函館駅前おしゃべりランチへようこそ 第二話⑥

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<第二話⑤

 幸い、次の水曜日は用事が入っていたのか、醜態をさらした直後に陽太と会うことはなかった。

 うう、穴があったら入りたいとは、まさしくこのこと。来週になったら、きっとまともな顔をして彼と会うこともできるだろう。今の私は、そう信じるしかない。

「さてと……」

 うちの店は、日曜以外は不定休だ。各種SNSには店休日を掲示している。土曜日は、やったりやらなかったり。観光客は来るが、この辺に勤めに出ている人は来ないから、どっちがいいのか悩み中だ。年がら年中観光シーズンみたいな街だからなあ。冬はちょっとは減るだろうけれど、雪景色とライトアップされた名所は美しいから、どうだろう。答えは出ない。

 今日の営業を終えて、後片付けと売上の確認。今日もばっちり、違算なし。使った食器や調理器具を戻していると、マスターが店にやってきた。

「お疲れ様です。今日は私、もう上がりますんで」

 いつもなら、だらだらと手伝いながらしゃべることも多いのだが、今日はこのあと、やりたいことがある。そのために、実家の車を借りて(父の車と母の車、二台持ちだ。この辺では当たり前だが、東京だったらどんな豪邸に住んでいると思われることか)パーキングに停めてある。最近になって、ようやく運転が楽しくなってきた。

「そうか」

 出勤後はすぐに奥の部屋でユニフォームに着替えるのが常だが、マスターはその場にとどまっていた。

「何か用ですか? もう行かなきゃならないんで、手短にお願いします」

 言葉数がいつも少ない彼には楽勝かと思いきや、伝えたいことを端的に、というのは相当な言葉のセンスと話術を要する。うっ、と詰まったマスターが振り絞ったのは、「陽太……」という、弟の名前、一単語のみ。

「陽太? あ、なんか言ってました? こないだ居酒屋で話を聞いてくれて、すごく嬉しかったですけど、私、陽太の話最後までちゃんと聞けなかったんですよね。メッセージで聞くのも変かな、と思ってこっちからはアクション起こしてないんですけど……なんかありました?」

 マスターは、首をゆるゆると振った。溜息をついて、「お疲れ」とだけ言って、引っ込んでしまう。

 変なの。

 見送っていたが、そんなことをしている場合ではない。さっと髪の毛を整えて、エプロンを鞄に突っ込んで、店の外へ。

 母の車は、丸みを帯びている可愛らしいものだ。車体の上部がイエローで下部がブラウンなので、私は「プリン号」と名づけて可愛がっている。私もいずれ車を買うときは、こういう可愛いのがいい。父の車はあまり面白くなく、格好良さがよくわからない。

 エンジンをかけて、ひと呼吸。落ち着いて、周りをよく見て、安全運転……よし。

 函館は、ときに荒っぽい運転をする人もいる。まだ怖い目に遭ったことはないけれど、周囲に合わせて、怖いからってのろのろと運転していたら、逆に危険だったりする。

 駅から離れ、国道五号線を北上する。このルートは、道の左右に大型の電機店などが見えてくる。そしてたどり着く、オシャレな建物が今日の目的地だ。

 無事に到着したことにホッとする。いいや、駐車場に入れるまでが運転だ。最後まで気を抜かないようにしなければ。

 駐車も終えて、車を降りる。都会での暮らしもそこそこ長かった私が、「懐かしい」と思う佇まいの店、蔦屋書店。

 もっと近場、五稜郭のデパート内の書店の方が近いのだが、本以外のものを見たいときはやっぱりここだ。オシャレな雑貨、調理家電なんかも売っていて、私だったらああしようこうしようと、夢が膨らむ空間である。

 今日ここに来たのは、先日の飲み会で陽太にもらった言葉が嬉しかったから、改めて我が身を振り返り、新たな気持ちで仕事に臨むためだった。

『雨宮さんのおしゃべりに、俺は救われた』

 と、彼は感謝してくれた。高校時代の私は、彼を救おうなんて一ミリも考えていなかった。実際、陽太に言われるまで、私はほとんど忘れていた。

 言葉は、放った側は忘れても、言われた側はいつまでも覚えている。いい意味でも、悪い意味でも。そのことを自覚しなければならないと、改めて思い知らされた。

 友達が常連だからって、そちらとの話にばかり夢中になって、他のお客さんの対応がおざなりになっていなかったか。ちょっと自信がない。

 私は店を始めて、「楽しい!」「やりがいがある!」と思う毎日でも、お客さんにとってはたったの一回、会社の昼休憩なら、一時間足らずの滞在だ。

 そこで「よかったな」「美味しかったな」「元気になれた」という感想を抱いてもらうのが、どれだけ難しいことか。

 SNSでもおしゃべり店主をアピールしている。訪れる一見のお客さんの中には、私と話をするのを楽しみに来てくれた人だっていたかもしれない。なのに、私が友達と内輪の話ばかりしていたら、もう二度と来てくれなくなる。

 店全部に目をやって気を配り、全員に平等に話しかけた上で、少し友達と喋るくらいなら、間さんもあんなふうに嫌味を言うことはなかった。実際、あの日までも何度か来ていて、常連の茉優たちとも鉢合わせることだって、あったはず。

 もしかしたら、単に虫の居所が悪くての八つ当たりかもしれないけれど……いやいや、人のせいにしちゃ、だめだ。全部、私が未熟だから悪いのだ。

 店を開くにあたって、私は不勉強だ。接客ノウハウだって、チェーン店で働いた経験をそのまま個人店に当てはめようとしている。

 まずはビジネス書でカフェやサロンの経営に関する知識を得る。カフェ店主のインタビューが載っていて、モチベーションが上がりそうだ。あとは、聞き方や話し方について書かれた本も。

 働くようになってからは、食材知識や調理・加工技術にまつわる書籍を読むことが多かった。カフェは調理ができるだけじゃ、回っていかない。食べ物相手の仕事ではなく、人相手の仕事だからだ。

 ゆっくりと時間を取って、本を吟味する。時折、漫画とか小説とか、他の本に脱線しそうになるも、今日はぐっと我慢した。

 ビジネス書籍にガイドブックや雑誌、エッセイのコーナーをぐるりと巡り最後にやってきたのは、やっぱり料理の棚だった。他の書店では、家庭料理や料理研究家の簡単レシピの本が多く、専門料理の棚は少ない。だが、そこは蔦屋書店である。製菓、製パン、紅茶にコーヒー、お酒。様々な専門的な料理の書籍が並んでいる。表紙もオシャレなので、本棚に置いておくだけでもテンションが上がりそうだった。

 ランチプレート一種のみの扱いだからこそ、メニューに手を抜けない。新たなレシピを常に学ばなければならない。

 何か一冊、参考に買おうかな……と考えて、スペイン料理の本に目が留まった。

 トマトといえば、イタリアを思い出すけれど、スペインもまた、トマト王国。トマトの冷製スープ、ガスパチョは有名だ。あまり深く学んだことはなかったな、と思い立ち、一冊手に取ろうとしたら、他のお客さんとかち合った。

「あ、すみません……」

 手を引っ込めた。男の人の手だった。映画だったら恋に落ちるところだったけれど、「料理人のひとかな?」と、ちらっと相手の顔を窺った私は、固まってしまった。向こうも同じく、私の顔は忘れてくれていなかった。

「あ、あはは……えっと、すみません」

 二度目の謝罪の意味は、自分でもよくわからない。彼はもっとわからないだろう。

 どうしてこんなところで会ってしまうのか。私の普段の行いが、相当悪いとしか思えないんだけど!

 スペイン料理の本を取ろうとしていたのは、間さんだった。意外と料理をする人なのだな、と思った。結婚してるのかな、独身なのかな。マスターは知っているかもしれないけれど、あの人に「結婚」についてはちょっと聞きづらい。だいたい、私と間さんの間に起こったトラブルの報告をしていないのだから。

 とにかく、この場を離れよう。

 そう決めて、愛想笑いで「では」と、その場を辞して会計に向かおうとした私を、

「待ってくれ」

 と、彼は引き留めた。どこか所在なさげな様子は、ずっと年上の男の人なのに、なぜか高校時代の陽太を思い起こさせた。

>第二話⑦

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