オメガに説く幸福論(4)

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(3)

 旅の支度はすぐに終わった。基本的に、大きな荷物は必要ない。行ったら行きっぱなしの旅だ。

 相性の合うアルファ候補がいなければ、ともに行く少年たちは帰ってくることもあろう。あるいは番となっても、エルフの国になじめなければ当人たちで話し合い、別居婚状態で帰国してもいい。そういうオメガは大勢いる。

 しかし、アンジュとリッカは王族だ。リッカはともかくとして、国王や彼に近いひとと番うアンジュは、帰国を許されない。

 母と兄とは、出発式の前に顔を合わせた。儀式の間じゅう立っていることは難しいので、家族水入らずの別れの時間を過ごさせてもらっている。

 ふたりはアンジュを抱き締め、オメガ王族としての心構えを語って聞かせた。アンジュも普段の甘えを出さず、「帰ってきていい?」と言わなかった。

 リッカは三人をじっと見守っていた。自分と母との別れは、昨夜のうちに済ませている。まだまだ子どものアンジュを、母たちに甘えさせてやりたくて、そっと部屋を出た。

 外に出ると、他のオメガたちも別れを惜しんでいる。特に、一家で移住してきた家の子どもの場合は顕著で、母の胸に縋っていた。

 リッカはその子の元に出向いて、肩を叩く。

「ラン。大丈夫だ」

 あどけない瞳を向けてくる彼の名を呼び、抱き締めた。

「大丈夫。無理矢理番わせたりしない。僕がさせない。ほら、薬も持っているだろう? それがあれば、お前の意志に反してアルファと番うなんてことは、ありえない」

「でも」

「今生の別れではないさ。向こうに何人、アルファになれる男がいるかわからないし、相性が悪そうだったら、帰ってきちゃえばいいんだ」

 笑ってあっさり言えば、「本当にそんなことしていいの?」と、服を握ってくる。頭を撫でて、「いいよ」と応えた。

「好きになったアルファと番うのが、オメガの幸せだ。僕は王子として、君を幸せにすると約束しよう」

「もしも旦那様に、帰っちゃ駄目って言われたら?」

「僕が説教してやる」

 間髪入れずに冗談めかして言うリッカに、ランはようやく微笑んだ。彼はまだ十四。今回エルフ国に行く中では、最年少だから、よく見ていてやらなければならない。

 ランたち一家の邪魔にならないよう、リッカは手を振り、その場を離れた。

「リッカ殿下」

「……エドアール殿下」

 今のやりとりを見られていたのは、少々気まずかった。

 エルフの国に嫁ぎたくないなら嫁がなくていいと、彼に聞かれたのは、今後のわだかまりを産む。

 どうごまかすべきか思い悩むリッカに、エドアールはこともなげに言った。

「その、すまなかった」

「はい?」

 突然の謝罪に、何事かと首を傾げる。

 エドアールが言うには、旅について話をしたときに、オメガ族を過度にか弱い種族として扱ってしまったことについてだった。

「傭兵たちとともに鍛錬をしていたところに、アンジュ殿下がいらっしゃって」

「ああ」

 人間族以外のオメガは、実はこの国では珍しい。獣人族を始め、ドワーフや竜人族などの亜人類と呼ばれる者たちは、子を成すことのできるオメガを、どちらかといえば崇め奉るため、迫害されにくい。オメガ国へ逃げてくることもない。

 獣人のオメガであるアンジュは、体力・筋力ともに人間族の比ではない。それこそ、傭兵たちの訓練にきちんとついて行っている。エドアールもまた、戦うことを生業とする者だから、正しい目で判断してくれたのだろう。

「他のオメガたちも、帯同してきた医者に見せたが、健康だった。旅には何も問題ない。君の言うことを信じることができずに、失礼した」

「いえ。こちらこそ、あのときはカッとなってしまって」

「母君や兄君を残していくのも心配だろう。彼らは今、身ごもっていらしゃるんだろう? ならば君こそ」

 この国に残るべきではないか、と言いかけたエドアールに、リッカは「殿下」と呼びかけ、遮った。

 アンジュを残すならいざ知らず、自分がこの国に残り続ける意味はない。必ずエルフの国へと到達し、母王の命――直接言葉で下されたわけではないが、リッカがやり遂げるべき使命――を、完遂しなければならない。

 すべては母の役に立つために。

「アンジュひとりではまだ、荷が重いかと。母と兄には、信頼できる者たちがついているので、平気です。何かあれば、僕ひとりであれば、すぐにでも帰国はできますし」

 こう見えても、乗馬は得意なのですよ、と笑った。

 置いて行かれるわけにはいかない。けれど、必死さが垣間見えては、怪しまれる。弟が心配でと引き合いに出せば、自身末っ子であるエドアールは、兄の心遣いを無駄にはできないと、何も言わなかった。

「それから、僕のことはどうぞ、リッカと」

 エルフ国への道中をともにする間柄だ。互いに殿下殿下と他人行儀なままでは、支障が出ることもあるだろう。

「……なら、俺のこともエドアールと呼んでくれ」

 頷き合っていると、エドアールが呼ばれた。出発式、彼自身は式典に参加する側だが、警備に当たる団員たちを指揮しなければならない。

「では、また」

 忙しそうにその場を離れたエドアールの背中を見送る。

 オメガを馬鹿にしたりしない、誠実な男。

 舞踏会での印象は変わらず、リッカはエドアール以外の王族も、彼のようであってほしいと心から思った。

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