右手じゃ足りない(1)

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手 BL

「汚らわしい!」

 坂城さかき祥郎よしろうが、時任ときとう飛鳥あすかの声をきちんと聞いたのは、それが初めてだった。

 勿論、存在は認識していた。飛鳥だけではなく、上京したての一年生たちを一人一人気に留めておくのは、この「北洋寮」の寮長として当然のことだ。

 約一ヶ月、新生活に慣れてきたところで、一年生の多くは故郷が恋しくなったり、人間関係の悩みが早くも生じたりと、心のバランスを崩しがちだ。

 祥郎は、同期の人間と協力して、彼らにこまめに話しかけていた。地道に信頼を得た後は、寮長室で彼らの相談に乗るのが、ここ最近の祥郎の日課であった。

 ただ、祥郎がどんなに気さくに話しかけても、飛鳥からは「はぁ」とか「まぁ」と言った生返事しか返ってこなかった。

 寮生活は、大学よりも縦社会。先輩に対して失礼だろ、と憤慨する同級生を祥郎は宥めた。

 度を超した人見知りなのだろう。そのうち慣れるだろうし、何か困っている様子があれば、そのときに手を差し伸べればいい。

 祥郎はそう結論して、ずかずかと踏み込んでいくのをやめ、見守る姿勢を貫いた。

 待ちに待って、ようやく言葉らしい言葉を発した飛鳥だが、その第一声が「汚らわしい」とは穏やかではない。

 事実、朝の食堂の空気は一瞬で凍った。

 飛鳥と諍いになっているのは、二年の学生二人だった。普段おとなしい後輩から、古めかしい罵声を浴びせられ、困惑している。

「汚らわしいって……ただの写真集なんだけど」

 彼らがやり取りしていたのは、グラビアアイドルの写真集だった。テレビでも話題になっていて、祥郎も中身をパラパラと見た。ヌードのひとつもなく、とても健全な物だ。

 だが、頬を紅潮させて怒っている飛鳥は、水着姿の女性が笑っている表紙だけで、セクシーな物だと決めつけ、聞く耳を持たない。

「公共の場で、こんな物の貸し借りをするなんて信じられません」

 飛鳥が写真集を奪い取ると、さすがに取られた側の二年生も、黙ってはいない。

「おい、何すんだよ!」

 声を荒げたのを聞いて、祥郎はすぐさま立ち上がり、仲裁に入る。これ以上の様子見は、問題に発展すると判断した。

「落ち着けって」

 まずは怒りに我を忘れかけた二人組の肩をぽんぽんと叩き、冷静さを取り戻させる。それから祥郎は、飛鳥に話しかけた。

「確かに、こういうもんを裸でやり取りするのはデリカシーがないかもしれないけどな、そこまで目くじら立てることじゃないだろ」
「違います。僕は、こんな本を寮に持ち込んでること自体が嫌なんです」

 ツン、とそっぽを向いた飛鳥だが、「こんな本」と称する写真集を鷲掴んでいることに、彼は気がついているのだろうか。

 祥郎は中立の立場でいなければならない。だが、一方的に罵られた後ろの二人の方に、心情的には味方をしてしまう。

「そりゃあ言いすぎだろ」

 祥郎の一言に、飛鳥は一瞬押し黙り、怯んだ様子を見せた。

 もしかしたら、自分でも言いすぎたのだと後悔しているのかもしれない。祥郎はそのまま畳みかける。

「それに、お前も男ならわかるだろ? 男だらけの中、部屋に彼女を呼べるわけでもない。写真集くらい、誰でも持ってるさ」

 今お前が手にしているのの、十倍くらいエロい奴。

 軽口を叩こうとして、祥郎は口を閉ざした。

 飛鳥の顔色が、また変わった。先ほどよりも、より強い軽蔑の色を浮かべている。その対象は、背後の二人ではなく、明らかに祥郎自身に向けられていた。

「坂城先輩まで、そのようなものをお持ちなんですね」

 丁寧だが、その分きつい口調で、飛鳥は祥郎を詰った。しかし、どうも違和感がつきまとう。

 祥郎は、否定も肯定もせず、飛鳥のことをじっと見つめた。

(あ、そっか)

 何か変だと思ったら、言葉の強さに反して、視線が泳いでいて、かち合わない。どこかおどおどしているのは、自信のなさの表れだろうか。

 飛鳥はいつも、重い印象の黒縁眼鏡で、自分の顔を隠している。顔にどこか、コンプレックスがあるのかもしれない。

 そういう目で見てみると、彼は童顔のわりには、目つきが鋭い。マスクで口元を隠しているのは見たことがないから、おそらく目を気にしているので間違いないだろう。

(気にしすぎだ)

 黒々とした瞳とコントラストを描く虹彩は、彼が思うほど悪くなく、むしろ好ましいのに。

「とにかく! 品行方正な学生生活に、こんなものはいりません!」

 見つめられて気まずいのを咳払いでごまかして、飛鳥は肩をいからせて、自室へと戻ってしまった。

 勿論、写真集を手にしたまま。祥郎は彼のきれいな目をぼんやりと思い起こして、うっかり見送ってしまった。

「坂城先輩~……」

 恨みがましい後輩の声で、ようやく祥郎は我に返る。

「あ。す、すまん」
「先輩、あれ実は、昭島あきしま先輩のなんです」
「昭島の?」

 食堂を見回したが、写真集の持ち主たる昭島はいなかった。また朝帰りか。呆れて溜息をついて、祥郎は気づく。

「昭島のを貸し借りしてたってことは、又貸しじゃないか。そりゃ駄目だろ」

 ちゃらんぽらんな性格の男だが、物や金の貸し借りには細かく、又貸しがばれたらどんな目に遭わされることか。付き合いの長い祥郎にもわからない。

 軽く見ていた後輩たちは、祥郎の話を聞いて青くなった。

「坂城先輩ぃ」

 助けてくださいよー! と、泣きつかれて、祥郎はやれやれと溜息を吐いた。

 こいつらも、そして飛鳥も可愛い後輩だし、昭島も(たまに腹が立つことはあれど)友人だ。

 八方丸く収めるには、自分が一肌脱ぐしかないか。

 祥郎は、泣きつく後輩たちの肩を叩いて、どうにかすると簡単に請け負った。

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