オメガに説く幸福論(15)

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(14)

 アンジュの宿下がりが終わってから、エドアールに彼の置かれている状況を説明すると、「どうして兄上は」と、呆然としていた。

 王の血に人一倍こだわっているのは兄王であり、そこに追従するのがベルジャン。クロードは我関せずで、王族などどうでもいいという態度を崩さないし、エドアールは中立だ。

「エドアール様。もしも僕らの説得に、陛下が応じられない場合は」

 アンジュの宿下がり以来、ずっと考えていた最終手段を口にしようとすれば、エドアールはきっぱりと拒絶した。

「リッカ。それはいけない。俺は君以外と関係を結ぶ気はないのだから」

 人差し指を唇に押し当てられて、ドキリとする。自分だけだと言ってもらえるのは嬉しいことだったが、同時に不安に襲われる。

 そうしたらいったい、誰がエルフの国の次代を産むのか。

「取り急ぎ、兄上との謁見を申し込んだ。君も一緒に頼むぞ」

「ええ、もちろんです」

 翌日の午後、早速謁見が許されたふたりは、王城へ並んで向かった。

「手を」

「え?」

 差し出された掌を、どう扱うべきか迷っていると、やや強引に繋がれた。エスコートする仕草に、出会った頃の自分であれば、女扱いをするなと憤っていただろう。

 けれど今は、彼のことを知っている。

 エドアールの手は、いつもより冷たい。兄に面と向かって諫言するという行為に慣れていないのだ。だから手を繋いで歩くことは、リッカを女扱いしているわけじゃない。自分の緊張をほどくために、触れ合いを求めているのだ。

 強く握りしめられて、リッカもまた、前を向く。

 そうだ。最初から、諦めるな。もしもアンジュが気に入らないというのならば、オメガであろう兄の子の成長を待ってもらえばよい。人間族との間の子だし、血統も申し分ない。適齢期まで待ってもらわねばならないが、エルフにとっては待てないほどではないだろう。

「行くぞ」

「はい」

 必要以上に時間をかけて、ゆったりと歩く。自分たちの信頼関係を見せつけるように。エドアールが耳打ちをしてくるなら、リッカは微笑みを返す。

 すれ違うエルフたちが振り返り、ぼんやりとリッカたちを見送る。エドアール曰く、「あれは君に見惚れていたんだ」そうだが、鏡を見た方がよほど美しい顔が見られるのに、ありえない冗談である。

 謁見の間にたどり着くと、近衛の騎士と文官が待ち構えていた。王の御璽が押された謁見の許可証を見せると、恭しく頷いた文官によって、扉が開かれる。

 さすがにここに至っては、手を離すものだと思っていたのは、リッカだけだった。エドアールはより一層強く握ってきた。隣に立つ男を見上げれば、彼の横顔は、ひどく強ばっている。

 落ち着いていこう、と二度、彼の手の甲を叩いた。ああ、と頷く彼から目を離し、リッカは弟の相手を見やる。

 玉座に座るシャルル王は、いつも通りやる気がなさそうだった。背もたれに全身で寄りかかり、話を聞く態度ではない。

 リッカとエドアールは、揃って臣下の礼を取る。正確には、リッカはシャルル王の臣ではない。エルフ国にとっては、最重要の賓客のはずだが、こちらが偉ぶっていては、話がまるで進まないので譲歩した。

「して、エドアールとそこのオメガ。何用か?」

 発言の許可を出されて、エドアールが真っ先に口にしたのは、「オメガではなく、オメガ国の王子であるリッカ殿下でございます。外交問題になりますよ」であった。

 王は返答しない。する必要がないと思っている様子だ。エドアールが言葉を重ねようとしたのを、リッカはそっと、彼の腕に触れて止めた。

 今は自分の扱いよりも、アンジュのことだ。

 目に力を込めて頷けば、エドアールは咳払いをして、本題に入る。

「陛下は、お世継ぎのことをいかがお考えでいらっしゃいますか?」

 後宮にひとり、軟禁されているに等しい状況のアンジュのことを直接聞くよりも、まずは血統や子どものことを追及した方がいいと進言したのは、リッカだった。

 弟の扱いを責めるのは肉親だからだと言われればそれまでであり、先に自分の子どもが欲しい、エルフの王族の血を引く者が必要であると認めさせる方が理詰めで説得できると考えた。

 案の定、姿勢を少し正したシャルル王は、

「子は欲しいに決まっているだろう。由緒正しいエルフ王家、母方は大貴族の血筋だぞ」

 とのたまう。

 その由緒の中に、エドアールは入っていない。彼の母は、ダークエルフの旅の踊り子だったから。

 なんだか自分のパートナーが侮られている気になって、リッカはむっとしたが、顔には出さないように努めた。

「であればなぜ、後宮のオメガ――アンジュ殿下と番わないのですか?」

 シャルルは、今初めてアンジュの名を聞いたかのように、片方の眉を上げた。

 ――この男は、愛する弟と、番わせてはならない。

 本能的に、リッカはそう断じる。アンジュだけじゃない。他のオメガとも、決して上手くいかない。

 だが、エルフ王の血を引く……曰く、由緒ある血統の中で、アルファになれるのはこの男だけなのだ。だからリッカは、何も言えない。

「私に獣と交われというのか?」

「っ!」

 獣? 獣だと?

 あの天真爛漫で可愛らしい、明るいアンジュを、獣だと見下すのか、この男!

 カーッと熱くなったリッカは、一歩前に出る。

「恐れながら国王陛下。アンジュはオメガ国の王子でございます。今の発言は取り消してくださいませ」

 毅然とした態度で臨むリッカを、つまらないものと見下していたシャルル王の目が、はっとする。

(なんだ?)

 その違和感に、心臓がぎゅっと掴まれる気がしたが、リッカは自身を奮い立たせ、「オメガ国への侮辱は、許しがたい」と主張をする。その間も、王はリッカの一挙一動を凝視する。言いたいことを言ってから口を閉ざすと、居心地の悪さが増した。

「リッカ」

 そっと袖を引かれて、リッカは「失礼いたしました」と、退いた。エドアールは逆に前に出て、リッカを庇う。その大きな背中に、守られている気持ちがして、ホッと息を吐き出す。

「アンジュ殿下は陛下と番になれていないことを、大変気に病んでいらっしゃいます。どうかご一考を……」

「そこのオメガが私の相手になればよかろう」

 エドアールの進言を遮った王の顔は、醜悪に歪んでいた。

「兄上、何を……」

 臣下の立場を崩さなかったエドアールが、呆然と兄弟としての呼称で王を呼ぶ。彼がそうなのだから、「そこの」と名指しをされたリッカの驚きといったらなかった。

 彼は最初、自分のことを「地味」の一言で一刀両断したのではなかったか。以降も、顔を合わせる度に、いない者として扱ったのは、シャルル王だ。

「お前もオメガの王子なのだろう? ならば獣ではなく、最初からお前が来るべきだったのではないか」

 選んだのは、エルフ側だ。子を成すという目的に役に立たないことは彼らに伝えていなかったが、それでも選ばれなかったということは、やはり好みではなかったということだろう。今更何を言うのか。

 驚き仰ぎ見るリッカたちを、シャルル王は見下し、嗤う。

「エドアール。お前、そのオメガに手をつけたな?」

 楽しそうな兄に比べて、エドアールの肩は、わかりやすく跳ねた。

 ここまで来たらリッカとの関係を秘匿することは無意味である。おずおずと、自分がエドアールの恋人だということを認めようとしたリッカだったが、続くシャルルの言葉に戦慄する。

「だからだよ」

 だから私は、そのオメガが欲しい。

 弟の手の内で磨かれ、多少は見られるようになったじゃないか。

 唇に艶然とした笑みを載せ、頬杖をついたシャルル王は、楽しげに指を動かし、支配者としてエドアールの忠心を測る。

 差し出せ。お前が王の忠実なる僕である証拠を見せよ。

 リッカは震えつつも、恋人のことを信頼している。誠実で、子ができなくてもいいと優しくしてくれた、初めての男。唯一の男だ。

 エドアールは、き、と顔を上げて声を張った。少しだけ震えている。リッカは彼の背にそっと手をあてて励ます。

 大丈夫、あなたなら兄にだって言える。そういう気持ちで触れていた。

「兄上。それだけは」

「お前、それを私の妃にしようとしていたじゃないか。ああそうか。最初から、私に譲り渡す気で抱いたな? 私の興が乗るように。なんと兄孝行な奴だ」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 お前? それ? 私? 妃?

 どれが誰を指す言葉なのか、リッカは考えて……エドアールの背中を拳で叩いた。振り向く彼の目に見える焦りの感情に、シャルルが言っていることは真実なのだとひらめく。

 自分に近づいてきたのは、もともと兄への供物に捧げるためだった? 出来損ないなんかじゃない、オメガだのアルファだの関係ないんだと言ったのは、口先だけ?

 リッカは無言で目の前の兄弟ふたりを睨みつけ、背を向け走り出した。

 不敬? そんなのどうだっていい。僕はオメガの王子だ。その誇りを愛した男に踏みにじられ、どうして許せよう。

「リッカ!」

 エドアールの呼び声に振り返ることなく、絶望に捲し立てられるように、一目散に部屋を飛び出し、離宮への道をひた走った。

 そこにしか、自分の安寧はなかった。

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