オメガに説く幸福論(19)

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(18)

「兄上、ご相談がございます」

 兄はリッカが使っている離宮に泊まっていた。リッカの傷はもういいが、薬が馴染み、完全回復するまでに十日ほどかかっていたため、足腰の衰えは否めない。走れるようになるまでは、と兄はエルフ国に滞在してくれていた。

 せっかく来たのだから、と勤勉にエルフの国の政治や文化、様々な学びに忙しい兄の隙間を縫って、リッカは彼の元へ訪れていた。

「エドアールを、我が国に連れていけないでしょうか」

 リッカの相談に、兄はほんのわずかに顔を歪ませた。難しい。表情が物語っている。

 オメガの国は移民を歓迎しているが、アルファ因子を持つ者に関してのみ、例外であった。発情期のオメガに反応して襲いかかられては困るからだ。因子を持つ者は、正式にオメガと番ったアルファとなるまで、入国が一切禁じられる。

 リッカとしか関係するつもりのないエドアールは、いつまで経ってもアルファそのものにはなれない。だが、それでもリッカは彼を、オメガ国に連れて帰りたい……エルフ国にいさせたくない理由がある。

 シャルル王は、仮にも他国の王族であるリッカを殺しかけたことにより、退位させられていた。リッカを刺した衝撃による混乱はいまだ治まらず、気がおかしくなってしまったこともあり、蟄居させられている。

 問題は次に誰が玉座に着くかであった。正統な血筋を望むのなら、アルファになれるエドアールが最適だと推す声もあったが、彼は隻腕や、これまで政(まつりごと)にあまり関わってこなかったのを口実に、辞退している。

 王になることよりも、リッカの隣にあることを選ぶ。彼はそういう男だ。

 残るはクロードとベルジャンだったが、後者はシャルルの後ろ盾なしには何もできない腰抜けだ。今度はクロードに媚びを売っている。

 必然的に、クロードが王となる。彼はエドアールに対して冷淡で、片腕になったことについても呆れられたと、当人は気にしていない様子であった。

 隻腕の騎士団長で、兄王に疎んじられている王位継承者。微妙な立ち位置であるし、特にこの国に未練が残るようなこともないだろう。

「……オメガ国に行けないのなら、技師を派遣していただけますでしょうか」

 他の国で暮らすことも考えた。しかし、オメガの国は技術大国でもある。亡命者の中には、腕のいい技術者が大勢いた。義手を製作する職人もいる。

 精巧な義手が罪滅ぼしになるかわからないが、リッカはどうしても、彼に左手を取り戻してほしい。

「派遣くらいならできるけれども、エルフの王はなんと言うかな」

 リッカは唇を噛みしめた。

 そうだ。エルフは自然を自然のままに愛する種族だ。恋人のために腕を斬ったのは自己責任、取り戻そうとするなどもってのほかだと、許可が下りない可能性もある。

 だとすればどうしたらいいのか。

 リッカは何日も何日も考えていて、いい考えが浮かばないまま、兄が帰国する前日となってしまった。リッカはエドアールのことがあるので、今回は一緒には帰らない。

「リッカ。一緒にお風呂に入ろうか」

 兄に誘われて、リッカは頷いた。またしばらく会えないから、名残惜しかった。

 さっさと脱いだ兄の背中を、リッカはぼんやりと眺めた。きれいな、シミひとつない肉体だ。

「先に入っているよ」

「はい」

 彼はリッカが、背の傷を気にしているのを知っているから、ゆっくりと入ってくるように言ったのだった。

 そっと衣服を脱ぎ、リッカは浴室へと入る。すでに流し湯を終えて、兄は浴槽へと浸かっていた。

「エルフの国は、温泉があることだけはいいよなあ」

 産後の疲労回復にも効果があるようで、兄はここに来てから、日に二度も風呂に入っていた。さすがのリッカも付き合いきれなかった。

 鼻歌まで聞こえてきたのに苦笑して、リッカは髪や身体を洗う。

 浴槽に入るときには、長い髪が邪魔だ。濡れ髪を簡単に束ねて、さて入浴しようとしたところで、兄が驚いた顔でリッカを指していた。

「お前、リッカ、それ……」

「え? なんです?」

 まったく心当たりがなく、首を傾げていると、兄は大きな声で叫んだ。浴室内に反響する。

「背中の傷、治ってる!」

「えぇ?」

 自分でも視界に入れて楽しいものではない。鏡に映して工夫しなければ見えないので、あえて無視していた。浴室の鏡に背を映し、無理矢理首を捻って見れば、確かに傷は消えていた。

「嘘。なんで」

 あれだけひどく残り、母の目を涙で曇らせた大怪我である。一朝一夕で、今さら消えるわけがない。

 ひとまず浴槽に入って、あれこれと原因を考えていたところ、兄が手を打った。

「そうだ! エルフの秘薬!」

 エルフが運命の恋人と定めた相手の、あらゆる傷や病気を治す――それは、新しい出来たばかりの傷や、今実際にかかっている重篤な病のみならず、古傷にも効くのではないか。そうすると、背中がきれいになっていることにも、納得がいく。

「なるほど、そうかもしれませんね」

 温かい湯の中にいるリッカは、心地よさにぼんやりして、疑問が解決してよかったとしか考えていなかったが、兄は違う。まだ思案顔をして、口元に手をやる。

「兄上?」

「なぁ、リッカ。もしもエルフの秘薬が」

 命に関わるわけじゃない病まで、完璧に治してくれているとしたら?

 カイリの予想に、リッカは息を詰める。

「それって」

 自分の抱える持病も、治っている可能性があるということでは。

 リッカは考えるよりも先に、慌ただしく湯の中から出た。まだ完全に温まっていないけれど、おざなりに身体を拭き、服を着る。 

「エドアール様!」

 詰め所に、濡れたままの髪でいかにも湯上がりです、という風情で現れたリッカに、騎士たちはぎょっとした。エドアールはすぐに駆け寄り、部下たちの視線から恋人を守るように抱き留める。

「どうした、リッカ。そんなに慌てて。何か用事でも……」

「僕たち、番になれるかもしれない!」

 興奮して、声を小さくすることを忘れた。言ってしまってから、ここがどこか思い出したリッカが目をやると、騎士団員たちは気まずそうに視線を逸らした。

「……詳しい話は、俺の部屋で聞こう」

 促された執務室で、リッカは兄と立てた仮説について、口早に述べた。エドアールは黙って聞いていてくれて、うんうんと相づちを打つ。

「それで、それで、エドアール様。もしも本当に、僕たちが番になれたら。一緒にオメガの国で暮らしましょう!」

 目を瞠るエドアールに、リッカの膨れ上がった気持ちが萎んでいく。先走りすぎた。

「あ、ごめん……エドアール様の意見を聞いてないのに、勝手なことを言ってしまって」

 赤面してきびすを返そうとするリッカを、背後から右腕一本でエドアールは抱いて引き留めた。

「違う。驚いただけだ。……もちろん、リッカと番になって、一緒に過ごせるのは嬉しい。でも」

「でも?」

「確実ではない、だろう?」

 リッカは口を噤む。そうだ。推測にしか過ぎない。期待して、期待させておいて、やっぱり駄目でした、では悲しすぎる。

 きゅう、と抱かれていると、彼の胸から心音が伝わってくる。刻む鼓動が、先走っていたリッカの精神を落ち着けてくれた。

「あの……それでも僕は、試してみたい。だって」

 あまりにも子どもじみた言葉が出てきて、リッカは赤面した。恥じらう自分に対して、エドアールはからかい混じりに、「だって?」と、先を促すのだ。

「やっぱり番になれなくても、あなたは僕を、死ぬまで愛してくれるんでしょう?」

 延びた寿命を、永久に。

 リッカの問いに、エドアールは微笑み、「もちろんだ」と口づけた。

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