オメガに説く幸福論(16)

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(15)

 自室に閉じこもったリッカを、エドアールはすぐに追いかけてきた。

 鍵をかけていても、騎士団長の馬鹿力をもってすれば、強引に入室することもできる。実際、彼はガチャガチャと扉を開けようと頑張っていたが、「来ないで!」というリッカの鋭い拒絶を聞いて、音は止んだ。

「リッカ……言い訳をさせてくれ」

 ガン、という音は、エドアールの苛立ちを如実に表している。リッカに対してではなく、自分に対してだと思うのは、自分の名を呼ぶ彼の声が、弱々しく切羽詰まっているからだ。

 リッカは返事をしなかった。

 エドアールは悔恨に喘ぎながら、過去の話を始める。エドアールが子どもだった頃の話だ。

「昔、城に来たばかりの頃。ベルジャン兄上にはいじめられたし、クロード兄上は助けてくれなかった。子守役の者も、止めたりしなかったな。とにかく、ダークエルフだし、母親は庶民出身の踊り子だし、俺はすごく、孤独だった」

 リッカが何も言わないのに、勝手に会話をしている気になっているエドアールの独白は、芝居のようだった。たったひとり、リッカだけが観客の独演である。

「父親は何をしていたかって? そもそも一度抱いたきりのダークエルフのことなんて、思い出しすらしなかった男だ。俺を息子だとは、最後まで認めなかったな」

 踊り子の息子は、きっと役者に向いている。美しい顔の男はエルフ族には珍しくもないが、彼の場合は、複雑な生い立ちが深みを与えている。下手な役者よりもずっと、今のエドアールの方が、注目を浴びるに違いない。

 リッカの耳は、彼の語る言葉を聞き逃さないように集中している。目を閉じて、彼がどんな顔をしているのか想像する。

 陶酔ではないだろう。自己憐憫とはほど遠いところにいる男だ。ただ悲痛な、リッカを傷つけたことへの後悔を抱いているに違いない。

「俺を差別せず、守ってくれたのはシャルル兄上だけだった。だから今度は、俺が楯になるために、騎士の道を選んだ。兄上には幸せになってもらいたかったから、賢くてしっかり者の妃に並び立ってほしかった」

 それで、リッカに白羽の矢を立てた。

 そういえば他のオメガたちの世話に明け暮れていたときに、「シャルル兄上はどうか」と尋ねられたことがあった。冗談でもなんでもなく、エドアールはリッカを兄にあてがおうとして、第一印象を聞いていたのだ。

「でも、君と過ごすうちに俺は、兄上にも渡したくないと思った。強がりで、傷を隠して年下のオメガたちを慈しむリッカの姿が、眩しくて、愛してしまった」

 子どもなんていなくたっていい。リッカとともにある未来が欲しいと、エドアールは告白する。

 リッカは扉の前まで行くが、決して招き入れることはしなかった。

 自分とエドアールは、まったく同じことを考えていた。相手への好意を、自分の恋心へと結びつけるのではなく、大切な兄弟の伴侶にどうかと考えていた。

 ダークエルフのエドアール。子を成すことができないリッカ。

 差別され、暴力に晒され、思ってしまったのだ。

「こんな自分が、愛されるはずがない」と。

「立派に務めを果たせる兄弟こそ、愛されるべきだ」と。

 壁の向こうのエドアールは、「許してくれ。リッカ。愛している。愛しているんだ……」と、血を吐くように贖罪を求める。

 ふ、と唇にリッカは笑みを浮かべた。

 許すだとか許さないだとか、そんなことはリッカには言う資格はない。

 彼の兄への想いが罪だと言うのなら、自分も同罪だ。

 固く扉を閉ざしたまま、リッカはエドアールの気配がなくなるまで、ずっと黙って祈りを捧げていた。

 以来、離宮には手紙が毎日のように届く。

 シャルル王の命によって、後宮入りするように要請する命令書がある一方、エドアールからの恋文も、手を変え品を変え、リッカに許しと愛を乞うのだった。

 前者は毎度きっちりとお断りを入れ、後者については、なんと返事をすればいいのかわからずに、無視する形になってしまっている。

 大人になると、仲直りをするのも大変なのだということを実感する。リッカは日々溜息をつき、怠惰に過ごしていた。

 エドアールは騎士団長として忙しく過ごしている。どうも、森に住む大熊が冬眠せずに里を襲っていて、近隣の国から苦情が出ているらしい。エルフは森の管理者でもある。彼は国王の命令のもと、そちらの対処に当たらなければならず、近日中に出国するそうだ。

 会いに来てくれればいいのに、と思う。来てくれたら、忘れたふりをして部屋に招くのに。

 しかし、来るのは手紙だけだ。リッカの好きな、彼の愛用の香を炊きしめた便箋に、まめまめしい字を見ると、胸が苦しい。

 リッカを取り巻く静寂が弾け飛んだのは、それからすぐのことであった。

「リッカ様! 大変! 大変です!」

 ノックも忘れ、慌てて屋敷のみならず部屋まで駆けてきたのは、ランだ。あまりの狼狽に、リッカも咎めることを忘れ、どうした、と駆け寄る。

「アンジュ、アンジュ様が!」

 ぽろぽろと涙を零し、言葉も要領を得ない中で聞き取れた弟の名前に、リッカは事情を確認するよりもこの目で見た方が早いと、ぐしゃぐしゃに泣いているランの誘導に従って、外に出る。

 硬い表情で直立するキルシュの隣には、外套のフードをかぶり、下を向いたアンジュがいた。

「アンジュ?」

 名を呼べば、びくりと肩が震える。怯えた様子に、リッカはゆっくりと近づいて、優しく声をかけた。

「どうしたんだい? ほら、兄様に顔をよく見せて……」

 言葉はかき消えた。覗き込んだアンジュの頬は痛々しく腫れ、大きく愛らしい目は、半分しか開かない。フードをばさりと落とせば、猫の耳は無残に毛を毟られている。

「なん、で……」

 誰が。

 声にならない声で糾弾の先を探すと、直立不動のキルシュ――エドアールが不在がちのため、国の守りとして副団長の彼が、今は騎士団をまとめているのだ――が、深々と頭を下げた。

「申し訳ございません! アンジュ様をお守りすることができず……!」

 悔しさが滲むキルシュの声と、さめざめと泣くランの声の二重唱に、頭がくらくらする。弟を痛めつけた犯人について、心当たりしかなかった。

 ハッとして、リッカはアンジュの項を検める。幸いきれいなものであり、あの卑劣で醜悪な王のものになっていないことに、一抹の安堵を覚える。

「兄様……」

「ああ、ああ。大丈夫だ。アンジュ、ここにいなさい。ゆっくり休もう」

 アンジュの肩を抱き、精一杯作った声でリッカは彼を、家の中へと連れて入る。

 弟の身体は、こんなにも細かっただろうか。小さかっただろうか。背こそリッカより低いものの、獣人族のしなやかな筋肉は、気苦労と無体な暴力によって萎んでいた。

 ベッドに寝かせ、「ごめんなさい」を繰り返すアンジュの額にキスをする。眠りにつくまで見守って、そっと部屋を出ると、キルシュたちが待っていた。

「……話を聞こう」

 大切なものを傷つけられて、黙っていられるはずがない。

 エドアールにも言ったが、オメガ族は決して、優しくて嫋やかな、物語の姫君のような気性ではない。どんな国にも求められれば嫁ぎ、子を成し育てる、苛烈さを持っている。

 ふつふつと湧き上がる怒りを殺し、リッカはふたりとともに応接間へと行く。茶を出すという礼儀どころか、席に着くという動作すら忘れ、全員が立ったままキルシュに事のあらましを説明させた。

「私たちも、気づいたときには……」

 騎士が後宮をうろつくことはないので、キルシュの責任ではないと、冷静な部分ではわかっている。けれど苛立ちをぶつけられるのも彼しかおらず、リッカは八つ当たりに、机をドン、と拳で打った。

 アンジュを傷つけたのは、シャルル王だ。後宮に囲われたオメガを自由にできるのは、その主しかいない。抑制剤を飲ませて発情期を押さえ込み、番としないまま放置しておいて、やることは暴力だ。

 自分と同じことをされたアンジュのことが心配でならないリッカは、頭の片隅で、あのときの母の素っ気ない態度を思い出す。やはり自分はいらない子どもであったのだろう。

 リッカを真に愛しているのなら、あんな風に落ち着いていられるはずがない。

 いいや、今は自分のことではなく、アンジュのことだ。

 キルシュは言い出しにくそうに、けれど王命だからとリッカに向け、シャルルの言葉を告げた。

「リッカ殿が後宮入りするまでの間、この国に嫁いできたオメガをひとりずつ召して、アンジュ様と同じ目に遭わせる、と……」

 隣で聞いているランは、すでに夫から聞いていたのだろう。悲痛な顔をして、しかし覚悟を決めた目をしている。

「……明日は、僕が行きます」

 などと言うものだから、リッカは慌てて止めた。

「何を言うんだ、ラン! お前がそんなことをする必要はない!」

「けれど、国王陛下の命令に背けば……」

 キルシュたち騎士団を、オメガ国へと差し向ける。国を蹂躙し、王族はじめオメガを捕虜とする。

 中立国への侵攻は、暗黙の内に禁じられているが、明文化はされていない。諸国は怒り、エルフ騎士団に報復するにちがいない。エドアールへの意趣返しの意図もあるのだろう。

「狂ってる!」

 そのような愚策を、どうして誰も彼も諫めようとしないのかと言えば、そういう役を買って出る者は皆、エドアールについて他国との協議に行かされているとのこと。

 王の傍近くに残っているのは、おべっかを使うものとどうでもいいと任務を遂行するだけの者だった。前者の筆頭がベルジャンで、後者がクロードである。

 エドアールが遠ざけられたのは、リッカを渡そうとしない弟への制裁だけではないのかもしれない。彼は兄を唯一の味方だと慕いつつ、間違った舵取りをしそうなときには止めていた。最初から、疎んじられていた。

 きっと、ダークエルフの子である弟を気にかけたのも、自分をよく見せようという計算の上でだ。冷たく当たるよりも、周囲の者から「さすが、シャルル様」と賞賛される利を取ったのだ。

 幼い頃に受けた恩だと言って、兄を尊敬しているエドアールは、実は利用されていただけだったと知ったら、どれほど悲しむだろう。

「そもそも僕が欲しいのなら、最初から選べばよかっただけの話じゃないか」

 このふたりには、自分がアルファにできない、子を成せない身体だとは言っていない。リッカ自身の意志で、番を作らないだけだと思っている。

 キルシュは非常に言いにくそうに、「シャルル陛下は、他人のものを自分のものにするのがお好きで」と、主君の性癖を暴露した。最低、最悪だ。

「……それで、キルシュ殿は番をそのいい趣味をした王様に差し出すと?」

 低い声で問いかければ、答えたのは本人ではなく、ランであった。

「違いますっ! キルシュ様は王様に断りの返事をしようとしました! これは僕の意志です」

 オメガの我は強く、このひとと一度定めた番を愛し抜き、守ろうと行動する。

 あの泣き虫で、エルフ国に行きたくないとぐずっていた少年と同じものとは思えなかった。

 彼が、彼らが、あの王の手によって傷つく姿は見たくないと思った。

「……わかった。僕が行こう」

「リッカ様!」

 いけない、だめです、と言う彼らに、リッカは微笑んでみせる。強がりでしかないけれど、ここで情けない顔をしたら、決心が鈍ってしまいそうだったから。

「よく考えてみたら、僕には番がいないんだから、最初から王のもとへ行くと返事をしていたら、アンジュは傷つかなかったし、ランもキルシュも、他の皆も嫌な思いはしなかったはずだ」

 リッカは落ち着いて机に向かい、引き出しから紙とペンを取り出した。さらさらと書きつけて、しっかりと封をしてキルシュに渡す。

「これを陛下に渡してくれ」

「リッカ様……」

「エドアール様には、何も言うなよ。すべてを放り出してきたなんてなったら、エルフ族の名折れだろう。僕はあのひとの、番でもなんでもないのだから」

 言っているそばから、リッカは自分の願望が丸出しで嫌になって、眉根を寄せた。

 本当は、助けに来て欲しい。

 王への反逆という大罪を着て、自分への愛のために戦ってほしい。

 けれど、駄目だ。エルフの王族同士の争いは、即座に内乱に繋がる。

 実際、シャルル王の政治に不満を持つ者も多い。ハーフエルフやダークエルフ、少数派で差別されてきた者たちの中には、エドアールを推す声もある。

 自分の存在が、エルフ国の破滅のきっかけになっては困る。この国に根付くことを決めたオメガの同胞、彼らから産まれる新たな命のことを思えば、リッカはこの身を大嫌いな王に捧げることなど、たいしたことじゃないと思えた。

 どうせ、傷ある身なのだから。

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