、料理ではなく食器のチェックばかりしている。
たぶん、いつまで待っても許可は出ないと思う。マスターは、出て行った奥さん以外の人間を置くこともないだろう。ずっと、彼女のことを待っている。そんな気がした。
私と彼は、似たような経験をしていると思ったけれど、ずいぶんと違う。相手方じゃなくて、私とマスターの話。去る者を追わなかった私と、忍耐強く待ち続けているマスター。
ひょっとしたら、私の繁明への気持ちは、愛というには弱かったのかもしれない。
そんなことを考えていると、マスターが食事を終えて、「交代」と、カウンターの中に入ってきた。
「洗い物もやりますよ」
マスターはふるふると首を横に振り、私はキッチンを追い出される。
「今日は車か?」
質問の意図がわからず、首を傾げる私を、じっと見つめてくる。慌てて、「あ、えっと、自転車」と答えた。ようやく自動車の運転にも慣れてきたけれど、運転しなくていいのなら、それに越したことはない。
マスターは片眉を跳ね上げて、「車だな」と、頷いた。広い意味ではそうだが、一般的にはあまり賛同されない気がする。
彼はグラスをひとつ手に取ると、冷蔵庫からトマトジュースを取り出した。今日のトマトソースを作るのに、私が使ったものの残りだ。生のトマトも使うが、こちらの方が旨みが凝縮されている。
グラスの半分くらいに注ぎ、私の顔を見てからもう少し足した。今度はビールの缶を取り出して、ゆっくりと注いでいく。よく見れば、ビールはノンアルコールと書いてあった。私はあまりお酒を飲まないからわからないけれど、話を聞くには、一番ビールに近いとかなんとかで、この店にも置いてあるんだろう。
最後に塩とブラックペッパーを少しだけ振りかけ、軽く混ぜたカクテルを、私に寄越した。
なるほど、「車か?」の問いは、飲酒運転を心配しての話だったらしい。
「マスター、鉄平さん。あの、私、あんまり」
お酒が得意じゃない。最初に「月虹」に来たときに伝えてあるから、彼も知っているはずだ。ノンアルコールとはいえ、ビールはビール。あまり飲み慣れないものは、ちょっと。
薦めてくるマスターの目は真剣だった。
「……飲めなくても、飲みたい気分のことも、あるだろう」
それは、そうかもしれない。
昼のお客さんのことも、「二度と来ないかもしれない」と思うと胸が苦しくなるが、それ以上に、紐づいて思い出してしまった元婚約者のことは、まさしく「飲まずにはやってられない!」という奴だ。
私はトマトジュース入りのノンアルコールビール? 比率的には逆か。ノンアルコールビール入りのトマトジュースを受け取って、恐る恐る口をつけた。
「……美味しい」
ビールは苦くて得意ではないけれど、トマトジュースの酸味と少しの甘さが打ち消して、驚くほどフルーティーで飲みやすい。塩とブラックペッパーが全体を整えており、引き締まった感じがする。
お酒を飲む場面では、カシスオレンジかカルアミルク、せいぜいがカルピスサワーだった私には、ちょっとだけ大人の味だ。ぐびぐびいけそうな飲みやすさだけど、それはちょっともったいない。
「レッドアイ」
「え?」
「そのカクテル」
名前を教えてくれたマスターは、その後、黙々と準備を始める。私は椅子に座って、ちびちびとレッドアイを飲み進める。トマトジュースが嫌いな人も、ビールが嫌いな人も、一度飲んでみたら新しい発見ができそうだなあ、と思った。
――トマトといえば。
お昼のお客さん、ソースまできれいに平らげていったっけ。あんなに怒って、嫌味っぽいことを言ってきたのに。
茉優が来たときにはまだ、提供間もなかった。完食するまでは我慢してくれていたということは、私の作った料理に関しては、少なくとも気に入ってくれているのかも。
トマトが好きなのかもしれない。サラダにも、入れておけばよかったかな。サラダの赤はパプリカだった。あまり被るのもいけてないかと、気を遣った結果である。
トマト料理か。トマトシチューに、鶏肉のトマト煮、付け合わせにミニトマトを焼いても美味しい。しわしわになったトマトをプチっと噛んだとき、中から出てくる果汁の甘酸っぱさといったら。火傷には気をつけなきゃならないけれど。
いくつかのトマト料理を考えて、はたと気づいた。
作ったところで、彼はもう二度と、うちの店のドアをくぐらない可能性の方が高い。急にむなしくなってきて、大きな溜息をつく。まだ半分以上残っているグラスを置いた。
「あ~……その、なんだ」
元気づけようとして作ってくれたカクテル。その効果は一時的であった。気まずそうなマスターの視線が、あっちに行ったりこっちに行ったりと忙しい。基本は無表情なのに、驚くほど感情の変化はわかりやすい。そういうところは、弟によく似ている。
マスターは、そうだ! と、食器や酒のボトルが置いてある棚の引き出しを開けた。書類が入っているファイルから、一枚の紙きれを取り出し、私に寄越す。
「……税金教室?」
「ああ」
曰く、「月虹」の常連客の中に、税理士がいる。マスターはそのお客さんにお世話になっているそうで、「今度、こういう催しものがあるから、自営業者で税金関係に不安なことがある人間がいたら、連れてきてほしい」と、頼まれたそうだ。開催日は、六月の第二日曜日、午後二時から。場所も駅前のホテルの会議室で、ここからそんなに離れていない。
「よければ一緒に、行かないか」
「え?」
私は手にしたチラシと鉄平さんの顔を、交互に見やる。視線が合わない。そわそわとしている彼の顔には、「落ち込んでいる女を慰めるのは苦手だ」と、書いてあった。沈黙は彼にとって、何よりも雄弁だったりする。
ぷは、と思わず吹き出してしまった。さっきまで落ち込んでいた女が、今はもう笑っている。その変わり身の早さに、彼は驚いている。ひぃひぃと涙を流してまで笑っている私のことを、理解できないと首を傾げていた。
「ねぇ、マスター。学生時代、ぜったい、モテなかったでしょ?」
だって、落ち込んだ女を慰めるのに、買い物でもドライブで遠出するでもなく、税金教室って!
もともと、飲食業初心者の私に勧めようとしていたんだろうけど、さすがにずれている。
「……」
マスターは押し黙ってしまった。むすっとした空気を、肌で感じる。おそらく私の指摘は、図星だったのだろう。いいじゃない、学生時代にモテなくたって。結婚はできたわけだし。
それを言うのは彼にとっても私にとっても地雷なので、言葉にはしなかった。その代わり、私は残っていたレッドアイを飲み干して、
「わかりました。ありがたく、税金教室に参加します。ちょうど、いろいろ考えなきゃな~、と思っていたところでしたし」
と、税金相談デートに了承の返事をしたのだった。
>第二話③


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