函館駅前おしゃべりランチへようこそ 第二話⑤

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<第二話④

 あのとき、と彼は語った。「ほら、俺たちの初対面のときだよ」と。

「ああ、あれ」

 思い出すと、私の方が顔から火が出そうになる。

 同じ高校であっても、調理科と普通科では、基本的に一緒になることはない。特に私は、部活もやっていなかったから、普通科にはほとんど知り合いがいなかった。せいぜい、同じ中学の人間くらいだ。

 陽太と知り合ったのは、高校二年の、文化祭まであと一か月というところだった。

「あのときの俺は、今よりもずっと無口で、部活の中でも陰キャだのキモイだの陰口を叩かれていることに気がついて、辞めるかどうか迷ってる時期だった」

 そうだった。

 文化祭で出す模擬店について決めるのに、同票で決着がつかなかった。二年生はケーキやパンを出すことになっていて、あんぱんを作ることにしたのはいいんだけど、つぶあんとこしあんで揉めたのだ。今となっては、思い出すのもくだらないことだけど、当時はすごく真剣に、お互いの陣営が譲らなかった。

 そこで私が、調理室の扉を開け、最初に通りかかった人間に、「つぶあん派? こしあん派?」と尋ねて、答えた方を採用することにした。

「馬鹿みたいだったよね、あのとき。陽太が『つぶあん?』って言ったとき、鬼の首を取ったみたいにガッツポーズして雄たけびあげちゃってさ。陽太、ドン引きしてたでしょ?」

 私の問いかけに、陽太は笑って答えなかった。

「はい、これ雨宮さんの分」

 合コンやら意中の相手とのデートじゃないから、気の利く女を演出することもない。むしろ率先して陽太が取り分けてくれて、私はラーメンサラダの入った取り皿をありがたくいただく。うちの店でも出そうかな。

 コシのある麺を食べ、それからグラスを傾ける。レッドアイがあったから、マスターのことを思い出して頼んだけれど、やっぱり全然味が違う。一口飲むごとに、アルコールでぽわん、となる。意識はまだはっきりしていて、陽太の思い出話を聞いていた。

「つぶあんの魅力とか延々語ってきて、いったいなんのための質問だったのか聞きたいのに、何にも聞けなかったよね」

「それは……申し訳ない」

 今以上に、自制心の働かなかった時期である。だって周りの女子もみんな、同じくらいおしゃべりだったから。

 恥ずかしくなって頭を下げるが、陽太は笑っていた。

「いや。その後ちゃんと、『喋りすぎた!』って謝ってくれたでしょう?」

 当時の私は、陽太のことをつぶあん派の同志であると認識し、学校の廊下などで出会ったときに、挨拶をするようになった。陸上部で中長距離を走っていて、文系コースに所属している同い年だと。ジャージ姿を見かけることが多かったように思う。「佐藤」のネーム刺繍には、小さく「陽」の字も書いてあった。

 佐藤陽太という名前を教えてくれたのは、もっと親しく話すようになってからだった。ちなみに彼は、「まひる」という下の名前だけ知っていた。友達はたいてい、「雨宮」じゃなくて「まひる」と呼んでいたからだ。フルネームで名乗ると、安心したように「雨宮さん」と彼は呼んだ。女子を下の名前で呼ぶなどということ、あの頃の彼には(今も、かもしれない)考えられないことだった。

 たまたま立ち話をする時間があったとき、陽太はぽつりと言ったのだ。

『陽太って名前なのに陰キャだって言われるんだ』

 悲しそうに、寂しそうに。

『でもやっぱり喋るのが得意じゃなくて……雨宮さんみたいに明るく喋れるようになりたい』

 と言った陽太のことを、失礼なことに、私は笑い飛ばしたのだ。

「覚えてる? あのとき君が俺に言ったこと」

「……なんだっけ?」

 二杯目は、マンゴーオレンジ。これは「月虹」に初めて連れていってくれたときに、マスターが出してくれたノンアルコールカクテルに似ていると思って注文した。もちろんアルコールが入っている。ふわふわして、高校のときのことなんか思い出せない。

 そうだ。お酒ばっかり飲んでたら、身体に悪い。うん、そうだ。ザンギを食べよう。私が作るなら、もっと上手にできるけどね、ふふ。

 陽太はビールジョッキを傾け飲み干し、勢いづけてから言った。

「『私みたいなのばっかりだったらきっと、うるさすぎて喧嘩になるよ。そのうち戦争になってさ、世界滅んじゃうよ』」

「……言ったっけ?」

 そんなアホの子みたいなこと。高校の頃の私は、本当に馬鹿だったと思うけれど、さすがに何も考えてなさすぎでは。

 馬鹿でごめぇんねぇ、と、やや呂律が怪しくなりながら謝罪すると、陽太の目は存外真剣に、私のことを見つめている。熱のこもった視線に、顔が熱くなる。お酒のせいだ。

「『陽太はおしゃべりが苦手だって言うけど、私のくだらない話も聞いてくれるでしょ? 聞くことができるのって、才能だよ? 私には無理だもん』って、君は俺のことを聞き上手だと褒めてくれたんだよ」

 それに、どれほど救われたか。

 大げさだなあ、と照れ笑いする。視線を逸らした。真正面から受け止めるには、ちょっと眩しすぎる。

「いろんな人の話を聞いた。役に立つことも立たないことも。適切な相槌をうつことができるようになって、会話が怖くなくなった。だから今、不動産屋で営業トークもできているし、お客さんのニーズを正確に読み取って、契約を取ってるんだ」

 俺、エースなんて言われてるんだぜ、と彼は笑う。

「おしゃべりは、雨宮さんの個性だよ。それを疎ましく思う人もいるかもしれないけど、同じくらい、俺みたいに救われている人間だっているんだ」

 もう全然無口でもコミュ障でもない、立派な大人の男になった陽太が、私を励ますためにひとつひとつ選んだ言葉は、心の傷を塞いでいく。

「そう、かな」

「そうだよ」

 力強く頷く陽太の笑顔を直視して、今度こそ頬が紅潮していく自覚がある。

「雨宮さん。その、俺、高校のときからずっと――……」

 陽太の唇が、何事かを紡ぐ。けれど、頭はぐらぐら、ふわふわ。周りの喧噪は響くのに、肝心の陽太の声だけが聞こえない。

「……んぎゅう」

 あ、これ酔ってんな、と思ったときには、漫画でしか出てこないような呻き声を上げて、テーブルに突っ伏していた。

「あ、雨宮さん! 雨宮さーん!?」

 ようやく陽太の声が聞こえた。慌てて私の名前を呼んでいる。ふにゃふにゃした意味をなさない言葉しか出てこないながらも、「だいじょうぶ」ということだけは伝えた。具合が悪いわけではなく、本当にただの酔っ払いなので。

 結局この日、陽太が私に伝えたかったことは聞けずじまいだった。タクシーに乗って、自宅まで送ってくれた彼には、感謝しかない。次の日起きて、平謝りのメッセージを送るのだった。

>第二話⑥

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