オメガに説く幸福論(5)

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(4)

 二週間の旅路のうち、半分ほどまでは何事もなく過ぎていった。

 周期に当たっていなくても、環境の変化によって発情期がずれる可能性がある。リッカも含め、エルフの国に向かうオメガは全員、抑制剤を一日一回、服用していた。

 曲がりなりにもエルフ族、オメガ族両方の王族が泊まる宿なので、街で一番の宿だ。他の客と一緒にならないよう配慮された食堂で、リッカは抑制剤を配る。

「うえぇ……まっずい」

 眉根を寄せたアンジュに、リッカは笑った。苦いのは、主な原料となる薬草の成分だ。保存状態が悪いと苦味が消えるため、「まずい」という反応は正常である。何年も飲み続けていると、自然と飲み方が上手くなるもので、リッカは舌に触れるか触れないかのうちに、ごくんと飲み干した。

「まだまだ下手だなあ」

 アンジュ以外の少年たちもまた、呻き声を上げている。番ができれば、こんなの飲まなくていいんですよね、と涙声になっている者すらいて、リッカは彼の背を摩って励ました。

「そうだね。番以外にフェロモンが効かなくなって、不特定の相手に乱暴される可能性は低くなるから」

「はやくエルフの国に行きたいです」

 真顔で言うのに苦笑して、リッカは全員が抑制剤を飲んだことを確認した。

「ラン。大丈夫かい? ちゃんと薬は飲んだ?」

 普段はアンジュと同じくらい、「まずいまずい」とうるさいのに、今日に限って黙りこくっているランを不思議に思い、声をかけた。

「あ、リッカ様……だ、大丈夫です。ちょっとずつ、慣れてきたので」

 そうは言うものの、彼の顔色は心なしか青い。額に触れても熱はなさそうだが、ここから先は獣人族の領地に向かうため、少し遠い。進み具合によっては野宿になることも考えられた。

 体調不良ならば、今日一日ここに残れるように、エドアールに相談しなければならない。

「無理はいけない」

「いえ、本当に大丈夫なんです! ちょっと薬が苦くて嫌になっちゃっただけで」

「そう……ならいいけれど。何かあったら、必ず相談してほしい」

 小さく頷くランのことは気になったけれど、リッカはオメガ国の代表として、彼のことばかり構ってはいられない。

「リッカ様ー! こいつ、薬飲むの失敗して吐いたー!」

「ああ、今行く!」

 飲み方が悪いと、そういうこともある。

 リッカは慌ただしく、呼ばれた先へと向かった。

 天気は良好でも、旅がすべて上手く運ぶとは限らない。

 エルフの一団がオメガ国に来たときに使っていた道は、落石によって通行止めになっていた。情報を集めに宿を出ていた騎士が報告を上げる。

 別の道を使うことになったが、エドアールは難しい顔をしている。

「こちらの道には、何かあるんですか?」

「細い裏道のようなものだからな。悪路とまではいかないが、盗賊が出る可能性が少し上がる」

 殿下、とキルシュに肘で突かれて、エドアールは失言に気づく。オメガ族の少年たちに、旅程の変更を伝えにきたところだった。「盗賊」の一言に、一気に怯えが走る。

「大丈夫。エドアール様やエルフの騎士団の皆さんが、守ってくれます」

 リッカは彼らを宥め、「ですよね?」と、エドアールをまっすぐに見つめた。

 本当は、自分だって盗賊に襲われたらと思うと、恐ろしい。けれど、年上の矜持として、おくびにも出さない。

「もちろん」

 エドアールの、一見酷薄にも見える顔は、こういうときには信憑性を増す。自信たっぷりに短く言い切るのも、傲慢さと紙一重だが、よい方に働く。

 ざわざわしていたオメガたちは、次第に落ち着きを取り戻した。

「そうだよ。エドアール殿下と手合わせをしたけれど、本当にお強かったんだ! キルシュ殿も、他の騎士の方々も、僕らを守ってくださる!」

 と、アンジュが請け負ったのも大きい。アンジュ様がおっしゃるのなら……という雰囲気になる。

 リッカはどうにか場が収まりつつあることに安堵しながら、万が一に備えてエドアールたちと対策を練らなければな、と思う。そんな事態は起きないのが一番だが。

 ふと、こうした場で一番に騒ぎそうなランが、黙っていることに気がついた。やはり体調が悪いのかと、リッカは声をかける。

「ラン、大丈夫か……?」

 触れた身体が熱い。ふぅふぅと肩で息をして、ランはリッカにしなだれかかった。

(まずい!)

 発情しているのは明らかだった。リッカの判断は素早く、「エドアール様、キルシュ殿、離れて! 出て行って!」と、叫んだ。

 突然のことに呆気に取られているふたりを、リッカの意を汲んだ弟が、追い出しにかかる。獣人の力に、他の少年たちも加わって、ぐいぐいと押し出されていく。

 リッカは部屋に鍵をかけて、自分の膝にランの頭を載せた。それから、腰のベルトに下げたポーチの中から、丸薬を取り出す。緊急時用の発情抑制剤だ。

「ラン。ほら、飲むんだ」

 水はないが、仕方がない。リッカはランの口に薬を放り込む。しかし、彼は固い意志によって、拒絶した。

「ラン……」

 旅の最中に発情期を迎えたということは、すなわち毎朝の抑制剤をさぼっていたということだ。発情の苦しみを、ランはすでに知っている。どうしてそんなことをしたのか、理解できない。

 汗で貼りつくランの前髪をかき分け、彼の目をじっと見つめる。可愛らしい顔をしたランは、オメガらしいオメガといえる。

 家族総出で大切に育てられた彼は、ひとの顔色を読み、相手の望む回答をするのがうまい。

 リッカが感情を露わに怒れば、ランは萎縮して、何も言わないだろう。優しく、「なぜ」の部分だけを問いただせば、耐えがたい熱に喘ぎながらも、ランはたどたどしく応える。

「だって、キルシュ様を、他の子に取られたくない……」

「キルシュ殿?」

 確かに、リッカの見立てでは今いるアルファ候補は、エドアールの他はキルシュだけだ。ランは苦しんでいるにもかかわらず、柔らかく笑む。

「キルシュ様、僕の、運命……」

 息を飲んだ。

 運命の番。まさか、本当に?

 聞きたいことは、いくつもある。いつ、そう思ったのか。キルシュの側もそう感じているのか。どうしてエルフの国まで待てなかったのか。

 運命の番だと主張すれば、他のオメガがキルシュを選ぶことは決してない。向こうに到着してからの発情期で番になるのでは、遅かったのか。

 ああ、でも、そうかもしれないな。相手はエルフだ。エドアールのように、他種族を尊重する者だけじゃないことを、リッカはすでに知っている。

 どれほどオメガの権利を主張したところで、多勢に無勢で押し切られ、向こうに勝手に相手を決められてしまうかもしれないのだ。

 リッカはすべてを飲み込み、ランの髪を撫でた。無理矢理抱き起こして、壁にもたれかからせる。

「待っていなさい、ラン。キルシュ殿を連れてくるから」

「リッカ様……」

「幸せにすると、言っただろう?」

 言い置いてから部屋の外に出ると、アンジュが扉の前を守っていた。リッカの顔を見て、「ランは大丈夫なの?」と聞いてくる。

「……お前はここにいなさい。ランを頼んだよ」

 万が一、他にアルファ因子を持つ者が現れたとしたら、ランのフェロモンにあてられ、ふらふらと彼に襲いかかる可能性もある。戦う術を持たないオメガの中で、唯一対抗できるとすれば、それはアンジュ以外にはいない。

 もう一度、「頼んだぞ」と肩を叩くと、アンジュは力強く頷いた。微笑み頭を撫でてやって、リッカは隔離したふたりのアルファ候補のもとへと向かう。

「ああ、リッカ殿。彼は……」

 心配そうに廊下をうろうろ歩いていたエドアールの頬が、わずかに赤かった。すぐに引き離したが、やはり多少は影響しているらしい。だが、問題は彼よりも、キルシュの方だ。

 キルシュはもっとわかりやすく、呼吸を乱している。露見しないように努めているが、目は潤んでいるし、頬が紅潮している。

 ランの言うとおり、彼らは運命の番同士なのだろう。ほんのわずかなフェロモンにも反応しているのだ。

「キルシュ殿に、お願いがあります。どうか、ランを番にしてください」

 頭を下げるリッカに、エドアールは目を丸くした。

「リッカ殿。番になるのはエルフの国に行ってからだと……」

 アルファ因子を持つかどうかの審査や、国にとっての重要度、何よりも相性を鑑みて、相手を決める。事前に言っていたことと違う、とエドアールは制止をかけたが、リッカは首を横に振る。

「ランは、キルシュ殿が運命の番だと申しております。それで、他の方と番わせられるのを恐れて、抑制剤を飲まなかったのだと」

 ガン、とキルシュが壁を殴った。エドアールを陰に日向に支える穏やかな人物であるという印象だったため、リッカは驚き、身体を強ばらせた。

「キルシュ」

 上司の叱責する声音も響いているのかいないのか、拳をそのまま握りしめて、顔をしかめている。

「これが……これが、発情だと言うのですか」

 噛みしめるように、熱い息を吐き出す。怒っているのは注意を怠ったリッカや、フェロモンでの事故を企図したランに対してというよりも、ままならない自分の肉体に対してのようだった。

 リッカは頷く。

「ええ、そうです。あなたと同じくらい、ランも」

 キルシュの青い目が光る。金の髪が、風もないのに逆立つような感じがして、リッカは背中に汗をかきながら、頭を下げ続けた。

「どうか、ランをお願いします。アルファと結ばれ、子を成すことが我らオメガの幸福。ましてそれが、運命の番であるのならば」

 キルシュは呼吸を整えて、頷いた。ランを想うゆえでなく、耐えがたい発熱から逃れるためでも、一向に構わなかった。

 番うことによって、キルシュはアルファになる。そうすればきっと、ランを自分の運命であると確信できるはずだ。そう期待したい。

 リッカはキルシュを、ランの待つ部屋へと連れていく。

「エドアール様は、こちらに残ってください」

 一緒についてこようとするのを、慌てて止めた。どうして、と不満顔を隠さないエドアールに、リッカは自覚がないのも困りものだ、と思った。

「番のいないオメガの発情フェロモンは、アルファ因子を持つ者には等しく効きます。エドアール様も例外ではありません」

「俺は大丈夫だ」

 何を根拠に、とか、それなら身をもって確認してみろとか、言いたいことはたくさんあった。けれどそんな言い合いをしている場合ではない。

「……決して僕より前に出ないでください。アルファふたりを相手にすることは、オメガにとっては地獄です。どちらが番になるかわからないんですから」

「わかった」

 本当にわかっているのか。軽い返事を無視して、リッカはキルシュを連れていく。

 扉の前で右往左往しているアンジュが、リッカを見てホッとした表情を浮かべる。だが、次に隣にいるキルシュの鬼気迫る顔を見て、引きつった。

「リッカ兄上」

「アンジュ。キルシュ殿をこの中へ」

 絶対数の少ないオメガ族、年の近い旅の仲間たちを、アンジュは大切に思っていた。エルフの優雅さのかけらもない、獣じみた呼吸の今のキルシュに、ランを任せていいのかと逡巡する。

「アンジュ。ランが求めているんだ」

「……わかりました」

 アンジュが扉の前をどいた途端に、キルシュが風のような勢いで、突入する。

「キルシュ」

 騎士団の長と副官として、きっと長く苦楽をともにした仲であろう。キルシュの知らぬ一面を目の当たりにしたエドアールが、複雑そうに呼び止める。一歩前に出ようとするものだから、リッカは彼の袖を引いて止めた。

「いけません。エドアール様。巻き込まれます」

「しかし」

「大丈夫です。キルシュ殿ならば、ランをきっと……」

 全幅の信頼を寄せるには、リッカは彼らエルフのことを知らない。けれど、初対面の頃からキルシュは、エドアールの柔軟で、他種族を見下したりせず、知ろうとする態度に従っていた。

 だからきっと、ランを幸せなオメガにしてくれる。

 扉が閉ざされる。鍵をかけるという理性は、とうにない。壁はそれほど薄くないはずだが、すぐにランの嬌声が聞こえてくる。

 リッカは隣に立つエドアールをちらりと見上げた。

 褐色の肌は白い肌と違って、色の変化がわかりづらいと言うが、今の彼は真っ赤になって扉を凝視している。

 掴んだままの彼の袖を、リッカは引っ張った。ここはアルファ因子を持つ者――雄の欲望を持つ者すべて、つまりオメガ以外の者には、目にも耳にも毒になる。

「ほら、行きましょう。アンジュ、もう少しここで見張りを。僕は他の子たちの様子を見て、説明をしてくるから」

「はい、兄上」

 ふらりと誘われてきたエルフや宿の人間がいたとしても、アンジュならば心配ない。

 完全にあてられたエドアールを連れて、リッカは宿の外へ出た。

「どうしましょう。初めての交合ですから、おそらくキルシュ殿は、二日はランのことを離さないと思うのですが……」

 旅の日程は余裕を持って組んでいる。エドアールさえ納得して、エルフたちに説明をしてくれるのなら、この街に滞在し、ふたりを待ってもいいのだが。先に行くべきか。

 相談を持ちかけたリッカに、しかしエドアールは、反応を示さなかった。

「エドアール様?」

 名前を呼ぶと、弾かれたように顔を上げる。まだ赤い。

「ああ、その」

「はい」

 もごもごと言いづらそうにしているのに、聞きたくてたまらないという目を向けてくる。

 ああ、これは自分の話は後回しだな。今後のことを考えたら、きちんと話し合いに応じてもらいたいものだが、エドアールの話をこちらが聞くまでは、反応は鈍そうだ。そんな状態では、まとまるものもまとまらない。

 根気強く、リッカは彼の言葉を待った。目を逸らしてエドアールが言うには、

「その、オメガというのは、発情期には、皆あんな風になるのだろうか」

 と。

 エルフの王族であるエドアールにとって、オメガは音に聞く、という程度の存在であった。市井にはびこる、信憑性の薄い噂話と同じだ。

 発情期があり、男のかたちを持つにも関わらず、特定の男と交わることで、子を孕む。

 オメガであるリッカが、エルフの存在を目にしたことがないのと同様、エドアールも、今回初めて、オメガの発情期を目の当たりにした。

「あんな風に」

 復唱したのは、リッカにもわからぬことだったせいだ。

 国にいるオメガは、基本的に軽い薬で散らし、発情期は個室に籠もって過ごす。お互い様なので、持ち回りで世話をする。抑制剤なしで発情するのは、番を作るときが初めてだ。

 エドアールは頷き、リッカをまっすぐに見据えた。瞳がわずかに揺れる。

「君も、あのような……」

 ぽん、と純情ぶって頬を赤らめているくせに、ずいぶんと頭はお花畑のスケベなようだ。オメガ族の存在を初めて知った子どものような顔に、まったく何を想像しているんだ! と、リッカは腹立ち紛れに、「さぁ! どうでしょうね!」と、言い放つ。彼を置いてオメガたちの元へと向かう。

「あ、待ってくれ。リッカ殿……リッカ!」

 呼び捨てにされ、足を止める。くるり振り返り、不機嫌そうな表情を作って見せると、なぜか楽しそうに笑うダークエルフ。

 もう、勝手にしてくれ。

 大きく嘆息し、リッカは今度こそ、振り返らずに歩き去った。

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