オメガに説く幸福論(1)

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 古来から、他国の貴賓が訪れたときには、舞踏会を開くのがマナーらしい。

 エルフの国より書状が届いたときから、オメガの国の王、リッカの母親でもあるミオは、城を挙げて準備を進めさせた。

 何せ相手は、あのエルフだ。

 この世に生きるありとあらゆる種の中で、最も長寿の彼らの中には、頻繁に舞踏会が行われていた時期のことを知っている者たちがいる。国の威信を賭けて、事に当たるべきであった。

 こんなものはお話にならないと思われては、せっかくの優位性が失われてしまう。

 幸い、オメガの国には多数の技術者、芸術家がいた。こじんまりとした王宮の中にダンスホールをそれらしくあつらえ、オメガ国の正装も、やや豪奢に作り上げる。

 ジャケットはなく、長い丈のローブがオメガ族の正装だ。装飾については、大昔に女性たちが着ていたドレスを参考に作られた。

 レースやフリルをふんだんに使った衣装で、顔にはうっすらと化粧を施す。

 そんな装いをしていても、オメガの一族に連なる者たちは、女ではない。

 管弦楽団の奏でる軽快で優雅な伴奏に、ぎこちなく手と手を取り合って身を寄せ合い、揺すっているのは男同士である。

 リッカの目には、異様な光景として映る。この会に意味はあるのか、と。

 それはおそらく、やむを得ない事情で助けを求めにやってきた、エルフたちも同様であろう。

 壁の花に徹して会場を観察していたリッカに声がかかる。

「リッカ兄上」

「アンジュ」

 頭の上の猫の耳をパタパタさせて、異父弟が近づいてきた。普段は跳ねるに任せたままの赤茶の髪も、しっかり結われている。元気いっぱいの弟は、十五になったばかりだった。

 緑の目は、母ともリッカとも同じ色であったが、父が獣人族であるために、彼の瞳孔は猫そのもので、明るい場所ではきゅっと締まる。

 始まる前はワクワクした素振りを隠さなかったのに、今はもう、帰りたいという気持ちらしく、尻尾も垂れ下がっている。

「ねえ、兄上。エルフの方々は、僕らオメガを大切にしてくれるでしょうか」

 リッカは答えに窮した。アンジュは答えにくい質問をぶつけたことを恥じるように苦笑して、

「僕、獣人だから耳がいいでしょう? いろいろ聞こえてきてしまうんです」

 と、少し離れたところにいる客人たちを指した。

 線が細い男と、エルフの割りにふくよかな男。いずれにせよ鍛えられていない身体の彼らは、文官である。ひそひそとこちらを見て、何事かを話していた。

「男のくせに子どもを産むなんて、気味が悪い、だって」

 その不気味な連中に頼らなければ、種を存続できないのにね。

 アンジュは言った。彼の声は明るかったが、表情は不自然なほど凪いでいる。

 ――今から二百年ほど前、奇病が流行した。

 女ばかりが熱病に倒れ、水すらまともに口にできないまま、苦しい苦しいと、血を吐いて死んでいった。原因はいくら調べてもわからず、男は絶対に感染しなかった。年老いた女も、産まれて間もない女も、皆一様に死んだ。死滅した。動物は罹患せず、二足歩行をし、言葉を操る種族の女ばかりが死んだ。

 男だけ残った世界が滅び行くのは、自明であった。

 慌てた各種族の首脳たちだが、女なしには、男は繁殖に関して何もできることがない。議論はする前から無駄であり、悲観した男の中には、自ら命を絶つ者もいた。

 その事態を少しずつ打開してきたのは、リッカたちオメガの一族だ。

 オメガ族の男は、定期的に訪れる発情期に、ある特定の男の子種を胎内に取り込むことによって妊娠する。

 奇病が流行る前は「孕み男」などと忌み嫌われていた性質に、初めて需要が生じた。

 時のオメガ王は、一族の者たちを各国に求められるままに派遣した。

 男相手ならば、誰でもいいわけではない。オメガたちは、自分の夫となり、子を成すことのできる男――オメガと対になるという意味で、アルファと呼ばれる――を、一目で見抜く。因子を持たない者とは、どんな権力者であっても交わったところで、子どもは産まれない。

 そうして番ったアルファとオメガの間に産まれた子のうち、十人にひとりはアルファ因子を持ち、三十人にひとりはオメガが産まれる。

 各種族、各国の存亡を握るのは、オメガだ。毎年一定数のオメガを派遣してもらうことで、種を繋いでいくのだ。

 そしてその元締めである国王との繋がりが求められる。王や王太子は他国の求めに応じるために番を持たない。毎年どこかの国の王族と交わり、妊娠と出産を繰り返す。

「あいつら、母上がいないのが気に入らないみたいです」

 ふんっ、と不機嫌になって、今にも食ってかかりそうな弟を、リッカは宥める。

「お前が喧嘩を売って、舞踏会が台無しになったら、母上が悲しむだろう」

 何よりも、エルフに馬鹿にされないために母は熟考し、この会を開いたのだ。自分たちこそが至高の存在であると疑わない、尊大なエルフたちに見下されるのは、リッカだって気に入らないが、母の計画を邪魔したくない。

「ほら。気が立っているのなら、母上たちのところにいっていなさい」

「……はぁい」

 母は今も妊娠中だ。エルフの一団を迎え入れる準備の他にも政務は多く、代行権限を持つ兄もまた、妊娠中であるため、仕事がなかなか進まない。今日も体調が優れないと、二人とも部屋で伏せっている。

 渋々会場を後にするアンジュを見送り、リッカはにこやかな表情を貼りつけて、弟が「気に入らない」と尻尾を逆立てた連中に近づいていった。一般的な人間族を父に持つリッカは、離れた場所から聞き耳を立てることはできない。

 近づくにつれて、リッカの耳にも聞こえてくる。

 やれ、「女みたいな格好をして、まるで淫売だ」だの、「我々エルフと交わる悲願達成に、あそこを濡らしているのでは?」だの、嫌らしい陰口ばかり叩く。まったく、見当外れも甚だしい。

 だいたい、リッカの目に映る男たちは、アルファの因子を持っていない。オメガ族はこの連中に、見向きもしない。

 鼻で笑ってやりたい気持ちはあるが、アンジュを諫めた以上、自分はきちんと対応しなければならない。この場を取り仕切るのは、自分しかいないのだから。

 母や兄のような圧倒的な美貌も、弟のような愛くるしさもない。何の変哲もない栗色の髪を背中まで伸ばしているのが、やや特徴的と言えるだろうか。

 それ以外は平凡なリッカは、おそらくこの男たちに侮られるだろう。これまでの経験から、確実だ。

 そこをどうにか口八丁でいなし、選ぶのはエルフではなくオメガであることを、思い知らせなければならない。

「もし……」

 と、声をかけようとしたときだった。

「おい、お前たち。何を勘違いしているんだ?」

 自分とエルフたちの間に割って入ってきたのもまた、エルフであった。

 しかし、一見して彼をエルフたらしめているものは、長い耳だけである。

 一般的にエルフとは、白い肌に濃淡様々な金髪、青い目が特徴であるが、その男は褐色の肌を持ち、白に近い銀の髪、血のように赤い瞳という、正反対の色で出来ていた。同じく赤を基調とした騎士服が大層似合う、美丈夫である。

「我々は、オメガ族の方々に、請うて来ていただく立場だぞ。調子に乗って彼らを侮辱するような奴は、いらん。すぐにエルフの森に帰るがいい。ああ、歩いて帰れよ。騎士団は貴様らに関知しないからな」

 ダークエルフ、というエルフの亜種の存在を思い出したときには、彼は自分の同胞を追い出しにかかっていた。

「そんな、エドアール殿下! 冗談に決まっているではありませんか」

 騎士に守られ、楽な旅路で大陸東端のオメガ国までやってきた文官連中は、血相を変え、男に縋った。

 エドアール殿下。そうだ。エルフ国王の弟だ。王には三人の弟がおり、彼は末弟だ。ダークエルフとは、知らなかった。

 自分より少し上、ちょうど兄と同じ年頃に見えるが、エルフ族は長寿だし、これまでにオメガが嫁いだことがない。つまり、二百年以上前、女が生きていた時代にその生を受けた最後の世代というわけだ。

 糾弾されている文官たちは、エドアールより老けている。自分が死ぬまでにはおそらく奇病も治まり、女たちも戻ってくると高をくくっていた、傲慢なエルフたち。だが、エドアールは知っているのだ。

 オメガなしに、この世界はもはや存続できない。

「冗談? そんな下らぬ冗談を、この国の王子殿下の前で言う奴があるか!」

 激高したエドアールに、言葉と顔色を失った連中を、「キルシュ」と呼ばれたエルフがつまみ出す。

 彼らが会場からいなくなったのを確認し、肩の力を少しだけ抜いたエドアールが、呆然と見守るしかなかったリッカに目を向けた。

 血、などというおぞましいものに例えたのが申し訳なくなる。普通のエルフ以上に冷たく見える美貌だが、感情は豊かで、謝罪の気持ちも持ち合わせている男だ。その瞳は、夕焼け空の色に似ていた。

 リッカの好きな時間の空の色。

 エドアールはそのまま、リッカの前に跪く。

「え」

 王族という括りは同じでも、オメガの国は領土も狭く、人口も少ない。長命かつ他種族と違って魔法を扱うことのできるエルフの王弟に、傅かれるのは外聞が悪い。

 リッカが制止する間もなく、エドアールは、「我が国の者が大変失礼いたしました。どうかお許しを」と、丁寧な謝罪をする。戸惑うリッカの手を取り、甲に口づけを受ける。

 大昔、淑女に対する礼とされていた行為に、リッカは身じろぎした。

 書物の中でしか知らない女は、弱く、いつだって男の陰に守られているだけの存在だった。時折表舞台に出てきたと思えば、政治を混乱させることがほとんどだった。

 僕は、そんなに愚かじゃない。

 オメガは子を産む点では女と同じだが、普通の男と同じくらい、なんだってできる。

 事実、母は史上まれに見る名君として、近隣国家からも尊敬されている為政者だ。

 リッカも母のような王族を目指し、研鑽を積んでいる。

 力一杯振りほどいたりはしなかった。やんわりと、そのような対応はやめてほしいと表明し、リッカはエドアールを立たせた。

「いいえ。私たちオメガ族は、まだまだ誤解を受けることが多く、慣れておりますので」

「そんな。皆様のおかげで、この世界はどうにか存続しているのに?」

 リッカは頷く。動物は雌雄で番い、子を産み育てるのに、自分たちは雄同士で番わねばならないことを、よく思わない者たちがいる。アルファ因子を持つことは、前世の業(ごう)によるものだと信じる宗教もあるほどだ。

 エルフだけではない。特に人間族は、嫌々オメガと番っている場合が多かった。

 エドアールはリッカの言葉を真正面から捉え、本気で怒っている。エルフにしては珍しく、差別主義者ではないようだ。

 真摯な瞳や全身から発せられるオーラから、リッカは気づいていた。

 エドアールは、アルファになれる男。いずれこの国から、オメガの嫁を取る。今回の派遣でなくとも、必ず。

 できればアンジュを嫁がせてやりたいと思った。あの子は賢いし、目も鼻も耳も敏感だ。親切なアルファの元で庇護されなければ、辛い目に遭うだろう。

 文官たちを追い出したキルシュが戻ってきたところで、演奏の曲調が変わった。会話を邪魔しない静かなものから、少しだけ主張をし始める。それが、エドアールの怒号によってひりついていた空気をがらりと変えた。

「殿下」

「ん。ああ」

 キルシュの耳打ちに、エドアールはリッカに手を差し出した。

「オメガの王子殿下、踊っていただけますか?」

 ここで手を取らないのは、悪手である。初めて嫁取りをするエルフの国で、同胞たちが肩身の狭い思いをしないように、国の代表同士がしっかりと仲直りのアピールをしなければならない。

「……経験がないもので、あまり上手ではないのですが」

 彼の手を取ると、エドアールは笑った。

「大丈夫です。俺は、踊り子の息子ですから」

 その言葉は少しだけ、自嘲の響きを帯びていた。

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