オメガに説く幸福論(14)

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(13)

 冬の寒さが厳しくなってきた。故郷では珍しかった雪も、こう毎日降ると、ありがたみが薄れてくる。

「さあ、お茶が入ったよ」

 久しぶりに、離宮には活気が満ちていた。アンジュが王城から離宮に宿下がりするに当たって、リッカがオメガたちを呼び寄せたのである。

 行商人を連れ合いに選んだ者以外は、二つ返事で遊びに来た。三日間のアンジュの滞在中、彼らも離宮で過ごす。

「うーん。兄上の淹れるお茶はやっぱりいい香りがしますね」

 人一倍鼻の利くアンジュに、うっとりとそう呟かれるのは悪い気分はしない。そうかな、と茶を皆に配りながら、リッカは言う。

「単に、オメガの国の味だからじゃないかな」

「違うよ。兄上の腕がいいんです!」

 振る舞った茶葉は、母には内緒で兄にエドアールとの関係について手紙を送ったところ、贈られてきたものだった。祝いの席でしか出ない、花の香りのする茶葉である。砂糖を入れずとも、ほのかな甘さがあって、子どもにも飲みやすい。

 ここはオメガ国ではないし、好きなときに飲んでもよかったが、それでももったいないと、普段使いはしなかった。こうして皆に飲んでもらうことができて、リッカも嬉しい。

 料理人にも久しぶりに思う存分腕を振るってもらうつもりだ。リッカひとりの食事を作るよりも、大人数の料理を作る方が、彼らも嬉しそうだ。何日も前から献立を考え、食材の準備をしていた。そのうちのひとりは、オメガの番であったりする。

「お前は毎日、美味い料理が食えていいよなあ」

 そんな風に言われると、料理人の番は、「そんなことないよ。彼はここでリッカ様の食事を作るのが仕事! 家のことは僕がやってるんだ」と、しっかりと主張した。

 番持ちのオメガが集えば、話は自然と、パートナーのアルファのことになる。

 茶菓子を摘まみながら、「過保護過ぎて」「家からひとりで出してくれない」と愚痴から始まるが、結論、「愛されてるよね」「幸せだよね」「早く子どもが欲しいな」と、惚気話になる。

 リッカは彼らの話に相づちを打つだけだ。

 エドアールと恋人関係になったことは、国に戻らないことにしたと宣言するために、兄に伝えただけである。彼らは何も知らない。

 付き合っているのに、番にはならないという中途半端な関係性を、普通のオメガたちは理解できない。説明をしなければならないし、リッカの病についても告白しなければならないわけで、エドアールと話し合って、秘密にすることにした。

「リッカ様は、誰かいいひとはいないのですか?」

 幸福を享受する少年に問われ、リッカは首を横に振った。

「まずはお前たちが幸福になるのを見届けてから、私はゆっくりと探すよ」

「ええ? 最近、とてもおきれいになられたから、とうとう番を見つけたのかと」

 リッカの話を聞きたがる彼らをあしらうと、いもしない番について話をするのもよくないか、と顔を見合わせて、お互いの夫のいいところを話し始めるので、リッカは安堵した。

 キラキラと輝く瞳で、自分の夫について惚気る少年たちを微笑ましく見守っていると、リッカはふと、自分の弟が沈黙していることに気がついた。

 お喋りが好きなアンジュのことだから、あの国王との生活について、あれこれと愚痴を言うに違いないと思っていた。慰めるつもりで、皆を集めたのだ。

「アンジュ?」

 ぼんやりしている弟の名前を呼ぶと、我に返った様子で、「ああ、ごめん。何の話だっけ?」と、会話の輪に加わった。けれど彼もまた、リッカと同様、話を聞くだけだった。

 そんな弟の様子が心配になる。国王との関係は、どうなっているんだろう。自分にばかりにかまけていた最近のことを反省し、リッカは夜、アンジュの部屋を訪れた。

「アンジュ、起きているかい?」

 夜も更けた時間帯、他のオメガたちを起こさないように、ノックは控えめだ。扉の向こうからも、「はい」と、小さな返事が返ってくる。

「両手が塞がっているんだ。開けてくれる?」

 招かれたドアの中、ろうそくの火に照らされたアンジュの目は少し腫れぼったく、赤い気がしたが、リッカは気づかぬふりをして、笑った。

「一緒に飲もうと思って」

 エドアールからもらった葡萄酒に、料理人から分けてもらったスパイスを足して温めた飲み物だ。アンジュの分は、酒精を完全に飛ばしているため、ほとんどジュースのようなものである。

「エドアール様秘蔵の葡萄酒だから、美味しいぞ」

 なんてったってあのひとは王族だし、騎士団長だから。

「ああ、でも国王陛下の方が、美味しいものはご存じか。エドアール様、野営に慣れていらっしゃる分、悪食なところもあるから」

 彼と番になったはずの王のことを持ち出すと、わかりやすくアンジュの顔が曇った。

 カップを手渡したときに触れた指先が、冷たい。

 リッカは自分の分を一口飲んで、美味しい、と笑った。まだ使った形跡のないベッドに腰掛けると、弟は小さく溜息をついて、兄と向かい合わせになるように用意した椅子に座った。

「アンジュ。お前、大切にしてもらっているかい?」

 遠回しな問いかけは避けて、直球を投げた。わかりやすく動揺するアンジュに、「話したくなければ別にいい。けれど、今は兄弟ふたりきりだ」と、促す。

 他のオメガはいない。王の監視の目もない。兄と話がしたいから、彼は宿下がりを申し出たのではないだろうか。だとしたら、勝手に他の子たちを呼んで悪かったな、と思った。

 アンジュはぐっと眉根を寄せて険しい表情を見せたかと思うと、まだ熱い葡萄酒を一気に飲み干した。火傷をするぞと言いかけたリッカは、飲み終えた彼の目に涙が溜まっているのを見て、息を止める。

 アンジュは、わっと泣き出して、リッカの隣に座り直した。慌てて抱き締めると、すぐにリッカの寝間着の胸が濡れる。

 好きなように泣かせて、落ち着いたところでアンジュはようやく、話を始める。

「王様は、僕のことを番にしてくれない」

 と。

 そんな馬鹿な。エルフ王族の血を存続させる気がないのか。なんのためにアンジュを召し上げたのか。

 絶句するリッカの前で、アンジュは首に巻いていたチョーカーを取り外し、項にかかる髪を両手で上げた。

 首は、きれいなままだった。

「あの方は、オメガが嫌いなのです。いいえ、エルフ以外はすべて、取るに足らない存在でしかないのです」

 しょんぼりと、アンジュは肩を落とした。

 ああ、この子はかつての自分と同じだ。

 リッカは瞼の裏側に、殴られ脅かされていた頃の自分を見る。

 オメガの王族として、他国の王族と婚姻関係を結び、彼らの発展と繁栄に努めなければならないのに、それができない罪悪感、自己嫌悪。

 痛いほど、アンジュの気持ちがわかった。子どもの頃と同じように、リッカはアンジュの背中を優しく叩いてあやした。

「発情期も、すべて薬で抑えられているんです。寝室に、陛下は来ない。それを知っていて、彼の臣下たちは僕のことを馬鹿にする」

 やれ、耳付き(獣人族への差別用語だ)が後宮の主とは、大それたことだとか、いつ頃出産になりましょう、ああ、獣は妊娠期間も短く、多産だと言いますから、早めに準備をしておかねばなりません――……。

 そんな言葉を投げかけられ、アンジュはすっかり疲弊していた。昼間はしゃいでいたのは、リッカを始め、他のオメガたちに心配させないように、あえてのことだった。

「大丈夫。大丈夫だ、アンジュ。エドアール様から、陛下に言ってもらおう。大丈夫。エドアール様は、陛下の弟君だ。彼は陛下に対して、他の家臣よりは強く出られる」

 言いながら、自分でも「嘘だ」と思った。エドアールは唯一、シャルル王にのみへりくだって見せる。他の兄弟があからさまにリッカやアンジュのことを馬鹿にした発言をすると、目を釣り上げて怒りを露わにするというのに、長兄にだけは、「シャルル兄上がそんなことをするわけがない」と、盲目になる。

 そんなエドアールの姿を、アンジュも知っている。首を横に振る。

「いいえ、兄上。話を聞いてもらえただけで、十分です……今日は、一緒に寝てもらえますか?」

 こんな風に我慢をさせたいわけじゃないのに。

「ああ、もちろんだ」

 弟の柔らかい身体を抱きながら、リッカは考える。

 エルフの王族の血を絶やさないようにするのが、今回のリッカたち、オメガ王族の任務だった。

 エドアールともに説得するつもりではあるが、国王が聞き入れずにアンジュを拒絶するというのなら、残る手はひとつだ。

 ぎゅ、とアンジュの夜着を握りしめる。泣き疲れて寝入った弟は、目を覚まさない。

 ――エドアールとアンジュを番わせ、子を成す。

 最初に願ったとおりの展開だ。オメガに対しても真摯で誠実なエドアールを、可愛い弟の番に。騎士の彼と、身体を動かすことが好きな弟は、相性もいいだろう。

「っ」

 嫌だ、嫌だと叫ぶ心を、リッカはそっと握りつぶす。

 それでも王族だから、エドアールにもリッカにも、やらねばならないことがある。

 たとえ、この恋を捨てても。

 痛みを覚える胸を何度も擦り、リッカは目を閉じる。

 眠気はやってきそうもなかった。

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