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<(7)
エルフの国の生活は、順調だった。
リッカはエルフ族の面々と顔を合わせた。身分の上下関係なく、彼らのうちアルファ因子を持つ者を記録していった。
いきなり番わせるわけにはいかない。相性のよさ、互いの感情を積み重ねていって、初めて番になる。ランのように運命の番に巡り会うことはまれだ。
オメガは自分たちの幸福が、子どもを産み育てることにあると知っている。そういう風に教わっている。だが、アルファになれるエルフたちは違う。
性欲発散目的で、男同士で関係を持つことはあっても、生殖という目的で性交をしたことはない。発情期は多少の熱や苦しみを伴うから、普通の男相手とは、勝手が違う。
さらに、子どもが産まれるのだ。オメガであれば将来的にはリッカたちが引き受けるが、そうでなければ、エルフの国、親元で育てることになる。
他の国と異なり、エルフ国はこれまで、オメガを受け入れてこなかった。子育てのノウハウは、この二百年の間に失われている。
アルファ因子を持っているからといって、皆が皆、子どもを養育する覚悟があるわけではない。もちろん、エルフ族存続のために協力はしてくれるだろうが、子どもを育てるのに向かない性格というのがあるのも、リッカは知っている。
そういうリッカだって、子どもがいない。オメガが派遣されるのがまったくの初めての土地だから、本当は兄が引率すべきだったのだが、タイミングが悪かった。
頭を悩ませながら、見合いの算段を調えていく。まずは集団で。それから気の合う者同士を個別に。いろんな相手と交流をし、オメガと面談した上で、相手にも打診をしていく。
「リッカ様、少しよろしいですか?」
ひとには心がある。対人関係ほど難しいものはなく、頭を悩ませているリッカの元を訪れたのは、ランだった。後ろにはキルシュも控えている。
「どうした? 何か問題でもあったかい?」
すでに番であるふたりは、離宮ではなく、キルシュの屋敷で過ごしていて、特に問題ないと聞いていた。
立ち上がり出迎えたリッカに、ランは不安そうな目を向ける。どうも冷静に話ができる状況ではなさそうで、リッカは並び立つキルシュに改めて尋ねた。
キルシュは険しい顔をしている。番を得てアルファとなった男は、得てしてこういう表情をする。愛する者を傷つけられることに過敏になっているのだ。
独占欲の表れで、オメガにとっては愛されている、よい徴候である。
まるでリッカこそが親の仇であるようにキルシュが睨みつけてくるのも仕方がない。
「何か相談があって来たんでしょう?」
「ああ、はい……」
彼は深呼吸をひとつして、離宮に設けられた、リッカの執務室に来た理由を語った。
「つきまとい?」
「ええ、十日ほど前から……」
オメガが入国してから、まだ一ヶ月たらず。そんな問題が起きていたなど、リッカは気づかなかった自分が情けなく、頭を抱えた。
アルファになる素質がない者であっても、オメガに興味を持つ者が絶えない。目的は、「発情期」という特性を持つオメガとの性交だ。
離宮に集団で住んでいるオメガは、いわゆる賓客扱いで、気軽に会うことはできないし、アルファ因子を持つ者以外とは、交流をする必要もないと、リッカは許可しなかった。
キルシュと結婚し、街に住むランは面会制限がない。彼自身も用事で出歩かなければならないことがあるし、キルシュは騎士団の副団長だ。新婚の休暇などとうに終わっていて、夜勤をしなければならないこともある。
「昼間はうちの手伝いが一緒に出かけてくれるのですが、夜は執事ひとりくらいしか……」
つきまといもそろそろ限度を超えそうで、帰宅時に家の周りをうろついていたり、しつこく声をかけてきたり、時にはランの手を無許可で掴もうとしてくるらしい。
「大丈夫か、ラン」
彼は小さく頷くが、その手は細かく震えている。リッカはキルシュに向かって、「キルシュ殿が夕方には帰れるようにする。警備の人員をそちらにも割いてもらえるように、僕からもエドアール様にお願いしよう」と言うと、彼は肩の力を抜いた。
その後、エドアールが顔を出したときに、リッカは彼を執務室へと連れ込んだ。
「……と、いうわけなのです」
エドアールは頭を抱えた。
「本当に、申し訳ない……オメガの方々を、いったいなんだと思っているのか」
「ランがとても怖がっていて、キルシュ殿も」
アルファは自分のオメガを傷つけられたり干渉されたりすることが、一番許せない。最近のキルシュはピリピリしていると思った、と、エドアールは一瞬だけ、遠い目をした。
「しかし、離宮の警備を薄くするには……」
早くエルフの子、できればオメガが欲しいところである彼らの希望は、今のところキルシュたちだけだ。
(それに、警備が薄い方が僕には好都合なこともある)
いまだに母に報告の手紙を書くことができないでいるふがいなさを、リッカはこのところずっと、持て余していた。
「こちらは集団生活をしていますが、ランはひとりです。現在番になっているのは彼らだけなのですから、今後の子どものことを考えても、ふたりを守るべきでは」
痛いところを突かれた、という顔で、エドアールは苦笑いをする。
「わかった。人員の見直しをしよう」
「よろしくお願いします」
頭を下げ、さあこれで話は終わったとばかりに机の引き出しから書類を取り出したリッカを、エドアールは部屋から出ずにじっと見つめてきた。
「まだ、何か?」
「いや、その……リッカは、他のオメガのことばかり考えているな、と思って」
手を止めて、きょとんとエドアールを見つめ返す。
何を言っているんだろう、この人は。リッカの仕事は、見合いの手はずを整えて、オメガたちを送り出すことだ。彼らと違い、ずっとこちらにいるわけではない。少年たちが番を見つけ、生活が落ち着いたところで自分は、母への手土産を持って帰ればいいのだと思っている。
「リッカは、誰かと番になろうという気持ちはないのか?」
「ありません」
即答すると、エドアールが赤い目を丸くした。
「なぜ」
「なんででもです。答えたくはありません」
明確な拒絶の意志を見せれば、彼はそれ以上突っ込んではこない。優しい男なのである。
アルファ因子を持つ者、皆が皆優秀で、性善かと言えばそうではない。シャルル王がよい例だ。
番となるまではいい顔をして、オメガが逃げられなくなってから本性を表す者は、ざらにいる。番契約を有したままであっても、薬で心と身体の安定を図ることはできるので、発覚次第、オメガ国へと強制送還することになっている。
エドアールは裏表がないと思う。今もしょんぼりしていて、腹芸には向かない男だ。
だからこそ、自分以外のオメガと番って、子を成してほしかった。
願わくは、アンジュと。けれどそれは、もはや叶わない夢だろう。
「……兄上が相手でも?」
「一番嫌です」
シャルルの思考は読めず、不気味だ。わかりやすく嫌味で小物なベルジャンの方が、まだストレートで対処しやすい。
エルフ王は、リッカに対しては厳しい視線を崩さない。ベルジャンの口汚さを諫めたりしないし、オメガに対しては性的なからかいをいくらぶつけても構わないと思っている。態度から透けて見える。
二度と会いたくもないが。そういうわけにもいかないので、必ずエドアール同伴でしか、謁見しないことにしている。
シャルル王は、エドアールに対しては、違う。微笑みを浮かべ、親愛なる弟への態度を崩さない。
その胡散臭さといったら、ありゃしない。
愛する兄を否定されたエドアールは、ショックを顔に貼りつけていた。
「なん……」
「なんででもです」
同じ台詞を繰り返せば、エドアールは目を瞬かせる。
シャルルと番えることは最高の誉れだと、彼は考えている。そんなもの、リッカは欲しくない。いらない。
「シャルル陛下は、僕の好みじゃありませんし、あちらだってそうでしょう」
何せ「地味」の一言で切り捨てたのだ。
リッカはエドアールに告げ口をする気はないので、沈黙を保った。
エドアールは頭を掻いて、「そういうものか」と独りごち、顔を上げてこちらを見つめる。
「じゃあ、もしも相手が俺だったら?」
今度はリッカが目をぱちぱちさせる番だった。
エドアールと番になる? それはアンジュの相手として考えるのではなく、自分の相手として考えろということか?
エドアールはいつもオメガのことを大事にしてくれる。自分たちを弱者として扱うのにはいささか閉口することもあるが、それは彼の責任感が強い人柄を意味している。なんとなくだが、子煩悩になりそうな気もする。
けれど、リッカは軽口であろうと、「あなたなら」と肯定することはなかった。
本気にされたら、困る。リッカは誰とも番う気はない。番うことができない。
エドアールの目は、どこまでもまっすぐだ。窓から差し込む夕日と同じ色の、優しい目。
その視線が向けるのは、自分じゃない。自分であってはならない。
「……さぁ」
リッカははぐらかして、微笑んだ。それからエドアールに見向きもせずに、明日の準備をすべく、手元の書類に集中する。
しばらくの間、エドアールはそわそわと部屋にいたが、リッカが意識の外に置くように心がけているうちに、いつの間にかいなくなっていた。
彼が出て行ったはずの扉を眺めて、深く溜息をつく。
いつか絆される気がして、ならなかった。早く自分以外の番を見つけてほしいのに、エドアールは、「俺が兄上を差し置いて先にアルファになるわけにはいかない」と意固地だ。
どれだけ兄のことが好きなのかと、呆れる。リッカが兄やアンジュに対して抱くものとはまた違う気がしてならない。
「リッカ様~」
部屋の外で名前を呼ぶ声が聞こえて、リッカはおもむろに立ち上がる。
「今行く!」
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